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先生あのね、その2

先生あのね。

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この前、家に帰ろうとしたら、とある劇団の方が路上で宣伝をしていた。

つい声をかけて少しお話ししたんだけれど、彼女は私よりも年上で、彼女自身が主宰をしている劇団を10年以上続けていて、

これまで乗り越えてきたものやどうして続けているのかについて話してくれて、とってもかっこよかった。

私の現状も少し話した。
お互い続けていきたいねという話をした。

先を行く人のかっこいい姿は、希望となって、自分は支えられているなと思う。

◆◆◆

その瞬間瞬間にきらめく、機知がどうしようもなく好き。

その人がそれまでの人生で得た知識や、普段考えていることや、いた環境や、受けた刺激や、場合によってはその人の善悪、愛憎、好嫌が滲むことがあるから、

それを感じることに気持ちよくなって、その場に自分がいて良かったと思う。

最近そう思う瞬間が多い気がする。

それって本来有難いことだと思うから、幸せだなって思う。

とても嬉しい。

◆◆◆

これまで誰にも話したことのないことを人に話した。

明るい話ではないし、とっても主観に寄った話だし、その時感じていたことを完全に再現できるわけではないし、当時本当にそう思っていたかと言われると証明できないし、でも当時は確かにそう思っていてそう行動していて、そのことは今の自分にも影響をしていて、

過去の考え/行動であって今はそう思っていない話だったから、誰にも話していなかったのだけれど、、

話したとき、聞いてくれる人がいることが嬉しかった。

今の自分を顧みたときに、身体的に健康であることの貴重さを感じているわけだけれど、

今の私はできるだけ生を謳歌して、その時間は長くありたいと思う。

◆◆◆

自分の人格の中で、いわゆる一次感情をそのまま出力してしまう面があると感じていて、

特に喜びと信頼については、強度が大きいものを加工なしで外に出してしまうことがあるなと自覚をしていて、

それが自分としては、短絡的だとか、幼いとか、未熟であると思うことがあった。

でも、最近、それはそれで出してもいいのかも、と思える機会に恵まれて、水を得た魚のように呼吸がしやすい。

呼吸がしやすい。

とても嬉しい。

◆◆◆

という、日記。
先生あのね。

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