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歴史・人物伝~若き信長編⑦強大な今川軍の砦を打ち破る

織田家のある尾張は、常に東から今川義元の侵略にさらされていました。義元は「海道一の弓取り」と呼ばれていた戦国屈指の大大名で、尾張に隣接する三河を属国化して勢力を伸ばしてきています。

武勇を誇った織田信秀が死んだこともあり、1554年に義元は三河と尾張の国境の攻略にかかり、前線基地の砦(村木城)を築きます。当時信長は、織田一族内の抗争もあって、簡単に兵を出せない状況にありました。

そこで信長は「自分が出陣している間、本拠地(那古野)を守る援軍を派遣してほしい」と斎藤道三に依頼します。一つ間違えば、那古野を乗っ取られる危険もありましたが、信長は道三を信頼していたのでしょう。

信長軍は村木城を猛攻で落とし、今川軍の勢力を押し戻しました。信長が、信秀に匹敵する猛将だと分かり、義元は6年後に大規模な軍事作戦を決行するのです。これが有名な桶狭間の合戦となります。

援軍の役目を終えた斎藤軍も美濃に引き上げ、道三に信長の戦いぶりが報告されます。道三は「隣国には居てほしくない人物だ」と、改めて信長の力量に脅威を感じたようでした。※信長公記より

歴史・人物伝~信長編⑥「大うつけ」の器量を見抜いた道三

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