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「あるがまま」というあり方

 今回も意識と無意識のバランスについて、古人の知恵を見ていきたいと思います。今回は森田療法で知られる森田正馬が勧める「あるがまま」についてです。

 森田療法は20世紀のはじめごろに、森田正馬によって創始された心理(精神)療法で、禅などの東洋思想を、恐怖症や不安性障害などいわゆる神経症(とかつて呼ばれていた症状)の治療に活かしたものです。森田の考えによれば、不安の背後には、こうでありたいとか、こうではありたくないといった願望や執着といった欲望があります。とりわけ、望ましくない状態が気になってしまう神経症的な傾向の性格の場合、「こうでなくてはならない」という気持ちが強くなり、その一方で、そのようでないことが受け入れがたくなり、ますます気になってしまうという悪循環に陥ってしまいます。

 例えば、人前では臆せず堂々としていたい(していなくてはならない)という気持ちが強いと、緊張して声が震えたりすることがすごく気になってしまい、そうならないようにしようとするとますます焦って声が震えるといったことが起きてしまいます。どうにかしてそうならないようにすることを「はからい」と呼び、そうすることによってかえって気がかりになり、こだわってしまうことを「とらわれ」と呼びます。

 この悪循環から抜け出るには、理想を実現する方向での努力を潔くあきらめ、緊張して声が震えてしまうという現実の自分を受け入れる方向に切り替えていくことを森田は奨励しました。それが「あるがまま」を受け入れていくということです。

 逆説的に、もしも「あるがまま」を受け入れることができれば、余計な焦りや緊張がほどけて声の震えが和らぐかもしれません。すぐに和らがないとしても、そのようなあり方を続けていくことで、いずれ人前で臆せず堂々を話すことができるようになるかもしれません。急がば回れのことわざどおりですね。

 ただ、難しいのは、「あるがまま」に受け入れていこうとする取り組みが、理想を実現するための「はからい」に取り込まれてしまうということです(以前書いた「狙わずに狙う」という記事を参照ください)。どうにか理想の状態を手に入れたいという欲望は、おそらく誰にとってもとても根強いもので、「あるがまま」の境地を得るのはそう簡単ではありません。とはいえ、「とらわれ」てしまう心のからくりを知ったうえで、そこから抜け出る方向へ、わずかなりとも近づいていくことが大切なのだと思います。

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