自分の価値に悩んだ時には「勿体ない」が効く

 最近まで私は「勿体ない」って言葉に対して悪いイメージを持っていた。
 原因は昨今の断捨離ブームの報道だ。「まだ使えるのに、捨てるなんて勿体ない」と言って明らかに不要な物をなかなか捨てられなくてごみ屋敷にしてしまった人たちの話を何度も見ている。片付けの時も「勿体ないから」と言って捨てる事を断固拒否して片付けが進まない。その為、私は勿体ないという言葉は悪い言葉だと勝手に思っていたのだ。
 ところが、もったいないという言葉について調べてみると、「一般的には、物の価値を十分生かしきれておらず無駄になっている状態や行為を戒める意味で使う」と書いてあった。事実、メディアに出てくる断捨離の専門家は「まだ使えるのにと残すだけ残して、物を使っていないことの方がよっぽど勿体ない」と勿体ないと言って物を捨てようとしない人たちを咎めていた。
 悪いイメージは勘違いだったと知って恥ずかしくなった。

 「勿体ない」について調べていく中で、私は8年位前の事を思い出した。
 私は当時大好きだったお笑い芸人Aが出演するお笑いライブを観に行っていた。A以外にも何組か芸人が出演していて、中にはテレビにもちらほらと出演して人気を博していたお笑いコンビBもいた。観客の多くはそのコンビのファンで、私の背後にもそのコンビのファンが固まっていた。
 そしてお笑いライブが始まると、私が当時推していた芸人が最初に出てきた。最初に出てきた、嬉しいと私が思っていたその瞬間。背後から小声で不満げな声が聞こえて来た。
「あの芸人誰?それよりBの2人は?」
 私はそれを聞いて腹が立った。確かにAはBに比べれば知らない人の方が多い。そんな芸人がLを差し置いて先に出てきた事が不満だからってその言い方はないだろう。Aは勿論、Bに対しても失礼だ。彼らは同じ時期にデビューしてから切磋琢磨してきた、ずっと仲の良い2組なのに。私はAもBも両方好きだからどちらが先に出てきても嬉しいのに。
 この話を私は知人に怒りながらぶちまけた。それを黙って聞いていた知人は私に対して、こう言った。
「それは勿体ないね。その人たちはBの2人の事しか楽しめてないんだもの。アイナちゃんみたいにAもBも両方好きだったらライブを2倍楽しめるのに」
 それを聞いた時に私は目から鱗が落ちた。
 ライブの間、彼女たちへの怒りでずっと私はもやもやしてライブを十分に楽しめていなかった。だけどもしも「Aを知らないなんて、勿体ないな」という考え方が出来ていれば、私は気持ちを切り替えてそのライブを楽しめていたはずなのに。実に勿体ない事をした、と思って反省した。
 
 それを思い出して、私は「勿体ない」という言葉を用いて人生最大のトラウマを考え直してみた。それは中学の担任教師から「君は就職も結婚も出来ない」と言われた事だ。
 私は小学生の頃から周囲に問題児認定されていた。授業中に何度も質問して授業をしょっちゅう中断させていたからだ。授業を妨害されたクラスメートからは顰蹙を買い、教師たちも頭を抱えていた。両親も毎日のように学校側から叱られていた。
 当時の私はその時に疑問が浮かんでしまうと気になって授業に集中できなくなった。だから早く解決したくて、すぐに質問していただけ。なので、多くの人間から叱られても「だって疑問に思ったらすぐに解決したいし。それに皆だって授業中に質問するじゃん」と納得できていなかった。
 中学に行っても、授業中に質問しすぎる事は直らなかった。業を煮やした担任は、三者面談の時に私の授業の妨害を含めた様々な問題点を指摘したうえで私に「君は就職も結婚も出来ない」と言ったというわけだ。
 先生はただ問題行動を直してほしくてそう言ったのだろう。だが、その時の私は自分の人生に絶望し、自分の価値を否定して自分を嫌いになっただけで終わった。齢13歳にして人生を否定されたトラウマは、今でもたまにフラッシュバックして気分を憂鬱にしていた。

 さて、このトラウマに「勿体ない」という言葉を使ってみるとこうなる。
「私の人生をただ否定する事しか言ってくれなかったなんて勿体ない。だってあの時点で、どうすればいいのかを一緒に考えてくれていたらもっと早くに授業中の質問をやめていたんだから」
 ……私の授業中に質問しすぎるという問題行動は高校に上がってからも直らなかった。しかし中学の時と違い、高校の担任からアドバイスを貰えた。
「授業中に疑問に思ったら、言う前にノートに書き留めておきなさい。授業中に疑問が解消したらその疑問は消して、残った疑問だけを授業が終わったら先生に聞きに行きなさい」
 担任に言われた通りに早速やってみると、思い浮かんでいた疑問は先生が後で答えてくれたのに気づいた。待っていれば先生が答えてくれるかもしれないから、すぐに質問する必要はないと理解出来た。
 その後もずっとアドバイス通りに授業を受けていたので、授業中の質問はほとんどなくなった。最後まで残った疑問は先生が余裕のある授業後や放課後に聞きに行くようになったので、より丁寧にわかりやすく教えてくれた。
 気づくと誰からも授業の妨害で人から怒られることは無くなり、先生から授業態度や成績を褒められた。その結果私は高い内申点を引っ提げて指定校推薦で第一志望の大学に入学する事が出来た。
 その後私は今、就職して働いている。結婚はしていないが結婚を前提にお付き合いした方は過去にいる。中学の担任の予言はありがたい事に無事に外れたのだ。そういう意味でも高校の担任には感謝しかない。
 ……問題児だと評されていた時点で私の価値は高くない。だけど私の事を受け入れて、一緒に私自身の生かし方を考えてくれる人たちのおかげで私は今日も必要とされる存在として生きていける。

 皆も自分の存在価値に悩んだ時、否定したくなった時はだまされたと思って、魔法の呪文「勿体ない」を唱えてみてほしい。この言葉は思った以上に効く。

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