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歴史・人物伝~松陰先生編②幼き頃から学問に打ち込む

歴史・人物伝~松陰先生編の第2回です。

吉田松陰は、1830年に杉家の次男として生まれ、叔父の養子となって吉田家を継ぎました。吉田家は山鹿流兵学師範を務めており、それにふさわしい教育が求められたのです。

幼い松陰を教育したのは、父の末弟にあたる玉木文之進でした。文之進は松下村塾を開き、ここで松陰も学びます。叔父・甥の関係でしたが、文之進はたいへん厳しく松陰を教えたとされています。

妹・千代の回想によると、松陰は他の子供たちのように「遊び」をすることは全くなく、「机に向かうか、筆をとっている姿しか思い浮かばない」と振り返っています。大変な努力家だったことがうかがえます。

文之進の教育があってか、松陰の学才は藩主・毛利敬親の知るところとなり、11歳にして敬親の御前で講義を行いました。そして、20歳前後には藩校明倫館で兵学を教えるまでになったのです。

ちなみに、文之進が創設した松下村塾は彼の旧宅を使っており、その後松陰が引き継ぐ形となった松下村塾(松陰神社境内、世界遺産に指定)とは少し離れた場所にあります。

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