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ともに生きているということ



私は人に恵まれていると思っています。

いじめがいちばん酷かった中学生の頃にも、1人だけ心を許せる友達がいました。

困った時やどん底だと思える時はいつも誰かに助けられて、何があってもここまで生きて来られました。

それでも、私にとって生きていることただそれ自体がとてもつらいものでした。


それを変えてくれたのが、今の夫です。
どうしようもなかった私を、そのままの私を丸ごと愛してくれた人です。

ありのままの私を受け入れてくれた初めての人でした。
だから、初めの4年間は「ありのままの私を愛してくれるなんてありえない。」と、信じきれていませんでした。

いい所だけ見せていないと。
すぐ自己嫌悪に陥る私、不安や心配性な私。
人や仕事の愚痴は言わず、面倒くさがったり、イライラしても表に出さず。
当時は拒食も過食も隠していました。

本当に色んなことがあって、
「こんな私を見せてしまった……もう終わりだ。」と、何度思っても、その度に丸ごと受け入れてくれました。

本当にひどいことをしたのに、それでも”ともにいたい”と言ってくれた人です。

私にとっては、ありのままの自分を受け入れてもらえた初めての経験に思えました。


今は、私の過去も、心の傷も、こんな性格も、全部知っています。
知ってもなお、変わらずに支えてくれる私にはもったいないくらい素敵な人です。

普段はいいたいことも沢山ありますが、ここぞと言う時の心の広さや温かさ、穏やかな包容力は並大抵の人には持ち合わせていないと思えるくらい人間力のある人です。
私はいつも甘えてしまいます。
本当はきっと、こんな風に自分の両親に甘えたかったのだろうと思います。
甘え直しをさせてもらっているような気がしてなりません。

それもダメなこと、いつかやめなければ嫌われてしまうことだと思っていました。

自己嫌悪を慰めてもらう子どもみたいな甘え方ではなくて、素直に甘えたらよかったです。
いい甘え方をするなら、ずっと甘えていればいいと思えました。


これまでも何度も夫に救われてきましたが、今回は心から”この人がともに生きていてくれる人でよかった”と思いました。

私は、そんな夫と可愛すぎる息子と、幸せに生きていきたかったはずでした。
なのに、目の前のことに揺さぶられて自分の感情をコントロールできなくなっていました。

危うく、このままずっと過去の私のように自己嫌悪と憂鬱で染めてしまうところでした。
そのままいったら大切で幸せな毎日を失うところでした。

悩むなというのは無理な話ですが、
上手くいかなくても、何もなくても、ただともに生きている、それだけでいいです。
夫のためにも、私はやっぱり笑顔でいたいです。

生きてさえいれば、なんとかなるよ。
いつも夫がいう言葉です。

私はやっぱり、夫のためにも息子のためにも幸せでいたい。
大切なことを思い出せた1日でした。

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