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歴史・人物伝~関ケ原編⑤大軍勢を相手に壮絶に戦った鳥居元忠

歴史・人物伝~関ケ原編の第5回です。

「内府ちがひの条々」により、徳川家康に宣戦布告をした石田三成は、西軍の総大将となる毛利輝元が大坂城入りしたことを受け、ただちに軍事行動を起こします。東へ向かって軍勢を進めるのです。

行く手に待ち受けるのは、家康の居城となっていた伏見城です。家康が大軍を率いて出陣したのち、この城は鳥居元忠ら少数の徳川家臣団が守っていました。ここに西軍は攻撃を仕掛けたのです。

鳥居元忠は、家康が今川家の人質だった頃から付き従っていた家臣で、上杉討伐の際には「一人でも多く従軍していただきたい」と進言したそうです。伏見城はわずかな兵力で守る覚悟があったと思われます。

元忠ら徳川家臣団は決死の攻城戦を繰り広げましたが、多勢に無勢だったため、10日余で攻め落とされました。落城の知らせは家康の元にも届き、家康は上杉討伐から「新たな戦略」を迫られることになるのです。

関ケ原の合戦のキーマンも

一方、西軍の攻め手の中に、関ケ原の合戦でキーマンになる2人の大名がいました。一人は小早川秀秋、もう一人は島津義弘です。二次史料では、2人とも当初は東軍に味方するつもりだったとされています。

この2人については、関ケ原の合戦を書く際に詳しく紹介します。

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