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歴史・人物伝~関ケ原編⑱合戦の勝敗を決めた小早川秀秋の寝返り

歴史・人物伝~関ケ原編の第18回です。

関ケ原の合戦は東軍西軍ともに相譲らず、数時間にわたって激しい戦いが繰り広げられています。その様子を松尾山から見ていたのが、西軍で1万5千の軍勢を率いていた小早川秀秋でした。

小早川家は、毛利元就の三男隆景が後を継いで毛利一族となりましたが、秀秋は毛利家の血筋ではありません。豊臣秀吉の妻・高台院の兄の子として生まれ、幼少時には秀吉の後継者候補にもなった人物です。

「秀秋を毛利輝元の養子に」との豊臣家からの要望に対し、隆景が逆に「ぜひ自分の養子に」と申し出ました。秀秋の器量を見極め、「毛利家の後継者にすれば、お家存続の危機がくる」と予見したからとも言われています。

小早川軍は、関ケ原で西軍の一員だったとはいえ、東西どちらに付くのか懐疑的に見られていました。結局は東軍に「寝返る」形で、西軍の大谷吉継軍に攻めかかり、西軍総崩れの要因を作ることになったのです。

秀秋は論功行賞で岡山の大大名に出世します。しかし、そのわずか2年後に21歳の若さで亡くなってしまい、小早川家は断絶しました。隆景の予見は不幸な形で当たってしまったのです。

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