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【今日のリサゼイトトピック】今日の日本ニュース;誰に合わせた世界なのか

日本人は本当に真面目だ。約束は行ったからには実行されないといけないと思っているし、時間は5分前行動と学校で教えられた。

たとえばKIWIの友人が「今度ごはんいこう」と言われた私は「いつ?」と聞き返すと同時に(あ、違う、ここは日本じゃない)ととっさに「そうだね」に言い換える。

パーティーに招待されたら時間きっちり行くものはいない。1時間でも2時間でも遅れてくる。

学校の休みが始まるとき、例えば今週末から2週間といわれたら、日本人は土曜日を1と数えるが、こちらでは金曜日からもう始まっている。その朝こどもが学校に行くのに。

$1でも$2でも借りたら返すのが日本人だ。こちらは「それぐらい」という人がほとんど。

日本人は自分のもってる理念が強い。あっていようがあってまいが人に押し付ける時がある。例えば、友達のことを理解しようではなく「自分に合う友達になって」という態度の人が多い。特に40代から上の人たちだ。島国満載の考え方である。

日本人からしたら大雑把に見えるこの文化。でも文化というものは最近始まったものではない。比べることは実はできない。

昔日本人の子供たちが学校の後も塾に行って朝から晩まで勉強の毎日でそれでも希望の大学に入れるようにと親は熱くなり、友達と遊ぶ時間はなく、模試だ、中期テストだと学校以外でも試験の嵐という時期があった。それは海外からも指摘され日本人は子供の時から働き過ぎだといわれ続けてきた。

得意だからと言ってそれが将来やっていきたい科目とは限らない。ただ日本の親はそれを勧める。自分が出来なかったことを託すかのように。子供は窮屈になる。ストレスを抱える。

こちらはそういうことは全くないわけではない。やはり裕福な家庭の子供たちは“いい学校“に行かされ学業を終え海外の大学へという道のりだ。塾というものはないけれど家庭教師程度の学習のサポート程度の教師はいるだろう。ただ今でもファームの子供たちは小さい頃から親の経営を見ている自然と動物たちの関わる仕事を覚えている。そして大きくなった時には農業や獣医の道に進む、つまり親の背中を見て育っている子供たちが多い。親が子供の成長と共に自然と教えている事がたくさんあるのだ。塾に行くことよりも”生きる”うえで大事なことだ。

私達は自分の育った物差しで人やその環境を図っている。それらを比べて、彼らは働き過ぎだの、競争率がないからほんわかしているだのと決めている。が、とうの本人たちはその比べられるターゲットを知らない。知らないというよりその考え方自体ないのだ。つまりそれは比べる人の、比べて自分に合わせようとしている人の単なる癖である。それでは視野が狭くなり知識や学習の機会を逃がしてしまっている。それが“世間知らず”の日本人を作ってしまったようなものだ。

最近の若い人たちは海外に出てしたい事をする、言葉を頑張って取得するといった試み、ましてや事業をはじめどんどん稼いでいこうとしているではないか。

日本人は一度は世界に羽ばたくべきである。島国日本を島国でおわらせないためにも。差別はあるだろう。言葉の壁ももちろんある。しかし民族的な考え方の違いや宗教的な生き方をしている人、もっと外にでて多くの人に出会うべきである。そうすると自分では”普通”と思っていたこと、”当たり前”と思っていたことに気づかされる。そうして島国人から世界人へと少しづつ変わっていけるのだ。

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