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歴史・人物伝~松陰先生編⑭松陰の教えと肖像画を残した門下生

歴史・人物伝~松陰先生編の第14回です。

松下村塾の門下生で、伊藤博文や山県有朋ほど出世しませんでしたが、明治新政府で活躍した人物に品川弥二郎がいます。入塾当時は15歳という多感な少年だった品川は、吉田松陰にかわいがられたそうです。

ただし、松陰の教えは厳しかったといいます。獄中から弥二郎に宛てた手紙には、「死生の悟りが開けないと言うのは愚かなことだ」などと痛切な言葉をぶつけています。

弥二郎は松陰の遺志を継いで、京都に「尊攘堂」を創設しました。ここには松陰の遺墨など資料がたくさん収蔵されています。弥二郎は、松陰の教えを後世に引き継ぐという役割を見事に果たしたのです。

また、松陰の初期の門下生に松浦松洞という人がいました。松洞は、松陰の思想である尊王攘夷に感化されて活動しますが、藩重臣の長井雅楽暗殺計画を企ててながら挫折し、その責任をとって自刃します。

松洞は画家でもあり、松陰が安政の大獄で江戸に護送される直前、師匠の姿を肖像画に描きました。その凛(りん)とした姿は、吉田松陰の人物像を語る上で欠かせない絵となったのです。

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