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歴史・人物伝~謙信の戦い編⑬一向一揆との戦い、そして越中進出

歴史・人物伝~謙信の戦い編の第13回です。

北関東を巡る武田氏、北条氏との三つ巴の争いが続いてきた上杉謙信ですが、宿敵だった北条氏康、武田信玄が死去し、北条氏は氏政、武田氏は勝頼の代になると情勢が徐々に変わってきました。

北条氏とは同盟関係を結んでおり、氏康の子・三郎(のちの上杉景虎)を養子に迎えました。また武田勝頼は、徳川家康や織田信長との勢力争いに力を注いでいたため、信玄の時代ほど敵対関係にはありません。

そこで謙信は、越後の西にある越中(富山県)への勢力拡大を図ります。越中は一向一揆が力を持っており、隣接する越後にも脅威を与えていました。そのため、謙信はたびたび越中に出陣していたのです。

同じ頃、越前(福井県)から加賀(石川県)に侵攻していた織田信長も、一向一揆には手こずっていました。上杉氏と織田氏は一向一揆という「共通の敵」がいたため、友好関係にあったとされています。

ところが、一向一揆の総本山である本願寺の顕如が、謙信との和睦を持ちかけてきました。本願寺は、足利義昭や毛利氏、上杉氏らと組んで、織田信長包囲網を築こうとしたのです。

謙信が本願寺との和睦に応じた結果、織田氏との対決姿勢が深まっていくのです。

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