大人になってからデスノート観るとどう感じるのか
最近、アニメ版デスノートを見た。
デスノートは私が小学生の頃に連載されていた作品。当時クラスの男子たちがキラキラした目でデスノートを模したキャンパスノートに「◯◯先生の名前を書こうぜぇ!」なんて悪趣味な遊びをしていたことを覚えている。
原作は見てないのだが、映画版はなんとなく観た。
まだ何も知らない純粋な子どもから見たデスノートの感想は、死神リュークの顔がおもしろいなとか、Lのタイピングがウケるなくらいだった。
ていうか、今振り返ってみると松山ケンイチのLハマり役具合がすごい。
特に姿勢の曲がり具合が、完全にL…!!
あとリュークの再現度もすごい(笑)
あの頃見た作品を大人になってからもう一度観るという試みが私は好きだ。
例えばジブリは大人になってから観ると視点や感じ方が180度変わる。
小さな頃は猫バス乗りたいな、トトロ可愛いな、千と千尋の塩むすび美味しそうだなみたいな感じで表面的なものに注目して楽しんでいたけど
大人になると「この作品に込められたメッセージは何だろう?」「この作品をテーマとして一言で表すとなんなんだろう?」と自分なりに深読みしながら鑑賞するのが楽しい。
デスノートも同じで、大人になって改めてじっくり鑑賞すると、複雑なストーリーや天才たちによる熾烈な心理戦に「おもしろい!!!」と悶絶しまくりだった。
毎晩寝る前にデスノートを数話堪能して寝るというのが最近のナイトルーティンだったのだけど、ようやく昨晩見終えたのでここに感じたことを記録してみる。
デスノートのテーマを一言で表すと『正義とは』な気がする。
主人公の夜神月(ヤガミライト)はキラとしてデスノートで大量に人を殺めているものの、自分がしていることを悪ではなく紛れもない正義だと捉えている。「犯罪者をデスノートで裁き、平和な新世界を創ることこそが正義なのだ」と心から信じて行動している。
一方で、世界屈指の名探偵Lはキラの行動を悪と捉え「例え犯罪者であっても人を殺すことは悪であり、そのような悪を捌くことが正義である」と心から信じて行動している。
Lの後継者として後に登場するニアやメロ(特にニア)もLと同じ正義を持って行動している。
最初はキラが完全に悪の存在として追われているのに対し、物語が進むにつれて、キラを神だと讃える者が増えてくる。一方で、一貫してキラを悪だと主張する者もいる。
デスノートというものがこの世にあったとして
あなたはそれを正義だと思うか、悪だと思うか?
あなたがライトなら、道に落ちていたデスノートをどうするか?
あなたにとって正義とは何か?
そんな問いに対する答えを考えながら興味深く鑑賞した。
そして
この物語がおもしろくてたまらない理由は、異なるタイプの天才たちによる頭脳戦だと思う。
ライト、L、ニア、メロは紛れもなく天才だ。
天才という点では共通しているものの、それぞれのキャラクターややり方が大きく異なる。
例えばライトは表向き社交的で口が上手く、才色兼備で文武両道。
自分の部屋に監視カメラが付いていることを一瞬で見抜き、徹底的に普通の男子高校生を演じたり、デスノートの所有権を一時放棄して最終的に自分に戻ってくるように仕向けたり、時計に小細工をしてデスノートの紙切れをいつでも取り出せるようにしたり、緻密に策を練って敵を出し抜くタイプ。
頭の回転が速く、警察官だろうが女の子だろうが周りをスマートに説得して味方につけるのが上手く、通常なら冷静さを失いそうな出来事に何度遭遇しても動じなかった。
一方で、Lはライトと対照的な人物として描かれている。
ヨレヨレのTシャツにボサボサの髪。
死刑囚を自分の代わりテレビ出演させてキラの持つ能力を検証したり、大学の入学式で突然ライトに「私はLです」と宣言してみたり、キラに殺されるかもしれない状況で敢えて顔を出したり、ベストタイミングで相手の意表をつくような行動をして敵を出し抜くタイプ。
何を考えているのか分からず、味方すら混乱するような言動をすることがあり、死神の存在を示唆する第二のキラ(ミサ)からのメッセージに仰天してソファから崩れ落ちるなど、人間らしい一面も見せる。
第二部で出てくるニアは極めて冷静な頭脳派だが、念入りで慎重派で大胆な行動力には欠ける。
一方メロは極めて冷静さに欠けるが、目的を達成するためには手段を選ばないという大胆な行動力がある。
キャラクターが異なるそれぞれの天才が目の前の状況に対して「どう出るか」を見るのがハラハラドキドキしておもしろかった。
最終的にニアとメロのチームプレー(?)でキラを捕まえることに成功するものの、個人的にはライトとLの緊迫感溢れる心理戦がおもしろくてたまらなかった。
ニアとメロという天才二人が力を合わせないとライトに勝つことができないことから、ライトがいかに強敵だったかが伝わるし
そのライトをギリギリまで追い詰め、死神レムさえいなければ死ぬことがなかったLもまたやはり同レベルの強者だ。
そんな強者同士の1on1がど迫力で、手に汗を握った。
ライトとLは正反対のキャラクターとして描かれているけど、共通点もまた多く描かれていた。
天才は天才でも『天才の極み』であったこと、幼稚で負けず嫌いであったこと、裏の裏をかきまくること、嘘つきであること。
天才の極みゆえに互角の相手に出会えず孤独だった二人が、事件を介して接触する。そのとき二人は「初めて本気でぶつかり合えるような人ができた」と感じたのではないか。
個人的にはLの「ライト君は、私の初めてのトモダチですから」というセリフがものすごく心に残っている。
あのセリフは白々しい嘘でもあり本心でもあったのではないかと思う。
特にLが死ぬ直前に行われた豪雨での会話で、自分の死期を感じたLがライトに言った「もうすぐお別れです」という意味深な言葉が、ライトとの別れを惜しんでいるようにも見えた。
この事件で出会った二人は敵同士だったが、デスノート無くして出会っていたら親友になれた二人かもしれない。そう思うと切ない。
Lは最期にキラであるライトの邪悪な笑顔を見ながら静かに死んでいく。同じ目に遭ったレイペンバーが絶望的な表情をして死んだのに対し、Lは落ち着いて目を閉じた。
Lにとっては真実を知らずして死ぬことこそが絶望であり、ああやっぱりそうだったのかと真実を知れただけでも”安心”になったのかもしれない。
自分はここまでだが、あとは後継者や他の味方がなんとかするだろうと確信していたのだと思う。
デスノートがおもしろいと思ったもうひとつの理由は、死神リュークの存在だ。
死神リュークはキラ事件の一部始終を唯一客観的な視点で見守る存在だ。
ライト(キラ)の背後にいながらも、一切ライトの肩を持つことなく「俺はお前の敵でも味方でもない」と中立な立場を貫き、まるで観客のようにケラケラと笑いながら全ての出来事を鑑賞する。
リンゴが大好きで長い間食べなければ禁断症状で体をねじったり逆立ちしてしまうというお茶目な部分があったり、そのユニークな見た目が深刻で濃密な物語にちょいちょい抜け感をもたらしてくれたのがよかった。
なんか、ものすごい苦いコーヒーに添えられたクッキーのような、ありがたい存在だった(笑)
ライトの最期を見守り「楽しかったぜ」と塔の上でデスノートを取り出し、ライトの名前を書いて全てを静かに終わらせるのも、物語の最後のシーンが夜空に浮ぶ月で、主人公の夜神月を象徴していたもよかった。
全ての瞬間に見応えがあり、綺麗に物語がパタン閉じた感じがとても気持ちよかった。
そんな感じで
小学生のときにチラリと観たデスノートを大人になった今観てみると色んなことを感じ、興奮したので、忘れぬうちに感想文を書いてみた。
思い返せば、夏休みの宿題は面倒だった。
絵日記はまとめ書きし、ドリルは直前まで手をつけなかった。
でも読書感想文だけは、唯一楽しく書いていた。
大人になった今、読書感想文の宿題が出されることはもうない。
だったら自主的に感想文を書こうと
エンタメ感想文というマガジンを作りました。
最近よくエンタメを堪能しているので、何かを見ておもしろいと思ったからここに感想文を書きにこようと思います。
次は何観よう(^-^)!
サポートはその日一日が一瞬でハッピーになるくらいめちゃくちゃ嬉しいです♡届いたんだ...!!書いてよかった...!!って喜びを噛み締めます。