紗良

(18)→(23) 空想のなかの現実のおはなし。 noteとわたし個人を結びつけないで…

紗良

(18)→(23) 空想のなかの現実のおはなし。 noteとわたし個人を結びつけないでいただけたら嬉しいです。

マガジン

  • toritsubu―呟き―

    Twitterでの呟きをまとめたものです。文末・助詞等に手を加え、noteらしい形にしました。

  • favorite

    わたしの紡いだ言葉たちの場所。

最近の記事

空想と過去と現在、ちょっとだけ未来。

幼い頃、よく空想をしていた。 自分がお金持ちで、優秀で、可愛くて、みんなの憧れだという夢。 ほしいものは何でも買えるし、車で送り迎えしてもらえるし、可愛い洋服もたくさん持っていて、頭も良くって、みんなが褒めてくれて、お姉ちゃんみたいな他人がいて、周囲から愛される存在。 あまりも自分勝手な設定すぎて、他人に語るのはとても恥ずかしい。けれど、毎日毎日そんなことを考えながら生活していた。 こうやって妄想することで、現実のままならなさをどうにかしようと思っていたのだと思う。 周囲

    • “かもしれない” 日。

      8月1日。 お世話になったひとの誕生日 “かもしれない” 日をお祝いした。 お祝いしたと言っても、直接会ったわけではない。それどころか、どれほど会いたくても、もう一生会えないかもしれない。今、どこで何をしているかもわからない。 それでも何かしら繋がりが欲しくて、誕生日 “かもしれない” 日にそのひとの幸せへ思いを馳せることにしたのだ。 誕生日 “かもしれない” と知ったのは、その日の朝だった。そのひとが残してくれた微かな手がかりに縋っていたときに、ふと気がついてしまったの

      • 戦い。

        2024.02.19 流れる景色を見ながら、自分の部屋の窓を思い出した。 今日の曇り空が、眠れなかった日の窓の様子と重なる。隣の家の壁がこんな感じの色だった。 最近、夜眠れるようになった。 3時間がやっとだったのが、4時間、5時間、6時間と増えていく。まだまだ何度も目覚めるけれど、気がついたらこんなにも眠れるようになっていた。少しずつ回復しているんだなと嬉しかった。 そんなようなことを呟いた日から、また眠れない日々が続いている。 不安が止まらない。 よく、過去のことだ

        • 言語化。

          2024.06.13 言語化は救いだった。 言葉にすることでそこに「ある」ものとして立ち現れてくれるから。 話すことはもっと救いだった。 そのまま抱えておくには重すぎるものたちだったから。 けれども、話すにはあまりにも生々しくおどろおどろしいモノたちと出会ったとき、「話せない」ことに気づかされて目の前が真っ暗になった。 「対話」について考えれば考えるほど、 自分のありのままに話すなんて無理じゃないかと思う。 他人と関わりたいと真剣に考え始めたら、 相手との関係を保つために

        空想と過去と現在、ちょっとだけ未来。

        マガジン

        • toritsubu―呟き―
          3本
        • favorite
          14本

        記事

          「分かっている」選択肢。

          伝わらないんだなあと思った。 そして、伝わらないならもういいかな、とも思った。 “伝わらない“ という絶望は想像以上に心を消耗する。 それならば口を閉ざしてしまおう、という考えることは特段不思議なことでもないだろう。 「調子が良いはずなのに苦しい」という葛藤に嫌というほど苛まれているのに、自分さえ認められないその苦しさを正の方向へと結びつけられる悍ましさに耐えられなかった。 人は無意識にジャッジをする。 だから自分の感情を、苦しみを扱ってもらうときには、きちんと「演出」しな

          「分かっている」選択肢。

          溢れて落ちて。

          投げられた善意を受け取れば それはたちまち悪意へと変わる。 向けられた好意に応えれば それはたちまち毒となる。 その中でわたしは 何を信じればよいのだろう 今まで信じていたものが 音を立てて崩れゆく 掬い上げようとしても さらさらと指の間を溢れ落ちて 壊れていくそれを ただ見つめている それがどこで止まるのか 私にもわからない 引き金なんて存在しない ただ時が来てしまっただけ 重力に逆らうことなんて 誰にもできやしないこと 分かっている 分かっているけれど ただ見つめ

          溢れて落ちて。

          受け取ること。

          「他人に "抱きつく" のは好きだけれど、他人に抱きしめられるのは苦手」というのを、何度か親しいひとに話したことがある。我ながらとてもわがままな言い分だなあと思う。 好きなのに、嬉しいのに。 どうしても恐怖が強く出てしまう。 中3か高1のときだったと思う。 誕生日プレゼントに花束を買った。お小遣い制ではなかったから、自分のお誕生日にもらったお金から出したのだろう。駅前のお花屋さんで作ってもらった小さなブーケは、弟から渡してもらうことにした。 あのとき、自分でブーケを渡さ

          受け取ること。

          「普通」という魔法。

          「みんなも同じだ」っていうのと、「自分だけ "そう" 」であることと、どっちのほうが負担が少ないの? その質問を聞きながら、ああそんな問いもあったなあと思い出す。あのときは「嬉しさ」を聞かれ、今回は「負担の少なさ」を聞かれたという違いはあるけれど。 わたしの答えは変わらず、「みんなと同じ」ことを肯定的に捉えるものだった。 「変わっている」と言われるときに、否定的なニュアンスを含んでいることが多かった。たくさん嫌な思いをしてきた。「普通」になりたくてなりたくて悩んできた。

          「普通」という魔法。

          tsu. 明けない夜はないけれど、陽の沈まない夜もない

          2023.11.17 朝が来なかった夜はないけれど、夜が来ない朝もないんだよなあと思ってしまう。 そしてわたしは、次に来る朝を楽しみにするよりも、そのあとに巡る夜の寒さを恐れてしまう。繰り返し訪れる夜から逃れられればそれでよいと、そう思いながら暮らしています。 何度朝が来ようとたった一度の夜が付きまとう限り、わたしは朝の光にも寒さを見出してしまうんだろうな。

          tsu. 明けない夜はないけれど、陽の沈まない夜もない

          tsu. あと一度でもこの夜に引きずり込まれるくらいなら、無数にある朝を手放した方がどれほど楽か。

          2023.11.18 みんなに言われるんです。「いつかは終わるから、終わりは来るから」って。ちがうの、もう一回たりとも経験したくないの、今までは「耐えられた」かもしれないけど次の一回でちぎれてしまうの、と思っていた、し何度も伝えたけれど届かなかったなという気持ち。 今もこの思いはずっとあります、「今まで」は平気だったけど次に同じものが来たら耐えられないと思っている。 「過去は変えられない」から見方や捉え方を変えるべきだと言われるけれど、過去に感じた思いが変わるわけでもな

          tsu. あと一度でもこの夜に引きずり込まれるくらいなら、無数にある朝を手放した方がどれほど楽か。

          tsu.正負の言語化

          2023.11.18 好きなものについては感情をそのままに取っておこうと言語化せずにいるくせに、苦しいものに対しては持ち続けるために言語化を繰り返す。その結果、負の方向の語彙ばかり豊かになってしまった。物事に寒々しい彩りしか与えられなくなっているようで、とても悲しいことだなと思う。 けれども言語化できないものがあるとすれば、それによって傷を負い続けなければならないわけで、難しい。 言語化できないほどに無数のセンサーがあるものは持っていることもできないので、ただただ一方的

          tsu.正負の言語化

          2023年夏〜冬。

          夢の話をしよう。 私が半年間囚われ続けている夢の話を。 私がいつも夢を騙って現実の話をするせいで信じてもらえないかもしれないが、本当に夢の中でのお話なのだ。 私の見た夢という一つの現実ではあるのだけれど。 2023年6月4日(日) 少し年下の女の子。くるくると巻いた金髪にふりふりのワンピース。いかにも “お嬢さま” といった風貌のその子は、店のオーナーを父に持っていたから、本物のお嬢様だったのかもしれない。 私はその子にいつも付き従っていた。 その夜、その子は父親に店

          2023年夏〜冬。

          心臓がぎゅってする。

          卒業論文提出と院試出願を来週に控えた今、一刻も早く完成に向かうべきなのだろうが、少し立ち止まりたくなってしまった。 「心臓がぎゅってする」 このような感覚を抱いたことのある人はどのくらいいるのだろう。 それが生じるのは、作品に触れたときだったり、音楽を耳にしたときだったり、ふとなにかを思い出したときだったり。 あたかも本当に心臓が掴まれているような感覚に痛みが生じながらも、不快さのみで構成されているわけではない。懐かしさとも、切なさとも、悲しさともつかないこの感情。きっと

          心臓がぎゅってする。

          想い。(再)

          2020.6.27投稿(2023.12.5再投稿) 本当はすごく綺麗に書きたかったんです。 私の理想とする「虹色に輝くガラス細工の蝶々のように精巧」な文章。 字も綺麗に。整ったフォントの文書でも残しておきたかった。 でも気づいたときにはそんなことをする気力がどこにもなかったのです。 「このままだといつまでたっても死ねない」 そう思いました。 本当は死ぬときに何一つ残したくなかった。 生きた痕跡をすべて消し去りたかった。 Kのように理由も分からず死にたかった。

          想い。(再)

          自分のなかの "自分"

          ものを書くときに、立ち位置を安定させることが難しい。昔は意識的に立ち位置を変えていたけれど、最近はかなり流動的になってきた。だからこそ、考えている間にどんどん別のひとに変わっていってしまうことが多い。 なにか特筆すべき疾患や障害でなくとも、ひとにはたくさんの "自分" がいると思う。よくある頭の中の天使と悪魔のように。 何人いるのか、どのくらい個として確立しているのかは人それぞれだと思うけれど、でも誰しもそうでしょう?と、この1年間繰り返してきたけれどあまり納得のいっていな

          自分のなかの "自分"

          私の時間。

          この前は電気を消した暗闇の話をしたけれど、私が好きなのは電気をつけない暗闇である。窓の外にほとんど沈んだ陽が微かに残る中で、携帯の画面だけが照らす部屋。冬になるとそこに電気ストーブの灯りも加わってくる。 昔、「一日の中で一番得意な時間はいつか」という問い出しをした。自分の "こたえ" がなんだったのかは忘れてしまった。おそらく「昼も夜も苦手」か「朝が始まるころ」かどちらかだったはずだけれど。 いま、同じ問いがあるのならば「得意かはわからないけれど、陽が沈むあたりは "私の時

          私の時間。