オヤジの思ひ出話~第52話「御柱祭山出し」
久しぶりに「オヤジの思ひ出話」を書きます。今回は諏訪大社御柱祭山出しについてです。新型コロナにより、初の車両曳行となった山出しも、本日の下社4本が曳行されれば終了します。
地元新聞社に長年勤めていた私は、1986年から6回の御柱祭を「仕事」としてかかわってきました。その思い出の一端はブログ「気まぐれトーク」に書きましたので、よかったらご覧ください。
印象に残った年を挙げるなら、2010年の御柱祭でしょう。この年は上社ではディレクター役を担い、下社ではメイン記事を書く記者として、山出しの計6日間すべて取材チームに加わりました。
ディレクター役は、取材チームの記者をそれぞれの取材分担に振り分け、撮影ポイントなどのアドバイスを与えます。さらに、撮影したデータから紙面に使う画像を選び、編集デスクに送り込む作業も担当しました。
御柱祭は曳行スケジュールが「あって、ないような祭り」であり、状況は時々刻々変わっていきます。臨機応変は当然のこと、瞬時の判断も必要となり、夕方以降は時間との闘いにもなってくるのです。
画像データが集まってきた時から、休みなしで頭をフル稼働させながら仕事をしなければなりません。40代後半という気力充実の年齢だったからこそ、何とか耐えきったのだろうなと、今振り返って思います(苦笑)
下社では、上社のディレクター役とは異なり、ほぼフリーの立場で取材に加わっていました。仕事なので心底楽しむというわけにはいきませんが、山出しという祭りの雰囲気は存分に味わえましたね。
今年の山出しは、地元新聞社サイドからすれば、総力戦で臨む必要がなくなり、おそらく取材チームも数人程度、それも夕方までには取材が終わってしまうため、とても「楽だった」と思われます。
ですが、地元新聞社が楽できるようなお祭りでは、やはり物足りないと言わざるを得ません。5月の里曳きは、是が非でも本来の氏子が曳行する祭りの姿に戻ってほしいと願うばかりです!
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