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「何者か」になる

ひさびさの前書き

書きたいことが頭の中で渋滞している。

会社員になってから、だいたい1カ月。
この1カ月の間に僕の身の回りでは(あるいは僕というひとりの人間の中では)実に様々な変化が起こったような気もするし、それでいて僕自身のなかの本質的なことは何ひとつとして変わっていないような気もするけれど、ともかくまぁ、有り体に言うならば””いろいろあった””ということには相違ないと思う。

””いろいろあった””ということは、書きたいこともいろいろ出てくるわけで。でも日々の生活に追われていて(というのは言い訳で、実際のところは自分自身と向き合うのが怖かったというような部分があって)、なかなか筆を執る(=キーボードに指を置く)ことができなかった。

きのう大きな演奏会を終えたことで会社員になる前からの継続事項みたいなものがなくなって、ようやくいろんなものに区切りがついた。そんなこんなで、演奏会とその後の打ち上げからくる心地よい疲労感を引きずりながらこうして高槻駅前のタリーズでパソコンをガタガタとやっている次第である。


さて、何を書こうか。

ははは。わっかんねぇや。いま僕は久々に骨組みを全く決めずに文章を書いている。どこに辿り着くのか書き手である僕にもさっぱりわからない、行き当たりばったりの文章(こんなん誰が読むねん)。

たまたまこの記事を閲覧してしまった読者のみなさん、すみません。しばし僕の個人的な自己対話にお付き合いくださいませ。

本題:僕は何者なのか

会社に入ってしばらく経ったある日、研修の一環として行った若手の先輩アナウンサーへの取材を担当したとき。名前と出身地だけの簡単な自己紹介をすると、先輩アナウンサーにこう問われた。

「で、あなたは”何の人”なの?」

僕はぽかんとしてしまった。

あなた は 何 の 人 なの ?

目をぱちくりさせる僕に、先輩はこう続けた。

「ほら、””体育会野球部で3番ファーストでした!””とか、””学園祭の実行委員会やってました!””とか、そういうの誰にでもあるじゃない?○○くんにもそういうのあるんじゃないかなーって。あなた、””俺は明らかに何かやってきたぞ””って顔してるから」

夕方の情報番組に出演していらっしゃる時の印象そのままに快活に僕に質問する先輩。きっと僕のことを詰るような意図はなく、初対面の人への純粋な興味から僕のことを訊き出そうとしてくださっているのだろうな、ということはわかったのだけれど、僕は完全にたじろいでしまった。

「さぁ……僕は、何の人、なんでしょうね……。自分でもよくわからないんです」

僕は哀しく笑ってそう言うしかなかった。

”何の人”というラベルを張るには、僕という人間の顔はあまりにも歪に雑多な面を持ちすぎている。

実際のところ、人間なんてみんなそんなもんだろうと思う。
大学のゼミではゼミ長の、フットサルサークルではゴールキーパーと会計係のペルソナを被り、アルバイト先の学習塾では◇◇先生と呼ばれ、実家に帰ればその家において父と母の子であり兄から見たら妹である、といった具合に。みんないくつもの”顔”を使い分けながら生きている。ジンメルやレヴィナスが散々っぱら議論してきたことで、いまさら何の目新しさもない、古典的なペルソナ論。

でも。

なんというか、そういう次元じゃない気がする。僕の場合は。

上手く言えないのだけれど、僕はあらゆる場面で被るペルソナを使い分けているだけでなく、それぞれのペルソナの色があまりにも強すぎるのではないか、と思うことが多々ある。そしてその強すぎる個々のペルソナ全体を包括する、あるいは中心性を持って統合するジェネラル・ペルソナ(これは完全に僕による造語)みたいなものが存在しないがゆえに自己存在が分裂してしまっているのではないか、とも思う。

中心となる大きな物語をうしなった、ポストモダン的な自己。

僕は自分のポストモダン性を”乗りこなす”ことができていない。
そういう意味において、僕は近代を克服することができていない、ということになる(のかなぁ)。

話が壮大になりすぎて収集がつかなくなりそうなので軌道修正しよう。

会社に入って新しい人間関係を築くようになってから、僕は分裂して散逸した自己存在の不安定さに苛まれ続けている。

「言葉の人」と言ってもらえることが多い僕だけれど、
・「喋る人」」としての僕
・「書く人」としての僕
・「読む人」」としての僕
・「校正する人」としての僕
が同時に存在していて、かつそれぞれの顔を全面に押し出す形で所属している社会集団がある。さらに言うなれば、「喋る人」としての僕の中にも喋る内容ごとに全く違う僕がいるし、「書く人」と言ってもエッセイを書くときの僕と書評を書くときの僕と短歌をつくるときの僕とLINEのメッセージを書くときの僕は全く別人だ。「読む人」としての僕にしたって、新聞記事を読むときの僕と小説を読むときの僕と新書を読むときの僕と詩歌を読むときの僕が同じであるということはまずない。

あるいは「音楽の人」と言っても
・吹奏楽をやる人
・クラシックを聴く人
・ジャズを聴く人
・邦ロックを聴く人
・UKロックを聴く人
・ライブハウスに行く人
・フェスに行く人
・サックスを吹く人
・ギターを弾く人
・指揮を振る人
・編曲をする人
というような具合に様々な僕がいて、人によって僕のことをどういう「音楽の人」と認識しているのかということが全く違う(らしい)。

他にも僕は「カメラの人」として認識されることもあるし「デザインの人」になることもあるし、「パソコン使ってガチャガチャといろんなことをやるのが好きな人」にもなる。僕のことをコーヒージャンキーだと言う人もいるし、映画レビューの人だと思っている人もいるし、ガジェットマニアとして買い物の意見を求められることもある。そういえば一時期は「○○といえば料理だよね」と言われていたこともあったっけ。今はほとんどやめているけれど、お酒好きキャラで売っていた(売っていた……?)時期もあった(いまだに久々に会った人が開口一番にウイスキーやワインの話を吹っかけてくることがままある)。そもそも今の僕は社会的には「地方テレビ局の新入社員」だし。

こういうことを書き出してみたら何かがはっきりしてくるかな、と思ったけれど、何ひとつとしてわからなかった。残念!「うだうだと御託を並べるのが好きだけれどそこから何も生み出すことができない人」というペルソナも僕にはあるのかもしれない。

ふう。ちょっと休憩。

とかくまぁ、僕はこういう人間なので、「で、あなたは”何の人”なの?」なんて訊かれても答えられないのだ。
この質問を投げかけられてから、僕はずっと自分が何者なのかということについて考えていた。

というよりは。

自分は「何者か」になることができているのか?

という問いを自分自身に突き付け、そして苦悩していた。


十代の頃の僕はずっと、「何者か」になりたかった。

というよりは、「何者か」にならない(あるいはなれない)自分の将来像を思い描いてはそのことに恐怖し、焦っていた。

「何者か」とは、何者だろうか。

昔から僕はNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』とかMBSの『情熱大陸』とか、そういった人物密着型ドキュメンタリー番組が好きで、漠然と「いつかああいう番組に取り上げられるような立派な大人になりたい」と思っていた。
『プロフェッショナル』や『情熱大陸』で取り上げられる人物の紹介には必ず肩書が添えられる。「俳優・藤原竜也」とか、「オートレーサー・森且行」みたいに。

ここでいう”肩書”というのは必ずしもその人が生計を立てている職業を指すのではなくて、社会的に多くの人たちが「この人はこういう人だ」という印象を抱いている、みたいな、そういう感じの、言葉を変えるなら”レッテル”とでも言うべきか、そういうものだと思う。なんだか上手く言い表せないのだけれど。

だから多分、僕にとっての「何者か」というのは、「この人はこういう人だ」とみんなが思ってくれるような強い属性が肩書にあらわれる人、というようなイメージだったのだろうと思う。

僕はずっと、そういう「何者か」になりたかった。
「何者か」になりたくて、僕は中学受験をさせてもらった。
「何者か」になりたくて、僕は吹奏楽部に入ってサックスをはじめた。
自分で選んだ中学・高校で6年間吹奏楽をやって、コンサートマスターにまで登り詰めたら、「何者か」になれると、そう信じていた。

洛南の吹奏楽の世界に入って、今年で10年になる。
僕は今年で23歳になるので、13歳からの10年というのは4歳ごろからの記憶のある範囲においては人生のゆうに半分以上の時間になる。

僕が中学吹奏楽部に入ったちょうどその頃に50周年記念演奏会が開催された高校吹奏楽部の60周年記念演奏会がきのう終わった。

この10年の間に、僕は「何者か」になることができたのだろうか。

演奏会のための練習ときのうの本番中、終わった後の打ち上げ、ずっと考えていたけれど、結局よくわからなかった。

記念演奏会のメンバーに入れてもらって、奏者として舞台に立って、スタッフとしてバックヤードの仕事をして、そうやって部活の中にいる間は確かに「何者か」でいることができているような気がしなくもない。

しなくもないのだけれど、何というのかな、うん。

僕がかつて思っていたのとは、違う。

この部活の中でさえ、僕は「サックスの人」でもなければ「ギターの人」でもなければ「裏方仕事の人」でもなければ、そういった要素がすべてごった煮になったなんだかよくわからない立ち位置にいる気がした。

うーーん、やっぱり上手く言えないな。僕自身まだこの問題についてちゃんと整理して咀嚼することができていないのだと思う。

いや、何というのかな。別にそれが嫌だってわけじゃないんですよ。
そういうわけじゃないんだけど……

ただ、
思ってたんと、ちょっと、ちゃう。

思ってたんと、ちょっと、ちゃう、
けど、
悪い気はしない。

むしろ、あ、なんかこういうのアリかもしれない、というか、まぁ、これが僕という人間の在り方なんだろうな、
みたいなことを思った。

歳の離れた或る後輩は僕のことを「おにいちゃんみたいな人です」と言ってくれた。吹奏楽とか楽器とか音楽とか、そういったこととは全く関係なく。この後輩が演奏会のあとで僕に送ってくれたメッセージを読み返しているうちに、そう思うようになった。

たぶん僕に「先輩は自分にとっておにいちゃんみたいな人です」なんて言ってくれる後輩は(しかも小学校の在学期間すら被っていないぐらいに歳の離れた後輩は)他にいないと思う。とても有難く、かつ嬉しいことだと僕は思っている。

きっと、これまでの人生のなかで僕に出会ってくれた人はそれぞれに「自分にとって○○は▽▽の人」というイメージを持っているのだろうと思う。そのイメージの束が、僕という人間の総体を形成している。
人によってその束を眼差す目の解像度がちがう。深く親しく関わっている人にはきっと、その束を形成する一本一本の細い糸が見える。その一本一本を見て、人それぞれに全く別の印象を持つ。なかには「おにいちゃんみたい」と言ってくれる人もいる。

きっとそういうことなんだろう。

だんだんわかってきた。

幼いころの僕の想定が間違っていたのだと思う。

人はみな大人になれば肩書を持った「何者か」になることができる、
という想定が。

実際のところ、肩書などというものはその人の人間性を形成する糸の組み合わせのなかでたまたま最も目立つ色をしている一本の糸に名前をつけただけ、という程度のものなのだろう。
強い色の糸ばかりが繰り合わさっているがゆえに、「最も目立つ一本」の糸がどれか選べない、という人がいてもおかしくない。

つまり。

一つの肩書で言い表すことができない人だっている。

でも、肩書を付けられないからといってその人が「何者か」でない、ということにはならないと思う。

そういえば。

僕がこれまでに観た『情熱大陸』のなかで最も好きな回の主人公は星野源という人だった。

『情熱大陸』のディレクターが星野源に付けた肩書。

「音楽家・俳優・文筆家」

うーん。

めちゃくちゃだ。なんだこのキメラみたいな肩書は。

星野源という人のことをよく知ると、彼はもっと多くの肩書を付けられる人だということがわかる。声優。ラジオパーソナリティ。映像作家。アイマスP。ガッキーの旦那。ニセ明。

そういった彼の構成要素すべてをひっくるめて、僕にとって星野源という人は「憧れの人」だ。

きっと人によって星野源という人を「何者」と認識しているかという問いに対する答えは違うと思う。

つまるところ、星野源という人が「何者」か?というと、うん、「星野源」としか言い表しようが無いのだ。

僕もそういう人になりたい。

人によって見えている構成要素が違う。見えている構成要素の組み合わせから、抱く印象が違う。「自分にとってあなたはこういう人です」という評価が人によって全く異なる。

脱中心的、脱構築的な、ポストモダンなパーソナリティ。

これからはそういう自分でいこうと思う。


あるいはもう既に、そうなっているのかもしれない。

今の自分を構成してくれている様々な要素のほとんどは洛南の吹奏楽部で得たものだ。
そういう意味では、僕はちゃんと、あの部活で「何者か」になることができたんじゃないかな。

「何者か」になりたくて、吹奏楽部室の門を叩いた。
あの日の僕の選択は、きっと、間違っていなかった。

部活が歳を取っていくのと同じスピードで、僕も歳を取っていく。

あの部活が70歳になるとき、僕は33歳になる。

33歳の僕は、どんな僕になっているだろうか。
今の時点ではそんなことがわかるはずない。
わかるはずなんて確かにないのだけれど、強い一つの肩書なんてなくてもいいから、あらゆる要素をひっくるめて、「僕は僕です」とちゃんと胸を張って言えるような、そういう「何者か」でいられたらいいなと、そう思う。







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