[小説] eternal charm ~未曽有の魔憑き~
「セレン、何か分かった?」
トワは鍵の形をしたペンダントを握りしめて、不安そうな声で言った。
「確かなことは何も。ただ、伝説ならあった。」
セレンは無力感に襲われたやるせない顔をして、俯いていた。セレンの話によると、王国創造物語の一節に後の初代女王となる人物が"未曾有の魔憑き"を倒してこの地の民を助け、この王国が誕生したという描写があるらしい。さすがは王立図書館。気が遠くなるほど昔の王国誕生の時代の出来事も詳細に記録されている。
「その"未曾有の魔憑き"が呪いをかけられる魔憑きのことなの?」
「それはわからない。資料にはただ"未曾有の魔憑き"としか書かれていない。」
それを聞いたトワの顔は期待の色から再び不安の色に変わっていた。
「トワ、森に何か変化はあったか?」
「何も。」
ただ首を横に振ることしかできず、トワの表情はいつになく沈んでいた。魔憑きが呪いをかけるという不可解な事件が起きたにも関わらず何の変化もないことに動揺を隠せずにいた。森はこの世の様子を教えてくれる。"地の恵"の豊作・凶作や空の様子、来訪者など。森は様々なことを教えてくれる。それなのに…。
「資料の原典ならもっと詳しいことが分かるかもしれない。我は調査を続ける。」
こういう時、セレンは頼もしかった。トワは直感でこの世の様子を捉えているため何かの理由で直感がかき消されるとひどく不安が渦巻くが、理論家のセレンはいつも冷静にこの世の様子を分析できる。
「トワも何かあったらすぐに伝えてほしい。」
「分かった。」
ここでセレンとの通信は切れた。トワはもう一度空を見上げる。空はトワが最初に異変に気づいた時と同じようにほんの少し灰色がかっていた。しかしだからと言って何の気配も感じなかった。風がトワの頬を撫でる。やはり何の気配も感じない。いつもと同じ透明な風だ。こんなに気配を感じられないことなんて今まで一度たりともなかったはず。どうしていきなり、何も感じないのだろう。先ほどよりも激しく不安が渦巻いているトワの表情はますます暗くなった。
「…以上で先の事件の報告と致します。」
何の手がかりも見つけられないまま女王様に報告するのは気が重かった。セレンはあの後資料の原典を血眼になって読んだが、結局"未曾有の魔憑き"という記述しか見つけられなかった。ことの顛末を話したのはセレンだったが、セレンの側にいたトワは胸が締め付けられる思いだった。トワには"光の間"の空気がいつになくピンと張り詰めているように感じられた。
「トワですら、何も感じなかったのですか?」
女王様はトワを見据えてゆっくり口を開いた。
「…はい、おばあさま。」
トワは顔を上げることができなかった。身体が鉛になったかのように重かった。
「セレンは何か感じましたか?」
今度はセレンの方に目をやって女王様が言った。
「いえ、何も。」
さすがにセレンの表情も暗かった。二人の話を聞いた女王様は神妙な顔つきで何かを考えているようだった。"光の間"に沈黙が走った。その場にいる誰もが女王様の言葉を待っていた。
「予も何も感じていません。しかし、"天の図"が今までにない姿をしています。」
その場にいた全員が耳を疑った。"天の図"はごく一部の才を持つ者しか読み解くことのできないものであり、未来に起こることの予兆を見せる。"天の図"が悪い予兆を見せたというのなら分かるが、今までにない姿というのは皆の不安を増幅させた。
「予は"天の図"の様子に留意します。二人も調査を続けてください。」
「セレン、どうしよう。」
トワは今にも泣き出してしまいそうな顔でセレンを見つめていた。身体の前で軽く握っている手は小刻みに震えていた。セレンはそんなトワを安心させようといつも通りの冷静を装っていたが、内心不安で仕方なかった。
「トワのことは我が必ず守る。」
セレンは真剣な眼差しでトワを見ていたが、トワの表情は変わらなかった。
「どうして、何の気配も感じないの?」
トワは不安と恐怖で全身が怯えていた。その様子はほんの少し触れたらバラバラに砕けてしまうガラス細工のように儚かった。セレンは何も言わずにただトワを見つめていた。どのくらいの時が経ったのだろうか。二人は寄り添い合っていた。言葉は何も交わしていないが、お互い全てを分かっているかのようだった。
「怖い。」
トワの頬を一筋の透明な光が流れ、落ちた。先ほどよりも激しく全身が震え、急に小さく縮こまったように感じられた。
「大丈夫、我がついている。」
セレンはそれ以上は何も言わずに涙を流し続けるトワに寄り添っていた。やがてトワの涙は止まり、安心した様子で静かに夢の世界へ沈んでいった。
「ごきげんよう、トワ様。」
「ごきげんよう…。」
いつかと違い王立魔法学院の院生に声をかけられても、トワの気分は沈んでいた。
「今日は休んでもよかったのだぞ。」
セレンは心配そうな顔でトワを見つめていた。
「いいえ。学院で何か起こるかもしれないのに、休むなんてできない。」
トワの頭の中には、昨夜見た夢が浮かんでいた。セレンに付き添われて眠りについた後、トワは恐ろしい夢を見た。
真っ暗闇の中でトワはたった一人きりで立っていた。最初は何の気配も感じなかったが、徐々に複数の魔憑きがトワの周りを囲む気配がした。魔憑きたちは、トワの周りを回り始めその動きはどんどん早くなった。魔憑きたちの動きは目で追えないくらい早くなり、トワは意識が遠のくのを感じ、視界がぼやけ始めた。
(魔憑きの大群!?どこに向かっているの?)
嫌な予感が芽生えたトワは髪の毛が乱れるのも構わず魔憑きの大群を必死に追いかけた。
(待って、待って。)
魔憑きの大群の動きがゆっくりになり、やがて止まった。
(ここは、王立魔法学院。)
見知った場所に辿り着いたトワは胸を撫で下ろした。しかし、この安心はすぐに大いに裏切られた。魔憑きの大群は王立魔法学院に続く石畳を直進し、大きな門へ流れ込んでいった。その直後、門の内側から何人もの悲鳴がトワの耳に飛び込んできた。
(皆を助けなければ。)
トワは反射的にそう思い、強い意志を持って門をくぐった。
(?!)
そこには地獄絵図のような光景が広がっていた。広場で大勢の学生が地面に這いつくばり、魔憑きに身体を乗っ取られ、命の灯火が消えようとしていた。
(どうなっているの?セレン、セレン!)
トワは声が恐怖に震えまともに喋れなかったが、必死でセレンの姿を探した。
(トワ!)
聞き慣れたセレンの声がトワの正面から飛んできて、トワは心から安心し、顔を緩ませた。
(セレン!)
(トワ!…)
その瞬間、トワの顔から血の気が消えた。あとほんの少しでトワの手に触れようとしていたセレンの手に触れられなかったのだ。セレンはトワの目の前で魔憑きの本体である魔物の攻撃によって一瞬にして消え去ってしまった。トワは何が起きたのか理解できなかった。セレンが最後にトワの名を呼んだ声が頭の中でこだました。その声が突然切れ、トワは心臓が止まる思いがし、その場にガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
(セレン…!)
トワは悲痛な声で叫び、訳もわからず嗚咽混じりに大量の涙を放出していた。
「…ワ!トワ!」
トワははっとして目を開いた。目の前には先ほど魔物に消されたはずのセレンの顔があった。
「ゆ…め…?」
その瞬間トワの緊張の糸がプツンと音を立てて切れ、セレンに抱きつき、溢れんばかりの涙を流し続けた。
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