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歴史・人物伝~若き信長編④妻・帰蝶の謎に包まれた生涯

織田信長の父・織田信秀は、敵だらけの四面楚歌を打開するため、美濃の斎藤道三と同盟を結ぶため、信長の嫁に道三の娘・帰蝶(濃姫)を迎えることになりました。

歴史・人物伝~信長編③野心家の父・信秀の打った手とは

信長の正室(妻)となった帰蝶ですが、その生涯だけでなく、正確な名前すら伝わっていません。「信長公記」にも「道三の娘」としか記されず、美濃の姫だから「濃姫」と呼ばれていたようです。

信長には、嫡男の信忠や後に後継者争いをする信雄、信孝がいますが、いずれも帰蝶が生んだ子ではありません。おそらく、二人の間には子がいなかったか、いたとしても女子だったのではないかと思われます。

帰蝶の生涯は謎に包まれているため、ドラマなどでは脚色しやすく、中には「本能寺の変で信長と最後まで戦った」という演出もありました。道三の娘という血筋からも「戦える女性」を描きやすかったのでしょう。

私は、信長が美濃の攻略を始めた頃(1560~66年)に離縁したか、死別したと考えます。帰蝶が「濃姫」と呼ばれたのも、あくまで美濃との縁結び(同盟)のためで、敵対すれば解消されても仕方ないと思うからです。

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