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歴史・人物伝~若き信長編⑤信秀の死と葬儀での出来事

道三の娘・帰蝶(濃姫)を嫁に迎えた織田信長でしたが、間もなく悲しい出来事が起こります。父の信秀が病死したのです。40代前半での死は、若すぎるだけでなく、織田家の行く末にも影響を及ぼしました。

信長には同母の弟・信勝がいました。信長が「大うつけ」と陰口を叩かれていたのですから、家臣の中には「後継者には信勝がふさわしい」と思う者も少なからず存在していたと思われます。

それが顕在化するのが、万松寺で執り行われた信秀の葬儀での出来事でした。「信長公記」には、次のように記されています。

「その時の信長の出で立ちは、長柄の大刀と脇差を藁縄で巻き、髪は茶筅まげに巻き立て、袴もはかない。仏前に出て、抹香をかっとつかんで仏前に投げかけて帰った」※地図と読む現代語訳信長公記

今で言うならば、「ど派手な普段着のまま葬儀に現れ、焼香用の抹香を位牌に投げつけたて立ち去った」ことになります。信長は嫡男なので、当然喪主を務めているはずなので、驚くべき行動です(苦笑)

一方の信勝は、居住まいを正し、礼にかなった作法だったそうです。誰の目にも、「乱暴で礼儀知らずの兄」と「律儀で礼儀正しい弟」と写ったでしょうし、信勝に後継者を期待する声が出てもおかしくありません。

ただ、「信長公記」には、こんな記載もあります。

「筑紫から来た旅僧一人だけが、『あの方こそ国持ち大名になるお人だ』と言ったとか」※地図と読む現代語訳信長公記

これは私の推測ですが、作者の太田牛一が旅僧の言葉を借りて、信長を尊敬する自らの思いを込めたのではないでしょうか。その時の信長の振る舞いを見て、ここまで見通せた人がいたとは、とても思えないのです(笑)

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