【アプライド・ドラマ】オーハシヨースケさんのワークショップに参加しました
昨日は、このワークショップに参加してきました!
主催者は、先日もアートセラピーを企画してくれたり、長年フラワーエッセンス療法でお世話になったりしているkyon。さんです。
最近、私の記事にkyon。さんの登場率が高くて、「まいすって奴は他に知り合いがいないんじゃないか」と思い始めてきた人もいるかもしれませんが、決してそうではありません(笑)
でも、kyon。さんがタメになることや、皆で集まって楽しめることを色々提供してくれるので、自然と登場率が高くなるのは確かです。
で、今回はアプライド・ドラマ。
物語の中に入って、演じながら皆で意見を出し合ったり考えたりするという…
実際に受けるまで実態がよくわからなかったんだけど、ちょっと話を聞いただけで何それめっちゃ面白そう!(・∀・)と思いました。
主催したkyon。さんも、「まいすちゃん絶対好きだと思う!!」って。
で、実は前回も案内を受けてたんだけど、仕事と重なって行けなかったんですよね。
だから今回、すごい楽しみにしてたんですよ。
実際に参加してみたら、えっと…
ぶっちゃけ疲れました(笑)
だって、さっそく最初の自己紹介から身体表現をさせられ、そのあともディスカッションや登場人物になりきっての会話などが次々行われて、ありとあらゆるエネルギーを使ったんですよ。
でも学びがたくさんあって、「いや〜すごいもの受けたなぁ」って思いました。
自分の思ってきた「物事の本質」って正しいの?
今回の題材は「白雪姫」でした。
誰もが知っている童話ですが、令和の時代に合ったやんわりした内容ではなく、グリム童話の残酷なやつです。
(だいぶ前に、「本当は怖いグリム童話」って話題になったよね)
私も白雪姫ってやんわりしたストーリーのものしか知らなかったので、「うわぁ」と思ってしまいました。
でも、残酷な内容だからこそ、「何でお妃さまは、そこまで自分の美に執着したのだろうか」とか、「もし白雪姫が毒リンゴを食べずに済んだら、その先の人生どうなっていたのか」という発想が生まれてくるわけです。
私はまず、それ自体が面白いと思いました。
特に私の場合、物事を多面的に見る力が弱いので、「白雪姫ってこういうお話です」って紹介されたら「そうですか」で終わってしまいます。
物語の先や裏側に何があるか、とか、「もしこんな展開だったとしたら?」なんて、考えたこともありませんでした。
でも、私たちが日頃いろんなことを考えているように、童話の登場人物にもそれぞれの考えがあるわけです。
登場人物になりきってそこを追求していくと、物事は決して一つの面だけでできているのではないことがわかります。
そしてそれを知ることで、長年抱いてきた固定概念が良い意味で崩れる、ということが次々と起こりました。
アドリブで喋るって楽じゃないよ(>_<)
ワークショップの中で具体的にやったこととしては、物語を進めながら数人に分かれてディスカッションをしたり、
登場人物になりきって「自分だったらこんな時に何て言うか?」ってのを試してみたりしたんですけども。
正解不正解がないとはいえ、その場で思いついたことをポンポン言っていかなくてはならないっていうのは、意外と大変なものです。
正直、もうこれだけで「無理ですぅ」ってなっちゃう人、結構いると思う。
ヨースケさんは学校などで子どもを対象にアプライド・ドラマを提供しているそうですが、もし私が小学生の頃に学校でやらされたら…考えただけでキツイ(^◇^;)
時代的なものや、田舎という環境もあったと思うけど、何でもジャッジが入る文化だったから。
うっかり変なことを言おうもんなら、授業が終わってからもバカにされ続けたと思います。
だから今思い返してみると、アプライド・ドラマがなくても授業ではみんな模範的なことしか言えなかったよね。
(※もちろんですが、アプライド・ドラマを実践するときは、きちんとルールを決めるとか、安心して取り組める環境づくりがなされていると思います)
時間軸を今に戻しますが、年齢を重ねるに従って考え方って凝り固まってきちゃうし、自分に自信がないと「こんなこと言って大丈夫かな…」って思っちゃう。
私は精神科でSST(ロールプレイなどをしながら、「こんな時はどんな態度や発言が望ましいか」ってのを皆で考える)を受けるなどした経験があるので、自尊心が低めでも頑張って体当たりすることができましたが(笑)
でもやっぱり、普段やってない方法で自分をさらけだすのって、楽なことではないよね。
私は音楽とか、こうして文章を書くことをやっているから、自己表現の手段を複数持っています。
しかし、自分の声や体で気持ちを表現し、目の前の人に伝えることは苦手です。
ていうか、大勢の前でピアノを弾く度胸と、人間関係で円滑にコミュニケーションを取る技術は全くの別物です。
悩みがあっても、周囲に相談できない。
理不尽なことを言われても、すぐに言い返すことができない。
私は幼少期からそれを積み重ねてきてしまったため、成人後にうつ病になったわけです。
今はかなり生きやすくなったけど、やっぱり他人とのコミュニケーションは苦手なままです。
コミュニケーションって面倒くさいんだよね。
私は今回のワークショップで「疲れたなぁ」と感じたことで、ある気づきがありました。
それは「他人とのコミュニケーションは面倒くさい」ということです。
自分の思いを他人に話すのって、ある程度のエネルギーが必要です。
なんか言いたいことがあっても、言ったら疲れるし、必ずしも自分の思い通りに反応してもらえるとは限りません。
だから、言わない方が楽なのです。
そう考えると、他人とぶつかるのって本当に大変です。
感情が高ぶって、自分の醜態を晒してしまうなどのリスクを考えたら、本音は心の中にしまって適当にスルーしたほうがいいや、ってなってしまいます。
私自身、子どもが生まれてみて、夫とコミュニケーションを取るのがこんなに難しくなるものかと実感しました。
些細なことでも、育児で疲れて言う余裕がないのです。
「夫婦って、こうやってすれ違っていくんだな」というのを、身をもって実感しています。
かなりヤバいです。
息子が生まれる前、私たちは今と比べものにならないほど会話をしていました。
夫婦間であまりNGな話題はなく、今もそれは変わらないのですが、まともにお互いの意見を聞いて会話ができる機会は本当に少なくなってしまいました。
だから、世の中にコミュニケーションが苦手な人が多いのも全然不思議じゃないな…と、今回のワークショップで疲れてみて思いました(笑)
「言わなくてもわかるだろう」とか、「察してくれるよね」は幻です。
ちなみに、私はうつがひどい時に何かあるとすぐ「死にたい」と言っていましたが、それは結局「自分を愛してほしい」「寂しい」などという気持ちが裏に隠れていました。
そのことに、本人である私も気づけませんでした。
私は病気になったから精神科で学ぶ機会を得て、言葉のカラクリを知ることができましたが、自分の本当の気持ちがわからない人って世の中たくさんいると思います。
ワークショップの後半では、「自分の欲求を知る」ことに触れ、「"偶然"って何なの?」とか「うまくいかない時期をどう捉えるか」という観点で皆さんとさまざまな話をしました。
一つ一つ書いてたら、本当に10,000文字とかになっちゃうので、割愛しますね(笑)
こういう「大人の学び直し」も必要だと思うよ
私は精神科に長年通い、さまざまな治療プログラムを受けてきました。
先ほど書いたように、アプライド・ドラマと似た要素を持ったプログラムも多少経験しました。
通院が終了すると、当然そのようなプログラムも受けられなくなるわけですが、人間関係の築き方とか、問題が起きた時の解決力とかは病気のあるなしに関係なく、一生の課題になります。
でも、一般社会でそのようなことを学べる場所を探すのは、かなり困難なことです。
だからこういうワークショップの存在は、とてもありがたいと思いました。
ちなみに、ここに書けた感想はほんの一部です。
もっともっと、いろんなことがありましたが、とても書ききれません。
また、アプライド・ドラマの面白さは文字だけでは伝わりません。
何でもそうだけど、実際に参加するのが一番です。
kyon。さんは、今後もヨースケさんを招いてワークショップを開催してくださるそうなのですが、その前に話を聞きたいという人は、言っていただければ話します(・∀・)
うまく伝えられるかわからないけど、ワークショップでの学びを活かして「ああだったよ、こうだったよ」って言いたいと思います。
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