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いろんな世界を知っておくといいこと


こんにちは(^^)

前回のnoteで、
「人生は平等ではないが公平である」
って元からそう思ってたかのように書いたけど
そう思うようになったのは
結構最近のことだったみたいで。

ひょんなことから、
そもそもこう思えるのって結構難しいのかな、
自分みたいに世界を見てる人って
意外と珍しいんかな。
てか自分がこう思えるようになったのって
留学してからやん、
こう思えるようになったことって
この留学の一つの大きな成果であって
それを得ることが出来た点で
この留学には大いに有意義だったな。
って気づかされた。

今回は、
なぜ「人生は平等ではないが公平である」
って思うようになったのか、という、
自分の思考の歴史を辿る自己満の回です。

少々長くなりますがお時間ある方、
お付き合いください。


日本にいた時もある程度、
この世界には色んな生き方があって
金稼いで金持ちの暮らしをすることが
たった一つの目指すべき姿でもないし、
日本で生きづらかったら生きやすいとこに
移動すればいいやん、
今持ってる価値観の中で生きづらいなら
その自分の価値観を変えてしまえばいいやん、
って思ってた。

から、ある程度日本にいながらも
広い視野で世界を見ていたと思う。

けど、マレーシアでの留学が始まって以来、
外に出て色んな人と関わってみて、
話してみるうちに
本当に本当の意味で世界が広がった。
生き方も働き方も人それぞれで、
行動基準も優先順位もそれぞれ違ってて
その多様な世界の中では絶対的な正解も不正解も存在しないこと、
自分の持っている価値観は
その中のたった一つの例にしかすぎないこと
を学んだ。

それから、色んな場所に行って
色んな人々の生活を眺めてるうちに、
人間ってそんな自由な生き物じゃなくて、
たまたま生まれた家、地域、国といった
様々なスケールの社会に
ある程度自分の人生を縛られて生きていくものだ
と気づいたというか諦めがついたというか。

留学中、ありがたいことに
様々な場所に足を運び、色んな人や
色んな生活を見ることが出来た。
オーストラリアの港近くの郊外の街は
とてもおしゃれで、人々は私から見たら
かなり優雅に暮らしているように見えた。

一方、スリランカの山奥の路上で野菜を売って
小さな家で最低限の暮らしをしている人たちも
ちらっと見た。

実際に目にはしていないけど、
インターネットを通じて
とんでもないお金持ちの世界も暮らしぶりも、
本当に生きるか死ぬかの狭間で
生きている人のことも知ってる。


路上でゆでとうもろこしを売ってる人たち in Sri Lanka
車窓から見えた素敵な集合住宅 in Australia


言い方は悪いけど自分の上も見て下も見て、
そして自分の暮らしのことも振り返って。
ほんとに上を見てもキリがなく、
下を見てもキリがないなと思った。

スリランカに行ったとき、
自分のとは全然違う世界で人々は生きてるけど

・死なないために生きてて
・生きるために食べて、寝て、うんこしてる

ってことだけは自分にも、スリランカの人にも、
そして世界中の誰にでも共通してるなって
たかのてるこさんの言葉を思い出して納得した。
(スリランカ旅のことはこちらから↓)

所詮人間も動物の、生物の一種。
この地球上で人間という種が絶滅しないために
子孫を残すだけで
別に個々の人生にそもそも意味なんてない。
ただただ死なないために生きるだけ。

でも、何もせずにただ生きるには長すぎるが、
何かを成すには短すぎる私たちの人生。
その一生を「どう生きるか」の部分は
人それぞれ違って、
その違いの大半は運に左右される。

たまたまある程度発展した国の
お金持ちの家に生まれるかもしれんし、
紛争中の国の家庭に生まれるかもしれんし、
そこで何を与えられどう育てられるかは運次第。
そしてその生まれた時に
ある程度決まってしまった人生の未来の部分なら
ある程度までは頑張れば変えていけるけど、
ある程度以上は変えられなかったりするし
少なくとも過去は変えられない。

だから人生ってほぼ運ゲー。
ガチャなど無いと言えば、
この世界の不平等さをどうしたら説明できよう。
親ガチャって言葉が最近よく言われるけど
親ガチャ、国ガチャ、環境ガチャ、、、
ある程度そのガチャで何を出すか、
に人生が大きく左右されてしまうのが現実。

ある程度ガチャに左右されることを受け入れ、
自分の今の位置を理解したうえで
変えたいことがあるなら変えられるように
出来る範囲で努力すること。
それしかなくねって思うようになった。

うちの好きなアメリカの神学者の言葉、

「変えられるものを変える勇気を、
変えられないものを受け入れる冷静さを、
そして両者を識別する知恵を与えたまえ」

まさにこれ

変えられるものと変えられないものを識別して
変えられる範囲のもので変えたいものを
変えていく。
単純な話、他人も世界も変えられないけど
自分の世界の見方くらいは
ちょっと意識すれば簡単に変わる。

人生なんて死なないように生きるだけなんやし、
最低限死なないように身体を保ちながら、
自分の好きなように世界を見て好きなように
生きれる場所で死ぬまで好きに生きれば
いいじゃんって思う。

とあるインフルエンサーが、

「先進国に生まれる確率、17%くらい。
今日も運が良い。」

って言ってるんやけど、ほんまにそうで、
日本に生まれた時点でみんな国ガチャ大成功。
先進国に生まれなければ不幸か、
と言われればそうではないけど
少なくとも先進国の方が
将来に持てる可能性が広がる。

自分で変えられない部分が
大体変えなくてもいい状態であることに
ありがたいと感じているからこそ、
恵まれてると感じてるからこそ、
あとは変えられる部分を好きなように変えて
人生を描いていこうと思っている。

けどこう思えるのって意外と難しいみたいで。
自分がこう思えるようになったのは
自分の引きの強さと、
それゆえに実現したこの留学があってこそ
ってことに気付かされた。

きっかけは、小田急殺傷事件の話をしたとき。
私はこの事件の犯人のことを、
なんて弱い人間なんやろ、と思った。

幸せそうなカップルや新しい服を着ている家族を見ると劣等感を感じるようになり、強い嫉妬を感じた。周囲の人は幸せなのに自分だけが不幸で貧乏くじを引いていると感じ、世の中が灰色に見えた。劣等感が人々や社会への憎しみに変わっていった


https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote72/

「自分かわいそう」って意味を付与しながら
世界を見て、いわゆる勝ち組男性に
なれなかった自分を自分で受け入れない。
運の悪さや過去の失敗をいつまでも嘆き、
自分で変えられる部分を見つけて
変えようともしない。
挙句の果てに他人のせいにするなんて呆れる。

自分が持つ勝ち組、負け組の基準で
勝ち組になれなかったことをそんなに嘆いてさ、
あんたほんまあほちゃう、
って思ってた。

けど、この事件について議論を交わすうちに、
世界の広さを知らない人って
そうなりたくなくても
そうなっちゃうのかもって思った。

言い方は悪いけど、
たまたま成功体験が詰むことが出来ず
もう何やってもあかんやんって自分に、
人生に失望し始め、
その絶望感や劣等感が人々や社会への憎しみに
変わっていくのも、もしかしたら
至極真っ当なことなのかもしれない。

それで犯罪に走ったことは間違っているけど
そう思ってしまうこと自体は
否定できないのかもしれない、と思った。

うちはたまたまそうならなかったけど
生まれ落ちた環境と、
そこから得ることのできた経験次第では、
もしかしたら自分も彼と同じような気持ちに
なってたかもしれない。

私は結果論として自分でコントロールできない運、ガチャの引きが良く、
そんな運に恵まれた人生の中で
運よく留学に行かせてもらうことが出来て、
現地でも素敵な人に囲まれて、
自分の成長につながる経験を得ることが出来て、
色んな生き方、色んな世界の見方、
色んな価値の測り方があることを知り、
正解も不正解も無いんやから、
自分の好きなもの、自分が楽に感じるものを
自分で意図的にチョイスして
自分の心地いいように世界を見ればいい
って思えるようになった。

だから、
大前提としてそれまでの過去の存在があり、
この留学の経験を通じた結果が今の自分。
これが今の自分、今の考え方に至ったプロセス。

当たり前じゃない環境に身をおかせてもらって、
自分にとって大事なことを
学ばせてもらったんだな、
と今までの留学生活を、それから21年間の人生を
振り返って感謝の気持ちでいっぱいです。

おわり︎︎☺︎


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