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第4話:ミナペルホネンというエシカル消費

わたしの母は潔癖症で、
不特定多数の人がふれたものに嫌悪感を示した。
図書館の本は汚いから、読んだら手を洗えと教わり、
公衆浴場のバスマットははじっこ(人が使っていないところ)に乗れと言われ、
バスや電車のつり革には、何があってもつかまるなと言われた。
だから、誰が袖を通したかわからない古着を買うなんてもっての外だった。

気後れのミナペルホネン

ミナペルホネン。https://www.mina-perhonen.jp/
習っていた刺繍教室の近所にお店があり、
教室の帰りにふらりと立ち寄ったりしていた。
ふわっとかわいらしく、時にとがった部分もあり、けれど芯を感じるデザインにうっとりした。
値札をぺろりとめくると、ただの会社員が卒倒するようなお値段で、
心なし頭を垂れながらそっと戻したことが何度もある。

「値札をぺろりとめくる→そっと戻す」日々をくりかえし、
長い月日の間で購入できたのはお盆とブローチだけだった。

値段だけではない。
「ふわっとかわいらしく、時にとがった部分もあり、けれど芯を感じる」というわたしの主観的なコンセプトに、
自分自身はまったくふさわしくないと、勝手に気後れしていた。

「つづく」

昨冬、東京都現代美術館で開催されたミナペルホネンの展覧会「つづく」に行ってきた。
時間ができたので、ふらり、という程度の意気込みである。
驚いた。
チケットを買うまで30分待ちである。
そして入ってさらに驚いた。
ぎゅうぎゅうなのである。
みなそれぞれ、恍惚の表情をうかべている。
目は潤み、口元はゆるみ、両手だけは胸元で固く握るかひたすらスマホをかかげている。
みなが同じく写真を撮りたいのだが、そこにはゆずり合うという秩序があった。
ミナペルホネンを前にして、失礼があってはならないという秩序。
ぎゅうぎゅう、恍惚、秩序。モスクにいるようだった。


その「つづく」で知ったのは、
年月を経ても変わらずに美しいと思えるものが確実にあるということ。
「なんと新しく美しい!」と思ったデザインが、10数年以上前のものだったりした。
ファッションは常にうつりかわる。だから人はシーズンごとに買い物をくりかえし、捨てつづける。
ファッションはそういうものだ、というあきらめがあった。
けれどファッションの中にも、人の心をずっととらえつづけられるものはある。

展示のなかに、一般の方の愛用品があった。
どんな想いで長年その服に袖を通してきたかのエピソードも添えられていた。
もはやただの服ではない。想いをまとった装束である。
人にそこまでさせられるもの、そういうものをコンセプトと呼ぶし、ここまで人心をとらえつづけられる強烈なコンセプトの生まれ方と育て方には興味しかない。
まさに「つづく」である。

ずっと美しいと思えること

そしてさらに思った。
こうして年月を経ても美しいと思えることこそ、モノを大切にするためのキーなのだ。
であれば値札めくり遊びをくりかえしている場合ではない。
わたしもいいかげん、心底美しいと思えるミナペルホネンの服を買い、それを大切に着つづけるという選択肢をとってもいいのではないか。
気後れしている場合ではない。
使い捨てのファストファッションは、短期的に見ればお金のやりくり上手ではあるが、長期的に見れば賢くはない。
着つづけることと、新しく手に入れるならば着つづけられるモノを買うことこそが尊い。

わたしも欲しい、みんなも欲しい

やっと目の開いた子猫のように、わたしは鮮烈な光を眼球に受けるような、そんな感覚があった。
善は急げ、思い立ったら吉日。いそいそとミナペルホネンをウェブで検索した。(コロナで買い物に行けないのである。)
ホームページを見た。楽天もアマゾンも見た。
…売り切れている。

一方、フリマアプリでの活況ぶりには目を見張るものがあった。
中古品でもかなり強気な値段で取り引きされている。いいねの数もケタ違い。
ミナペルホネンの熱狂的な人気は、希少性もかなり大きな要因なのである。コンセプトはもちろんだが、商売上手でもあるのだ。
フリマアプリにミナペルホネンの服を出品した友人が、
「ミナペルホネンの服だけ、鬼のようなアクセス数があるんだよ。」
と言っていた。

だがしかし、それでいいのである。
良いものは、いつまで経っても変わらず良いのだ。
でも、体形やライフスタイルの変化に応じて使いにくくなることがある。
そうなった時、自分と同じテンションで快く、かつ高額で引き取ってくれる人の存在は、新しいモノを買うときのセーフティネットとなってくれる。
そして中古だからこそ、さらに希少性が増す。魅力も増す。
なんていい循環なんだろう、ミナペルホネン!

はじめてのミナペルホネン。はじめての古着。

そして冒頭の、わたしの母の話である。
わたしも潔癖を刷り込まれたから、中古品は大の苦手だ。
フリマアプリで売ることはあっても、買うことなどめったにない。(本だけは買う。)
リサイクルショップも実は、入ることすら怖かった。売りには行くが、査定の間は店外で時間をつぶした。
そのわたしが、である。
ミナペルホネンを!買ったのである。フリマアプリで!生まれて初めて。古着を!買った!

“land theater”というテキスタイル。
数年前のデザインで、中古市場でのみ出回っている。
甘さをおさえたシャープな生地感とデザインが、わたしの気後れをカバーしてくれた。

わたしはこれを、大切に着るのだ。
ふだん使いにはできないけれど、レストランの食事、お祝いごと、遠くから遊びに来てくれた友人を迎えるとき、そして旅先。
記憶を印象づけたい折々で着るのだ。
そしてもし役目を終えたら、わたしのような人にゆずるのだ。

受け継がれるもの、エシカル消費

大切に着る。
その人にとっての役目を終えたら、同じかそれ以上の価値を見出してくれる別の人にゆずる。
ヴィンテージと呼ばれるほどに価値は上がらないが、リユースと呼ばれるほど価値は下がらない。
脈々と、そして淡々と受け継がれていくもの。
ミナペルホネンというエシカル消費。

おまけ:
古着は、製品に含まれる揮発化合物が揮発しつくしているので、新品よりもヘルシーなのだそうです!by『ゼロ・ウェイスト・ホーム』

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