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歴史・人物伝~松陰先生編⑫松陰を支えた小田村伊之助と桂小五郎

歴史・人物伝~松陰先生編の第12回です。今回は、吉田松陰(松下村塾)の教え子たちからいったん離れ、松陰の盟友とも言える二人の人物について語ります。

義弟として支えた小田村伊之助

一人は、松陰の義弟にあたる小田村伊之助(楫取素彦)です。松陰の妹・寿と結婚して義弟となったのですが、年齢は伊之助が1歳年上。同世代の仲間と言ってもいいでしょう。

伊之助は儒学者の小田村家の養子に迎えられ、藩校の明倫館で学び、江戸にも留学しました。こうした経歴が松陰と似ており、学問を通して知己の間柄になったのだろうと思われます。

松陰が自宅幽閉された頃には、伊之助はすでに義弟となっており、松下村塾を開設する際には尽力したそうです。伊之助は身内として松下村塾の運営を助け、松陰の支援者として信頼を得ていました。

安政の大獄で江戸に送られた松陰が、処刑される前に獄中の仲間にあてた遺書には、久坂玄瑞ら教え子と共に伊之助の名が記されていたそうです。後事を託せる人物と見込んでいたことがうかがえます。

伊之助は明治以降、楫取素彦と名を改め、群馬県の県令として製糸業発展に尽力しました。また、寿の死去後にはその妹である文と再婚しています。

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明倫館時代の弟子・桂小五郎

もう一人は松陰より3歳年下の桂小五郎(木戸孝允)です。小五郎は、若くして藩主・毛利敬親から褒賞を受けるなど俊英として注目されました。この点は松陰と似通った経歴の持ち主と言えます。

小五郎は松下村塾の塾生ではありませんが、松陰が藩校・明倫館の教授だった時に、松陰から兵学を教わっています。つまり、明倫館を通しての師弟関係だったのです。

松陰と小五郎は同じ時期、すなわちペリー来航の前後の頃、江戸に居ました。師弟関係のうえ、年齢も比較的近かったので、尊王攘夷など様々な国事の議論を交わしたと思われます。

そうした過程で、松陰は「桂小五郎は優れた人材である」と評価し、藩の上役に小五郎の登用を推挙したといいます。小五郎も、松陰の門人であるとの意識を終生持ち続けたようです。

桂小五郎は長州藩のリーダーとして倒幕を果たし、木戸孝允と名を改めた明治維新初期の国家づくりに多大な功績を残しました。


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