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[小説] eternal charm ~闇と光~


「ゴォォォォォ!」

強烈な邪気と怒りの気配を感じて振り返ると、見たこともないほどの恐ろしい形相をした魔物が怒りに震えていた。自分の術を破られたことが相当癪に触ったようだ。身の危険を感じたトワは即座にシールドを張った。

「これからどうする?トワ。」

セレンは鋭い目で魔物を睨みつつ緊迫した声で聞いた。

「きっとこれが特殊な魔憑きを創り出した本体。魔物も特殊だろうから、セレン、分析をお願い。」

セレンは心得たという風に頷き、魔物に向かって飛び立った。

「ミア、大丈夫?」

硬直し血の気の引いた顔をしているミアを心配し、トワは声をかけた。ミアはトワに問いかけられても唇がかすかに震えるだけで言葉を発することができなかった。魔物の術によって闇の中に一人取り残されたことが相当こたえているらしい。

「ト、トワ様…わ、私…」

振り絞るような震えた声はすぐに涙声に変わった。トワやセレンと離れ離れになり闇の中に放り出されたこと、トワに助けられるまで何もできなかったこと、そして今も恐怖で何もできないこと。ミアにはそのどれもが悔しかった。セレンのようにすぐに平常心を取り戻し、トワの役に立ちたかった。トワはそんな様子からミアの心の中の悲痛な叫びを感じ取り、ミアの肩に触れた。

「大丈夫。ミアが無事戻ってきた。それだけで充分。」

全てを包み込むような優しい声はミアの恐怖に震えた心を落ち着かせた。

「でも、トワ様…」

堰を切ったようにミアの瞳から大粒の涙が次々こぼれ落ちた。トワは何も言わずミアを抱きしめた。ミアの手を握るトワの手はとても温かく、ミアを心底安心させ力を漲らせた。トワの温かさに包まれてやがてミアは泣き止み、呼吸も落ち着いた。

「もう大丈夫です、トワ様。ありがとうございます。」

緊張の色は残っているが、普段の落ち着きを取り戻したようだった。それを見たトワは安堵し微笑んだ。

「トワ。」

「セレン。」

セレンが魔物の調査から戻ってきた。その顔は魔物の邪気に僅かに歪んでおり、険しさが滲んでいた。魔物を倒すためのめぼしい手掛かりは得られなかったようだ。魔物は通常、攻撃魔法を使って倒す。特に光魔法には弱い。しかし、目の前にいる魔物は明らかに特殊だ。普通の魔物と同じ方法で倒せるとは到底思えない。

「あぁっ。」

トワとセレンが魔物の倒し方を思案していた時、後ろからミアの声が聞こえた。魔物の攻撃がトワの創ったシールドを突き破ったようだ。

「このままじゃシールドが破られる。今はとにかく攻撃を食い止めなければ。」

三人は臨戦態勢に入った。怒りに狂い容赦なく放たれる魔物の攻撃に応戦した。しかし、さすがの三人も攻撃を跳ね返すので精一杯で魔物にダメージを負わせることはできなかった。だんだん疲労の色が浮かんでくる。このままでは勝ち目がない。トワが考えを巡らせていると、隣から鋭い声が飛び込んできた。

「闇と光。」

闇と光。相反するもの。

「闇魔法と光魔法の融合で強大な魔憑きを倒したという文献を見たことがある。」

セレンは攻撃の手を緩めずにトワの方をちらりと見て言った。トワは考え込んでいた。確かにそのような話を聞いたことはある。しかし、今ここで実現できるとは思えなかった。光魔法はミアが使える。だが、トワもセレンも闇魔法は使えない。トワはかつてペンダントの力によって闇魔法を使えたが、ペンダントを失った今、その力はない。

「やってみましょう!」

ミアの力強い声が聞こえてきた。決意を滲ませた顔がこちらに向けられている。トワはミアの気概を感じ取り、心を決め頷いた。ミアは手のひらを上に向け、魔力を込めた。みるみるうちに白く輝く光が集まってきた。不安が渦巻く中、トワもミアに続いて手に魔力を込めた。しかし、闇魔法を使うのに充分な魔力が集まってもトワの手に闇は集まらなかった。

「やっぱり、ダメみたい。」

トワは肩を落とした。ミアに応えられない自分が情けなかった。

「諦めるのはまだ早い。」

いつもの冷静な声でセレンが言った。その声は少しトワを落ち着かせた。

「我がやってみる。」

セレンならできるかもしれない。魔力の源である月が出ている今ならできるかもしれない。トワの中に希望が芽生えた。セレンの真剣な眼差しは月明かりに照らされていた。

セレンは一点に魔力を集中させた。これまでの魔憑きや魔物とのやり合いによる魔力の消耗と疲労によって少し苦戦していた。しかし、何とか充分な魔力が集まってもやはり闇は集まらなかった。セレンはがっくりと膝を落とした。息が上がっていた。

「ゴォォォォォ!」

体力を削られていく三人とは対照的に魔物は力を増していた。三人が戦闘不能に陥るのも時間の問題だ。早く何とかしなければ。そう焦るほど頭は錯乱した。とにかく別の案が考えつくまで魔物の攻撃を阻止することに徹した。

しかし、人間の体力は有限だ。次々繰り出される魔物の攻撃魔法に対応するのは容易ではなく、三人はだんだんと体力が削られていき、疲弊し切っていた。

(もう、持ち堪えられない…)

魔物の攻撃に反撃することも避けることもできず、トワはぎゅっと目を瞑った。しばしの沈黙。突然、魔物の攻撃が止んだように思われた。

状況を確かめようとゆっくり片目を開いた。見ると、三人の周りは巨大なバブルが囲まれていた。このバブルがシールドとなり、三人を魔物の攻撃から守ってくれたようだ。

「この魔法は、あばあさま?!」

トワは思わず振り返った。女王様が額に汗を浮かべて力走していた。

「女王様?!」

トワの声に反応して、セレンとミアも振り向いた。

「事の顛末が分かりました。心して聞いてください。」

女王様は非常事態であるにも関わらず落ち着いていて、女王の威厳を感じさせた。事の顛末と聞いて三人は不可解そうな色を浮かべた。

「この魔物も今までの魔憑きも悪意のある魔法使いに操られていました。この王国を属国にしようと企む隣国の王族です。今日未明、それが判明し速やかに然るべき措置を講じました。しかし、操られた魔物は暴走し、もはやかの者たちにも手に負えなくなっています。」

三人は目を剥いた。隣国がこの王国を属国にしようと目論んでいるという話は風の噂で聞いたことがあったが、皆ただの悪い噂だと思っていた。まさか魔の手が実際に動いていたとは夢にも思わなかった。

「魔物はどうするのですか?」

セレンの顔がひきつっていた。創り出した者でさえ制御できない。最悪、誰にも止められず、森が、国が荒らされ尽くす情景が脳裏をかすめた。

「闇と光。」

女王様の凛とした声が辺りに響いた。三人は顔を見合わせた。闇と光。セレンの見た文献は神話ではなく、事実だったようだ。

しかし、闇魔法を使える者はこの中にはいない。光魔法と闇魔法はどちらかしか使えない。ミアと女王様は光魔法、トワとセレンは闇魔法だ。一人で両方使うことはできない。

闇魔法を使うには途方もなく膨大な魔力が必要だ。王立魔法学院で他を凌ぐ実力を持つトワとセレンでさえ使えなかったのだ。この二人を置いて誰が使えるというのだろうか。

トワは唸った。自分もセレンも闇魔法は使えなかった。しかし、この状況で闇と光以外の打開策があるとは思えなかった。このまま何もできずに森が、国が荒らされ続けるのを傍観するだけなのか。

知らず知らずのうちに涙がこぼれ落ちていた。一度溢れ出すと自分では止められなかった。震える肩にセレンの手が触れた。とても温かく大きく感じられた。肩に触れられた手から伝わってくるセレンの温もりはトワの心を落ち着かせ、不思議と勇気を湧き上がらせた。

はっとしてトワは顔を上げた。どうして今まで気づかなかったのだろう。どうして自分一人でどうにかしようとしていたのだろう。こんなにいい方法があったではないか。

「二人でやろう。」

トワは遥か彼方を見据えるように言った。放たれた声は澄んでいて、固い決意が滲み出ていた。セレンはトワの言っていることをすぐには理解できず、しばし身体を硬直させた。月が沈みかけている。

「二人なら、できる。」

今度はセレンをまっすぐ見つめて言った。セレンに向けられたトワの目には強い心胸が宿っていた。セレンはそれに応えるように強い目でトワを見つめ返した。二人はミアに向き直り、目を合わせ頷き合った。

ミアは目を閉じ、手に魔力を集中させた。先ほどよりも強く白い光が三人を照らした。ミアの目に迷いはなかった。

トワとセレンは手を握り、視線を交差させた。お互いの温かさが、優しさが、強さが握り合った手を通して全身に染み込んでくる。トワはセレンを信じ、セレンはトワを信じた。二人には一抹の不安もなかった。

時間が止まったように感じた。瞬間、トワとセレンが繋いだ手から闇が生まれた。闇はみるみる広がり辺り一帯を包んだ。闇は光を飲み込み、飲み込まれた光は闇と溶け合った。

その光景はこの世のものとは思えないほど美しく、幻想的だった。それを創り出した本人でさえ見惚れてしまうほどに。融合した闇と光は魔物の邪気を一瞬にして払い去り、魔物の姿は消えた。





森には、トワとセレン、ミア、女王様と静寂だけが残った。空気が止まり、もはや何の気配もしなかった。先ほどまで強烈な邪気を放ち奇声を上げていた魔物は跡形もなく消え、夢か幻だったのではないかと錯覚してしまいそうになる。

風が頬に触れ、すり抜けていく。透明な軽やかな風だった。木々は鬱蒼と茂り、鳥たちが歌い始める。小動物が森の奥へと駆けていく。何事もなかったかのように世界は回り出した。もう全て終わったのだ。

あまりの変わりようにしばらく動けなかった。回り出した世界が身体に入り込み、ゆっくり思考を動かしていく。トワは思い出したように極度の疲労を全身に受け、その場に力なく座り込んだ。魔物はいない。邪気も感じない。いつもと変わらない世界。

安堵がトワを襲い、トワの心の関が決壊した。何の抵抗もなく涙が溢れ出る。自分が何で泣いているのか、どんな感情を抱いているのかさえわからない。ただただ涙が溢れ出る。

セレンもミアもしばらくは何も考えられなかった。幻のように一瞬で過ぎ去った嵐。一夜の儚い夢。そう言われた方がずっと理解できる。けれど、あれは紛れもない現実だ。目の前で起こったことだ。

ようやく頭が動き出した頃には側でトワが感情という感情を放出していた。何を考えているのかはわからない。しかし緊張の糸が切れたことだけははっきり分かった。

セレンはしっかりとした足取りでトワに歩み寄った。膝を折り、トワの身体にゆっくり腕を絡めた。トワの熱が腕を伝ってくる。激しく揺れていたトワの肩が落ち着いてきた。

「ありがとう、セレン。」

涙で潤んだ目がセレンをじっと覗き込んだ。セレンに向けられた顔は涙でぐちゃぐちゃだったが、その顔は世界の何よりも美しかった。

「ありがとう、トワ。」

セレンは再びトワを抱きしめた。今度はトワもセレンの背に手を回した。温かなものが身体を駆け巡った。日が昇っても二人は抱き合い続けた。お互いの温もりを、信頼を全身で受けながら。




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