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第8話:カードの請求書、ドキドキ開封イベント、これ何だったんだっけ?

月末になると、郵便受けをのぞく時にそわそわする。クレジットカードの請求書が届くのだ。
わが家は家計費のほぼすべてをクレジットカード払いにしている。そのため請求額はけっこうなものになる。
夫の出張費も一度立て替えるから、出張が重なった時にはどえらい金額になることがある。
封筒に入っている紙の半分はチラシの類だとわかっていても、その厚みと、ふつうのダイレクトメールよりもずっしりとした重みににどんよりとした気持ちになる。

月イチ開封イベント

でもどんよりとした気持ちになることはないのだ。だってすべて自分と夫が使ったお金。家計簿もまじめに(月3回くらいだけど)つけている。いくら消費したかもだいたいわかっている。
なのに、毎回ドキドキする。
封を破り、かさかさと開き、その額に目を丸くしながら軽くのけぞる、という月末の一連の開封イベント。

でもこれ、なんかばかみたいだ。だってネットで全部確認できる。
今のところ使った額、みたいなのが随時更新されているからそっちを見る方が早い。
しかもわたしはエクセルで家計簿をつけているから、紙の請求書とエクセルをにらめっこするなんて、非効率だった。
請求額確定のお知らせも、メールで送ってくれるから見落としもない。
気づいて速攻で、WEB明細に切り替えた。
唯一めんどうだなと思うのは、IDとパスワードの管理。でも、エクセルに一枚シートを追加して、そこにIDとパスを書いておくことで、これまた速攻で解決した。
家計簿ファイルには、パスワード設定をした。

なんのための開封イベント?

毎月の「ドキドキ開封イベント」はなんのために行っていたのだったっけ。
確かに郵便受けに請求書が入っていると、「あ、翌月10日までに銀行にお金入れとかなきゃ」と気づく。
玄関に入って靴をぬぎながらビリビリと開封して、即座に確認できる。
でもそれだけだ。

これもまた「あたりまえ」になっていて、見直すこともなかった。
請求書が送られてくることがあたりまえ。
わたし達が使ったお金を計算してくれる人、そのデータを印刷・封入・発送してくれる人、それをわたしの家まで届けてくれる人。そして、紙。
さらにはそれを捨てた時に、ごみ処理場までもっていってくれる人、処理してくれる人。
わたしのたった月イチの「ドキドキ開封イベント」のために、こんなにもたくさんのコストがかかっていたのかと思うと、大変申し訳なくなる。

腹をくくって「いらないです」

同様に、これまで送られていた会員誌や通販カタログもいらないと気づいた。
会員誌には、一刻も早くわたしのことを旅立たせようとあおる情報がわんさと載っている。
でもその情報はいかんせんきらびやかすぎて、旅行へ行ったとしても宿泊先の選択肢にまだユースホステルが残っているような、バックパッカー癖のついたわたしにはもったいなさすぎる。
通販カタログは、引っ越したてでそろえなければいけない家具がたくさんあった時に取りよせ、そのまま数年間受け取り続けていた。
パラっとめくりはするが、すぐ雑誌ごみ入れ行きになってしまう。


こうした雑誌は、情報の有用性は置いておいたとしても「ごみ」としては最悪の部類に属すると思っている。
ビニール袋の包装、本誌、あて名の書いた紙、チラシ、何なら注文用紙。
分別がわずらわしい。

いちいち「いらないです」と連絡するのがめんどうだったからそのままにしていた。けれど、これも配送停止手続きをした。

1回めんどうくさい思いをすれば、全て解放される。
学校の宿題とか仕事でかけなくちゃいけない気の重い電話とか、腹をくくって終わらせてしまえばスッキリすることなんか何百回・何千回としてきた。
それなのに、その経験が全然生かされていなかった。

子育ても消費者との関係も、“甘やかしすぎない”でいいんじゃ…?

こんなこと余計なお世話かもしれないけれど、企業は消費者に親切すぎると思う。
こちらがまだ望んでいないことを「潜在的需要」と称してサービスとして提供してくれる。
わたしが会社員をしていたときも、このワードはよく社内で飛び交っていた。
「潜在的」と言えば未来を感じてわくわくするが、要するに「今は特に必要じゃないです」と言っているようなものだ。

企業は、もっとわたし達に厳しく接してくれてかまわない。
子どもも、何でもかんでも親が先回りしてやってあげるとそのうちやってもらうことがあたりまえになる。
やってあげないととたんに「どうして!今までしてくれてたのに!ぷんぷん!」となる。
だからこれから何かのサービスを始めたりする時は、やってあげないベースでいいと思うのだ。
これからどんどん人口も減ってしまう。助けてあげられる人と助けが必要な人の数が逆転する。
そうなった時、あいかわらずお世話してもらうことがあたりまえ、という人たちばっかりだったら困ってしまう。困ってしまうのは、わたしの子ども世代。困らせるのはわたし達世代。



うちは夫が不在のことが多いから、子どもたちから「困った!」のレスキュー要請が出たときにしかわたしは出動しない。というか、できない。
上の子は言葉でのレスキュー要請ががへたくそで、「におわせ」でわたしからの「どうしたの?」という言葉を待っている。どっかの女優みたいじゃないか。
でもそんなのフェアじゃない、困っているのはアナタなのだから、自分から「●●してほしい」とお願いしなくちゃ。
そう昨日の夜にお説教したばかりだ。
そう、自分のことなのに、してもらうのを待っているのはフェアじゃない。

そうなのだ、企業ばかりが悪いわけではない。
わたしが甘えていたから、甘やかしてくれていたのだ。
はい、ちゃんとします。WEBでちゃんと見ます。
自分のお金くらい、自分で管理します。
すみませんでした。

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