見出し画像

よい母、よき妻、いい人をやめた


真面目でいい子で育った私。
完璧主義で、ワーカホリックだった私。

息子に対してはよい母を、夫に対してはよき妻を、それ以外の人にはいい人を目指して生きていました。
いや、正確には目指さざるを得ない、謎の感覚に導かれて生きていました。

でも、全部やめたらすごーーーく気分が軽くて、毎日が心地よく過ごせるようになってきました。


もう多分限界だったんです。
全部よくしようなんて無理だって、頭のどこかでは分かっていたんです。

でも、諦められなかった。許せなかった。

だって、どれか1つでも欠けたら、私には価値がなくなってしまって誰からも見捨てられ、孤独になってしまう気がしていたから。


自分で勝手につくりあげた”いい人像”が自分を苦しめていた。
例えばこんなふうに……。


仕事が休みの日に夫のお弁当ストックや離乳食ストックを作るため、息子を一日中家で過ごさせてしまった。

ひとり遊びさせてしまう時間も多く、かと言ってやることが終わると疲れてしまって遊んであげられない。


退屈だっただろうに。
私なんかが母親でこの子は可哀想。


毎食食べないのに用意する離乳食。

食べさせられることを嫌がるので、手づかみ食べできるハンバーグやおにぎり、おやきを用意するものの、潰してぐちゃぐちゃにして、ほんの数口食べたらあとは辺りに撒き散らすだけ。

味を変えてもベビーフードを頼っても上手くいかず、1日3回撒き散らかされた離乳食を片付けることにイライラ。

食べないのに食事を終了させられそうになると不機嫌に泣き叫び、手洗いも着替えもままならない


イライラしてはいけないのに、してしまう。
こんなイライラしてばかりのお母さん嫌だよね。
夫からも嫌われてしまいそう。
呆れられて見放されるかも。


他にも、夫が夜勤で昼間寝ている時は静かに過ごし、なるべく息子もグズグズさせないようにする。
グズグズさせてしまったら私のせいで夫が寝られないから。

夫の生活リズムに合わせて昼食、お弁当を用意するために息子と私の生活時間を管理する。

仕事に理解のある妻であろうとして、息子がどんなに夜泣きしていて自分が寝られていなくとも、夫が深夜帰宅したら夜食は準備しなければ。
掃除洗濯は毎日して、食事は全て手作りに。

私の時間なんて無くていい。
周りにいるみんなが優先。
それを完遂できなければ私に価値は無い。

クヨクヨしたりイライラしたりしてはいけない、そんな顔をしている私がいる家に、誰も帰って来たいなんて思えないから。

毎日、
もう母親なんて逃げ出してやめたくて、
もう家事も一切やらずに休みたくて、
何もしたくなくて、
食べるのも面倒で適当に空腹だけ満たして、
ストレスが溜まれば甘いものを食べるのに満たされなくて。
自分の見た目にも嫌気がさして。


こんな私はいつか息子からも嫌われてしまう。
夫にも見放されてしまう。
もっと、もっとがんばらないといけないのに。
なのにがんばれない。
こんなに恵まれた環境にいるのに、不満を持っているなんて。
やっぱり私はダメなやつだ。
もう無理、限界。……でした。


そんな母、そんな妻はダメだと、自分にダメ出しばかり。
自分自身の言動だけではなく感情まで監視してしまっていました。



それに気付かせてくださった出会いがあって、
どうして家にいるのが苦しいのか、
どうして頑張っても頑張っても自分が許せないのか、
どうして誰に何を言われても満たされないのか、
どうして自分の時間を持てても、好きなものを食べても感情が空っぽなのか、
ぜーーんぶ自分が自分を傷付けていたからだと分かったら腑に落ちました。

そもそも、よい母とよき妻は同居できないことに気付きました。

よき妻であろうとすると、
夫に家事や育児をしてもらう(”してもらう”と思っている。)と、私のやらなければいけないことなのにやらせてしまって申し訳ないと思ってしまっていました。

なのに、一方で私はふたりの子供なんだから、少しはなにかやって欲しいと思っていました。



そして、全部やめました。

ベビーフードは活用しまくるし、面倒な日は大人たちの食事もレトルト。

食洗機だって、せっかくあるんだから。
今までは少しのお皿なら使うのがもったいないなんて思っていたけど、洗いたくない時は頼っちゃう。

掃除もつらい時はしない、洗濯だっていつもなら干した方が節約になるから時間が無くても疲れていても無理してでもやっていたけど、仕事のある日ややりたくない時は乾燥機までまわしちゃう。

深夜に夫が帰宅する時は自分で食事を温めてもらう。

……etc.


そうやって、”やりたくないことをやらない”をちゃんとやると、自分がやりたいと思えることが見えてきました。


仕事終わりに、体調を崩している夫の食べられそうなものを買い出しに行って、お粥は別で作って食べてもらいたい。
自分がやりたいと思えたことは疲れていても、苦にならない。

息子に対しても、私自身がご機嫌で相手したいと思えるし、私が疲れている時は見守って、そばに来たらギューっとハグをして。それでOK。


そんな風に生活していたら、窮屈で苦しかったはずの家にいる時間が少しずつ緩んできました。

相変わらず離乳食は食べないし夜泣きもする現実は変わらないのに、私の気持ちに余裕があって神経質さが減り、「今だけだから、楽しむくらいで見守ろう。」って、自然に思えちゃう。

前の私だったら、数ヶ月しか一緒にいなかった職場のパートさんが辞めるとなっても、何か買って行かないと……、とか色々考えを巡らせてしまっていただろうのに、何も渡さずにいても罪悪感に苛まれることもなく、すごく気持ちよく爽やかに感謝を伝えてお別れのご挨拶ができました。


今まで”こうでなければ”と縛っていたことをやめても、別に誰も困ってなんかいなくて。

それが出来ないことによって見捨てられることがないことを私は心のどこかで分かっていたはずだったのに、それでもやめられなかったのはただただ、私だけだったのでした。


夫と結婚した時点で、私生まれ変われた!と思えるくらい随分軽くなっていましたが、
これから、もっともっと軽くなれる気がしています。


洗濯が数時間で乾いてしまうような。
お天気だけど陽射しがキツすぎない、優しい風に吹かれて気持ちいいような。

私は今、そんな気分です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?