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失恋と絶望の記録

分かって欲しくてたまらなかったあの頃。いつも何かに向かって必死で走っていた。嘘をついて大丈夫なふりを何度もした。

自己犠牲は積み重ねれば麻痺する。そして、突然、無意識に涙があふれ、歩けなくなる。いっぱいいっぱいなった自分のことを自分が分かってあげられなかった。いや、分かっていたのに、それ以上を求めることもやめられなかった。あの日々は、本当にきつく辛かった。

上京して半年で出会った人と恋に落ち、燃え上がるような感情を味わった。運命の人だと信じ、目が眩むほどの恋を手に入れた気がした。周りからもそんな風に言われ、気持ちは一瞬で拍車がかかった。そして久しぶりの恋愛に、そして誰かに求められる快感は、自分の限界を曖昧にした。

最初のうちは何でも話せた。最初に会って、2~3回ご飯に行った時も色々と質問した。好きなタイプは?結婚願望はありますか?恋愛に関することも全部。付き合うまでは何も恐れずに聞いていた。単純に彼のことを知りたくて知りたくてたまらなかったのだと思う。出会ってから数ヶ月ぐらいは、そんな風に色んな話もして1週間に1度は会っていた。

「 2面性がある?」

彼の星座が双子座だと聞いてそう聞いた。なんとなく、本当になんとなく聞いた。

「ないよ、普通だよ、普通。」

彼は淡々と少し笑いながら答えた。その横顔はなんだかどこかすっきりはしないような感じだった。元々、感情を表に出すような人ではなかった。

いつも終電ギリギリまで話し込み、駅の改札まで見送ってくれて、見えなくなるまでそこでいてくれた。家に帰るとメールが入り、次は終電気にしないでいたいななんて嬉しい言葉も増え、私はすっかり彼に夢中になっていた。

彼から「付き合おう」って言葉はなかった。自然と会う回数は増え、距離は縮まり、一線を超えるところまでいった。30代にでもなれば、言葉なんていらない恋愛だろうなって勝手に思っていた。

「好きです。ちゃんと付き合いたいと思ってる。」

だけど、どこか白黒はっきりさせたいタイプの私は、自分からそう言った。

「そうだね、僕たち色々合うしね。」

そう言って優しく笑ってキスをしてこう囁いた。

「 好きだよ、すごく好き。」

彼は恥ずかしそうに、微笑みながら。それから私たちはそれぞれの存在に夢中になった。そう、2人だけの世界に没頭するように、他のことなんて存在しないように。熱情だけで満たされるような感じだった。

だけど私はこれが熱情だけの恋愛ではなく、パートナーとしてちゃんと将来を考えられるかどうかも見極めたかった。彼とちゃんと向き合いたかった。わざと、騙してるなら早めに言ってねとか冗談っぽく言ったりして。彼を試すような言葉も言った。こういうことを言ったり聞いたりする自体、実はすごくナンセンスなことだと今なら思うのに。

付き合いたいと言ってから、2ヶ月後、彼から突然、友達と地元に帰るから一緒に行こうと誘われた。え、地元…ってことは実家?そんなことが一瞬頭をよぎったけど、行きたいとだけ返事をした。いや、実家だとは言ってないし…と思いながら、彼とどこか遠出できることを単純に嬉しく想っていた。そして、泊るのは彼の実家だと聞いたのは出発の前日だった。私の悪い癖、いや、彼だったからか。元々そんなに色々話すタイプではなく、あまり多くは語らないところがあったせいか、何となくいつも質問するのにも躊躇したこともあったし、聞きたいことをはっきり言えないことが何度かあった。ささいなことさえも。

彼の地元に行き、先輩、近所の人、そしてご両親にも会った。そこで彼女ですと紹介され、あ、やっぱり私達ちゃんと付き合っていたんだと改めて核心した。だけど、どこかで心がついていっていなかった。嬉しい反面、出会ってすぐに彼のテリトリーに入ったことにどこか心が追いついていないような気がした。

そんな違和感とは裏腹に、私はもう彼なしでは生きられないほど、のめりこんでいったように思う。そして彼にのめりこめばのめりこむほど、想いが強くなるほど、言いたいことが言えなくなっていた。例えば会う日も、私から聞かないとなかなか予定を立ててくれない。なんとか会える方向へ持っていこうと頑張った。突然誘いがあれば、家に帰っていたのに、大丈夫だと言って、慌てて駅まで走って彼に会いに行った。自営業で会社員ではない彼だからとそのスタイルに合わせたかった。こうして私は彼中心の恋愛になった。もちろん、これしたい食べたいぐらいの我儘は言う。本来は我儘な性格なだけに。

そして追い打ちをかけるように、周りからもう結婚だねとはやし立てられた。出会ってすぐに両親に会わせるなんて、本気度が高いと言われ、まだ特別に意識してなかった結婚までも勝手に考えるようになった。彼の両親は普通ではあったけれど、どことなく母親に対しては少し違和感を感じていた。でも、どこも男の子だけの母はそうなのかもと深くは考えていなかった。

「Sumireさんは、みんなから愛される人ね。」

そう言われた彼のお母さんの言葉。今では純粋に喜ぶべき言葉とは思えなくなっている。

そして半年が経とうとしていた頃、お盆休みに私の地元に行きたいと彼からの提案があった。何となく冗談で言っていたけれど、飛行機の手配をしたといい本気だったのかと思った。彼は私の地元に来て、両親、祖父母、幼馴染や親友にも会った。しかし私たちはそういう割と大きな出来事は起こるのに、「話し合い」的なことは行われなかった。何か聞いても彼はどこか曖昧な返事が多かった。答えが違う形で返ってきたり。だけど、久々の恋愛、そしてまた人をこんなに好きになれたことに対して執着し始めていた私は、これでいい、正解なんてないと、できるだけ彼に合わせた。

春に出会い、怒涛のように夏も過ぎていった。お互いの地元へも行き、両親や家族、友達にも会い、形だけ見れば、順調そのものだった。だけど、なぜだろうか、彼と出会ってこんなにも好きなのに、安心材料も与えられてきたはずなのに、どこかいつも苦しくて、帰り道によく泣いた。そして秋を迎えようとしていた頃から、彼は徐々に私の知らない人になっていった。いや、私が見えていなかっただけなのか。

彼の言動が明らかに怪しくなっていた。突然、海外に行くと言い出して、やめたり。メールの返事が遅くなることだけではなく、何がしたいのだろう?という行動も増えた。1~2週間に一度会えるか会えないかの中、今日会える?と私から聞かなければいけないことにも疲れていた。どこどこに行こうと提案しても、彼の都合で実現されることはほとんどなかった。そして久々に会えた時にも違和感は膨れていった。彼は私の知っている彼ではない気もした。私自身も仕事のやり方に迷いがあり、自分の東京でやっていくライフスタイルに自信がもてなかった時期でもあった。それでも仕事はありがたいことに与えられ、それなりに大きな案件も扱った。それは私の武器のように思えた。仕事のことは彼によく話した。だけど、いつからか彼の返事に皮肉さを感じるようになり、話すのをやめた。キャリアウーマンですごいね、なくてはならない存在だねという言葉たち。そういうつもりで言ってないのに…と、どこか彼の言葉がきつく聞こえた。だけど、私はその違和感や不安感に精一杯、蓋をした。蓋をしてまで手放したくなかった。今となってはなぜだろうと不思議に思う程に、その時の私は自分で自分のことが分からなくなっていた。

秋になったころ、高層マンションに住んでいた彼は家を出ると言い出した。そして彼は同棲の話をちらつかせた。

「 2人で住むならこのベッドよりはもっと大きい方がいいね。」

私はそうだね…と言いながら、突然そんなことを言い出す彼に少し戸惑った。ちゃんとした話し合いはしないのに…。やっぱり私もちゃんと言わないとと思い、何度か話し合いを切り出そうとした。だけどその度、彼は曖昧に話をそらした。

彼には趣味があった。そのために自営業をして大金を稼いでいる人だった。特殊と言えば特殊であった。その自営業の内容も簡単にしか聞いてなかったし、何か役に立てればなんてことも思っていた。だけど、仕事に対する価値観や考え方はきっと大きく違っていた。今になって分かるのは、彼は私に合わせていた。最初から、私の好きなタイプに、そして好きな物に全力で合わせてきていた。だけど、それは本来の彼ではなかった。段々と本当の彼を知っていった時、最初に言っていたことと違うことが増えた。私自身も、本当の彼を知って違和感を感じるのは最初から色眼鏡で見ていたのかも知れない。

クリスマスが近づいた頃、私は初めて2人で迎えるクリスマスに心躍っていた。不安がありながらも、明るく何しようかと話をした。そうやって言うことにすら頭を悩ませた。彼からもそれなりに楽しみな返事があって、私は心底安心した。しかしそれは悪夢へのはじまりだった。

不安が募る秋が終わりを迎え、クリスマスムードが街に包まれる。ある時から、また彼からの返事が遅くなった。家を出ると言い出してから、彼の状況がつかめなくなった。そしてついにはクリスマスの1週間前に音信不通になった。私は何かで頭を殴られた気がした。不眠症になり、食事もちゃんと食べられなくなった。ここから自分がもう本来の自分ではないことにようやく自覚した。だけど、もう手遅れだった。怒りさえ起らず、すべての感情を彼の前で押し殺していたせいで、感情がコントロールできなくなった。言いたいことは言えず、言えた時には彼の反応、返事にひどく怯えた。だけど、不思議と彼と少しでも繋がっているという幸福感だけはあり、それがとてつもなく厄介だった。私が少し距離を取り始めると、絶妙なタイミングで歩み寄ってくるところもあった。

私は精神的に彼に依存していた。自分では信じられないぐらい、どっぷりと。それは一種のマインドコントロールのようにさえ思えた。

きっと何かにしがみつきたかった。親にも友達にも、もう結婚だと言われ、心が全くついていかないのに、そうしなくちゃいけないのかという概念に襲われ、それにしがみついていた。そのステータスが欲しかったわけでもないのに。

クリスマスは音信不通になったまま散々な状態で迎えた。それでも仕事があり、仕事に救われた。一人でケーキを買って帰り、1人で食べた。友達に話を聞いてもらいながら。鏡に映った私は泣き笑いをして、可哀そうだった。自分で自分のことを可哀そうだと思えるほどの悲壮感だった。その上、親友とはささいなことで喧嘩もした。彼のことを散々聞いてもらっていたのに、私はひどく親友にやつあたりした。自分はこんなに醜いんだと知り、大嫌いになり、消えてしまいたいと思った。体重はいつの間にか過去最低をマークしていた。

このあたりから記憶も曖昧になっていた。もはや彼自体が幻のようにさえ思った。思考回路はめちゃくちゃだった。強い絶望感に襲われ、完全に壊れていた。そして、生まれて初めてホルモンバランスが崩れ、不正出血をした。不眠が続き、まともにご飯も食べられない中で体も限界だった。自分の体を自分以外の誰が守ってくれるのか。私はこのままではダメだと立ち上がる気力を少しだけ持とうとした。だけど簡単ではなかった。

クリスマス当日の夜、突然彼からメールがあった。メリークリスマスという言葉とこんなのがあるよと写真付きで。私はまたホッとした自分がいた。まだ繋がっている…その安心感は麻薬のようだった。私は冗談交じりに生きてたんだねと返した。なんで連絡なかったのなんて怒ることもしなかった。信じられない。20代に長く付き合ってきた彼氏がそんなことをしたら、怒って喧嘩していただろう。でもまたそれで仲直りして…と。だけど彼とは全くそれができなかった。話し合いさえ避ける彼に、喧嘩なんてもってのほかだった。

それから年を越す前に一度だけ会った。だけど、もう彼は彼ではなかった。顔つきも知っている彼ではなかった。こんな顔をしていたっけと不思議に思うぐらいだった。家を出ると言っていたけど、どうなったのか。彼はホームレス状態だとか冗談めいたことを言い、事務所に寝泊まりしてるとも言ってもみたり、知ってるおじさんの家に寝泊まりさせてもらって紐状態だよとか。なぜか1人暮らしの私の家には居候しようとしなかった。来てもいいよと言っても彼は頑なに拒んだ。ちゃんと私と目を合わさない、話の内容も曖昧で、嘘か本当か分からないことばかり言った。それでも私は往生際が悪かった。別れ話をしようと思ったのに、こんな彼との関係をあえてそのままにした。そこからまたメールが普通に返ってくると、普通に返して終わった。もう終わっていたのに、手放せなかった。私が離れていくように仕向けていたのに。いや、だからだろうか、簡単に引き下がれなかったのは。これは私の失態だ。

気心のしれた仲間たちとの年末の飲み会でこの一連の流れをようやく話せた。話せるようになったことは大きな1歩だった。誰にも否定されたくなかった、大丈夫だと言い聞かせていたから。だけどもうさすがにその糸は切れていた。

「 それ、サイコパスじゃん。」

仲間の一人がそう言うとみんなが納得した。明らかな嘘をつく、都合が悪くなると言動が時々攻撃的、支配的になる。みんなが口をそろえて、さっさと別れろと言った。何を迷っているんだと。そうだ、私だって言うだろう、友だちがそんな人と付き合っていたら。

年を越して、私は徐々にようやくクールダウンしていった。そして決定的な事実が発覚した。彼が趣味でやっていたアプリがあった。やたらと彼はそのアプリをすすめてきたので登録だけはしていたけど使ってはなかった。本当に何気なくそのアプリで彼を検索して発見した。趣味を記録をしていくアプリだった。すると彼のページにリンクされている女性がいて何気なく見た。そのアプリは写真も投稿でき、日記のように管理ができるものだった。そして彼女のページには彼がたくさんいた。私はもう冷めきってきていたので、割と冷静に彼女のページを見た。そしてすべてが腑に落ちた。

彼は同時進行していた。そう、二股していたのだった。

私はショックを通り越し、すごく笑えた。2人は本名で登録していて、彼女の名前をインスタを検索してみるとすぐにヒットした。そして、そこには彼との記録も綴られていた。彼のことを「相方」と呼び、趣味を通じて一緒に色々と出かけていた。彼女とは私よりも半年ぐらい早く出会っていた。私にくれたお土産もインスタにあげられていた。もうひとつは弟にあげると言っていたあのお土産は彼女にだった。彼の誕生日には器用に2日間、私と彼女との時間を作っていた。趣味で海外遠征に行くと言って、マメに海外から写真やら近況を報告してくれていた時も彼女と2人だった。彼女のインスタは恋愛一色だった。私には絶対にできないようなそんな投稿。詩を綴るように彼への想いを書いたりしていた。彼女もまたどっぷりと彼に浸かり切っているのが一目瞭然だった。私は初めて人に吐き気を覚えた。

彼と出会ったのはアプリだった。とてもカジュアルなもので、婚活アプリではない。彼はどこか彼女に満足せずに私と出会ったのだろうか。そして思わず恋を始めてしまったのだろうか。そして、天秤にかけていたのだろうか。

そして最後の最後、彼という人間の本質を知ることになる。確認したいこと、話したいことがあるから会って話がしたいと連絡した。彼は忙しいからこの日ならと1ヵ月後にと提案してきた。馬鹿らしくなった。そして私のインスタから彼女のインスタを発見されないようにブロックまでしていた。私のメールで何かに気づいたのだろう。往生際が悪いのもお互い様だった。

私は幾度となく復讐のような感情に襲われた。二股の事実を彼女にもぶちまけてやろうかとか。彼を問い詰めてやろうかと。私があんなひどく落ち込んで体調まで崩していたのにと。燃え上がるような復讐心が芽生えた。だけど、実際にはできなかった。最後はもうメールでなんとなくそれっぽいことを言って、別れようと送った。彼は仕事でいっぱいになっちゃって、そうさせたかな、ごめんなさい。別れたいなら、別れよう。こちらこそありがとうと無難な言葉がつづられた。彼は最後の最後まで嫌悪感を感じるほど、嘘つきでずるい人間だった。

友達には問い詰めればいいのにと言われたけど、できなかった。自分のプライドがそうさせた。そのプライドはいらなかったかも知れない。だけど今になってこのプライドだけが私を救う唯一のものだった。そう、今になってようやく言える。言う価値もない相手、戦うべき相手ではないことをどこかで分かっていたのだ。

それから1年、私は自分を取り戻す作業に取り掛かった。その工程の中で、私がいかに彼に執着し、支配されていたかもわかった。友達が私らしくないと心配していたことにもようやく気が付いた。言いたいことも言えない、会ってもどこか満たされない、自分が試されているような気持ちになっていたこと。健全ではない。そう、直感は当たっていた。最初に聞いた二面性も、私の勘は間違っていなかった。騙されてないかなぁと言った私も。器用にカメレオンのように2人にいい顔して、最後まで自分に都合の良い方を残らせ続けた。そして私は自ら何も投げつけず、自ら舞台から降りた。唯一、そこだけは今になって良かったと言える。

1年はきつかった。彼の動向が気にならなかったと言えばウソだ。だけど、仕事の環境を変え、自分でこの街で根を張り居場所を見つけようと奮闘した。そして今年になり、私は物事を受け入れ進むことができるようになっていた。ある意味で人に冷め、人間関係に過度な期待ももたなくなった。淡々と生きていくべきだと悟った。挫折、絶望を知ったから。この歳になって初めて。それまでの私は周りに恵まれ、環境にも恵まれていた。恋愛してきた人も本当に良い人たちで、最後は私の我儘で別れていたものばかりだった。そうか、神様はちゃんと試練を与えるんだとも思えた。

この夏ぐらいから、私は今の生活にとても満足し始めていた。一人でいるのが嫌だった部屋が好きになっていた。人の幸せも純粋に心から喜べるようになり、不思議と身内や近しい人たちにめでたい話が続いた。新しい出会いもそれなりに楽しめ、そして本来関わっていた人たちとの関係性を見直した。すると不思議なように導かれるように、彼らは本来の私に戻していってくれた。笑っているようで笑えなかったあの日、何をしても楽しくなかった日が嘘のようになっていた。しがらみは徐々に消えていた。そして、そんな生活の中で行ったアメリカ旅行で私は見事に吹っ切れた。数年ぶりに会った特別な彼は、また新しい世界を、そして可能性を示してくれた。私が最も必要としていた方法で。この年齢で独身、時に感じる厳しい世間体、親の期待など、もうどうってことなくなった。

20代に夢見て色んなことに無敵だった私とはまた違う。この年齢相応の無敵さが身に着いたように思う。

あの辛い日々は今でも遠い幻のように思える。東京生活も地についていない状態で、何もかもが不安定だった。ホームシックにもなっていたし、弱さにつけこまれたんだよとも言われた。だけどすべて彼だけのせいではない。自分で自分を守れるのは、私しかいなかったのに。自らそれを放棄していたのだから。そして生まれて初めてちゃんと自分という人間に向き合ったのだ。

人生における挫折はつきものだ。人はトライ&エラーを繰り返し成長する。人間関係におけることは相当きついこともある。

何かの本で読んだ言葉がある。

” 自己に絶望し、自己を否定しながら、第二の自己を形成していく。絶望とは「生まれ変わる」ための陣痛にほかなりません。絶望こそ、精神が形成しつつあることの最大の証明と言ってよく、人間の特質がここにこそあらわれるのです。絶望したことのない人間は、言うまでもなく落第であります。"


私は第二の自分に出会えたのだろうか。そしてこれからもどこまで自分でいられるだろうか。淡々と生きられるようになったとしても、この先もきっと何かに期待し裏切られるだろう。途方に暮れるぐらい、人生が長く感じる時もあるだろう。それでいて未来は不確かで、未知数なのだから。きっとまた何かに絶望する時もくるだろう。だけど教訓があり、経験値が助けてくれる。絶望しても、きっとそこからまた新しい景色を見るために歩き出せることを、私自身がもう知っている。

何よりも私はこれからも私で生きていかなければならないのだ。いや、生きていきたい。この人生を。

失恋、絶望の記録。
やっと綴れた。
今となっては私の愛すべき負の一説を。

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