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深刻をさやめて、気楽でいる

私たちは良いことも悪いことも、
日々いろいろなことが起きますが、

いつだって、
自分の心を楽にしておくことは
私たちを自由にさせてくれます。


逆に
何事も
深刻にまじめにとらえすぎてしまう人は
自分自身を不自由にしてしまいます。


つまりは、
同じ出来事も捉え方ひとつで
私たちは
自由にも不自由にもなれるものだな、と感じます。

気楽でいる、ということは、
自分自身と闘わないということ。


「なんで私はいつもこうなんだ」
「あの時、あれさえしておけば」
などなど
自分で自分を否定しないこと、


「自分はダメな人間だ」と
自分を批判しないこと、

そして
「私、そういう人だし」と受け入れること。

自分の中にある、
「こうでありたい自分」という
「完成された人格」
という幻想を捨てて、

本来の自分を受け入れる、
本来の自分で生きていくこと、
そのままで堂々と生きるということ、

それが気楽にいる、ということ。


私も、
深刻に物事を考えることをやめて、
気楽に生きることで、

「なぜ私は同じ間違いを繰り返すんだろう」
という自分批判もなくなり、

「あんな人になりたい」
という理想を求めすぎることもなくなり、

この人生で何かを達成しようとか、
あれを手に入れたい、とか
どこかに到達しようとか、

そういうことに、
こだわらなくなりました。


もちろん
こんな自分になれたら、や
目指したい場所、
やりたいこともありますが、

そうならなければいけない、
それをやらなければいけない、と
思うことはなくなりました。


あらゆることは、
起こるときは起きるし、
起きないときは、起きないもので、

何かを手に入れようと、入れまいと、
何が起きようが、起きなかろうが

結局は何も変わらないことを知りました。


私たちはすでに、
すべてを持っているし、
私たちはすでに、
ゴールにいて、
どこにも向かっていない、ということに気づいたなら、

「あ~、そうだったのか」と
身体の力が抜けていきます。


これが今に寛ぐこと、
気楽でいること。


とはいえ、
私たちは日々、いろいろなものを求めますし、
理想や夢を追いかけます。

それは、
今という時間をたのしんでいる、
味わっている、ということ。


追記部分

ひとりひとりが生きることを
深刻にとらえすぎず、

気楽に楽しんで、
気楽に味わうことで

私たちは
もっとスムーズに、
より自由で、
より満たされた世界に生きることができるように
思います。


常に、身体を緩め、
呼吸を深くしておくことで、

深刻になりすぎず、
気を楽にしておくことができます。

アーユルヴェーダやヨガ瞑想の習慣を。

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