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歴史・人物伝~太平記・倒幕編⑥島流しにも怯まなかった後醍醐天皇

歴史・人物伝~太平記編の第6回です。

1331年の元弘の変で、後醍醐天皇の倒幕計画が幕府の知れるところとなり、身の危険を感じた天皇は京都から脱出して笠置山にこもります。この間に反幕府勢力の結集を試みたのです。

太平記によると、天皇は「大きな常盤木の日陰に上座が設けられている夢」をごらんになり、その大木がクスノキだったとして、河内の豪族だった楠木正成を召還したといいます。

しかし、幕府が派兵した大軍によって笠置山は陥落し、天皇は捕らわれの身となります。そして、約100年前の承久の変の後鳥羽上皇と同様、隠岐島に流罪としました。同時に天皇の位もはく奪されます。

過去の天皇や上皇は「流罪」にされると、権威や政治生命が断たれるため、諦めて隠遁生活に入っていました。しかし、後醍醐天皇は隠岐を脱出して再度蜂起することを考え、それを実行したのです。

護良親王だけでなく、味方につく楠木正成ら西国の武将が多くいたことに加え、自分への監視の目も緩いと思ったのではないでしょうか。幕府の権力の衰えを肌で感じた天皇の果敢な行動が、倒幕へとつながっていくのです。


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