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お産を通した人生論

東京に1か月ほどいる。
姉が3人目の出産をするため、上の2人の子たちのケアをしに来ている。


お産=とんでもなく痛いもの、苦痛、わからない、怖い
というイメージがあった。

特に私は姉の一人目の子の出産にも立ち合っていて
もちろん感動はしたけど、
姉の痛そうな声の方が印象に残っていて、
ひときわ怖い・痛い印象があった。


今回姉は自宅のお風呂で水中出産した。
私はお風呂の外で姪っ子と待っていた。

「オギャー」と聞こえた後
旦那さんと生まれたての赤ちゃんとの3人の時間があってから
助産師さんがお風呂に入っていった。

姉は自分で子供を取り上げたのだけど、そのすごさにびっくりした。
本当に自分だけで産み切ったのだ。

助産師さんはいるけれど、姉の希望で
産む瞬間は、お風呂の外に待機して姉に任せていた。

こんなに自分で産むんだ、という衝撃だった。
助産師さんも、任せ切る、という一見怖く感じる選択を
姉の意思を尊重して任せてくれたことに、プロフェッショナルを感じた。

そして、助産師さんと姉との信頼関係も感じられた。


机の上に、バースプランが書かれた紙が置いてあった。
見ると、陣痛が始まった時の自分の感情や行動、どうやって子どもを取り上げるか、その時の至福感などが、あらかじめ書かれていた。

いわば、未来日記のようなもの。

こうやって姉は出産をイメージして、楽しみにしていたんだなぁ、と知った。


「どうやって産むかが大事」と日頃言っていたけど
どうやって生きていくか、を決めていくことと同義だと思った。


「私はこうしたい」という本能からくる直観のようなもので、
自分の意志で決めていくことが大事、ということなんだろうなぁと思う。


その感覚は、普段自分の本当の気持ちに従って生きていないと、分からなくなっちゃうものなのかもしれない。
それはたいそれたことなのではなく、日々のちょっとしたこと。

こうしたい!というインスピレーションが降りてきたら
イメージして、オーダーする。
オーダーしたんだから、あとは来るのを待つだけ。


例えば、今日何が食べたいか?
どんな雰囲気のレストランやお席で食べたいか?
そこで食べている時の自分の気持ちは、どんな気分か?
とイメージしてみて、どうだったら最高か?を考え細かく自分の気持ちを汲み取る。
そして、目的を持ってそのお店に行く。
すると、望んでいたものを叶えられる。


日々の細かいイメージとオーダーで、それを叶え続けていき、
お産もその一つであって、
どんなお産が理想なのかをイメージする。


どんな場所で、どんな風にしたいか。
その時の気持ちはどんななのか。


例えば、病院の分娩台で産みたいのか
Hawaiiの海の中で旦那さんと一緒に産みたいのか
実家の畳の上で家族に見守られて産みたいのか…

「産む」ということだけでも、たくさんのシチュエーションが考えられる。
そこから、自分は何がいいのか、何がしっくりくるのか考える。


そういうことにこだわることが、夢を叶える、ということなのではないかと思って来た。
レストラン選び一つにしても、小さな自分の夢・願いを叶えていくことで、自分への信頼に繋がる。

どんな選択肢があって
どれだったら自分にとってしっくりくるのかイメージして、その時の気持ちを感じる。

ゴールを決めたら、そこに向かって歩いていくだけ。



「お産」となると、近所の病院に行って産むもの、と思っていた。
けど、実はそれ以外にも選択肢があって
どれが一番しっくりくるのかを知ること・考えることが大事なんだと思う。

それら選択肢も含めて、やっぱり近所の病院で産みたいと思うなら、それが自分にとってのベストだし、正解。


ただ、自分に一度きちんと聞いてみる、ということが
一番大事で、世界にたった一人の自分を大事にしている、ということなんだと思う。


自分の人生をどう生きたいか?
何を食べて、誰と過ごしたいのか?
どんな人と結婚したいのか?
それは考えるのに、お産となると、思考停止してしまう。

でも、そこも自分に聞いてみて、自分で選び取るという力強い選択をしていきたい。


なぜなら全て自分が世界を創っているから。
そして、自分に質問していくことが、最大の優しさであり
自分の人生を創っていくための、指標となる羅針盤になるから。

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