学生でなくなる15分前に僕の語ること
大学生だった頃のことを、僕はうまく思い出すことができない。
たしかに僕はついこの前まで高田馬場で生活していて、下北沢や中野をふらふらしたり、新宿で映画を観たり、早稲田の古書街でバイト代を溶かしまくったり、たまに渋谷や横浜で写真を撮ったりしていたはずで、その記録はいろいろな形で残っているのだけれど、そのほとんどを確かな手触りをもって思い出すことができない。スマホやパソコンに記録されていることはどれも夢の中の出来事であって自分が実際に体験したことであるようには感じられない。
記憶の断絶。あるいは分断。
どうしてこんなことが起こるのだろう。
まぁ別に、4年間分の記憶が曖昧になったところでめちゃくちゃショックを受けるとかそういうことはないのだけれど、ちょっぴり寂しいような気はしなくもない。
卒業式より1ヶ月も早く東京を離れて地元に帰ってきたから、というのがいくつか考え得る理由のなかで最もそれらしいだろうか。
僕は東京での生活の最後の2年間はずっと地元関西に帰ることだけを考えて生きてきた(ような気がする。流石にそんなことは無いのだろうけれど、記憶が改変されているのかもしれない)。
うまく言語化することがとても難しいのだけれど、東京にいる間の僕はずっと、どこか何かずれているというか、合っていないというか、「僕はここにいるべき人間ではない」というか、「ここにいるのは僕ではない」というか、そういう居心地の悪さみたいなものを感じていた。いろいろと無理をしていたのだと思う。
そういうことにとても疲れていた、という実感はたしかに僕のなかに残っている。
地元に帰ってきて、ようやく僕は僕自身を取り戻すことができたような気がする。
これまで合わなかったピントが合うようになった。これまで合わなかったチューニングが合うようになった。
だからいま、僕はこれまでよく見えなかったものが少しずつ見えるようになっているし、これまでよく聴こえなかったものが少しずつ聴こえるようになっている。どうやら僕の感覚器官は生まれつき完全に関西限定規格になっていたらしい。
あるいはもっと単純に、生まれ育った実家に戻ってきて、東京での4年間より長く慣れ親しんだ生活環境に戻ったことによって東京で浮足立っていたものがすべて落ち着いた、というだけなのかもしれない。
ともあれ。
僕はこういう人間なので、地元で1ヶ月ものんびりだらだらと過ごしてしまうと、もうあの東京でのきびきびせかせかとしていた生活がすべて僕の人生におけるイレギュラー中のイレギュラーとしか認識できなくなってしまったのだと思う。あの頃の僕はおかしかった、だからあの頃の僕のことは今の僕にはよくわからないんだ、というふうに。
でも。
だからといって、東京での生活を無かったことにはしたくない。
僕は中高6年間私立の学校に通わせてもらったうえで東京の私立大学に送り出してもらったので、中学受験時代を含めると想像を絶するほどのものすごい規模の教育投資を受けている。特にこの大学の4年間は両親にはかなりの負担を強いた。妹が気を遣って国公立大学に進学してくれたからなんとかなったけれど、そうでなかったら相当ヤバかったらしい。
だから、「せっかく4年間東京の大学に行かせてもらったけど、なんやよーわからんまんま終わってもーたし何やってたんかあんまし覚えてへんわ」というわけにはいかないのである。
それに、具体的に詳細に思い出すことが難しくなっているとはいえ、東京でいろんな人と出会って、彼らからいろんなことを学んで、自分の中に摂り込んできたという実感はたしかにある。それをこれからの仕事に活かしていく、ということが今後の僕の人生における最大のテーマになっていくだろう。
ひょっとしたら、僕は東京で得たものがあまりにも多すぎて、大きすぎて、広すぎて、深すぎて、重たすぎて、まだ自分のなかでうまく咀嚼することができていないのかもしれない。だから未消化状態の材料の一つ一つについてうまく思い出すことができない、というのであれば、それなりに納得できる。
「東京の街に出てきました。相変わらずわけのわからないこと多すぎます」
くるりの「東京」の歌詞。
上京した翌日、新宿駅前のタワレコのビジョンにこの曲のMVが映し出されていたことをよく覚えている。
あの頃の僕は、この街で4年間も生きれば「わけのわからないこと」は無くなっていって、いろんなことがわかるようになっていくと思っていた。
残念ながら、そんなことはなかった。
わけのわからないことは減るばかりか、むしろ増えていった。4年間社会科学をやってきたけれど、最終的にわかったことなんて、「この社会のことは僕にはよくわからない」ということだけだった。
でも。
僕は東京で、よくわからないこの社会のわからなさを眼差すための目を得た。この社会のわからなさを聴き取るための耳を得た。そしてなにより、この社会をわからなさを語るための、そして少しでもよりよくわかるようになるための言葉を得た。
こっちに帰ってきて、ピントとチューニングが合って、ようやくそういうことが浮かび上がってきたように思う。東京にいる間は自分の中で起こっていた連続的な変化に気づくことができなかったけれど、帰郷という不連続面を経ることで、僕を形成する新たな地層の積み重なりを実感することができるようになった、ということなのだろう。
最近、まさに地元に帰ってきてから、仲良くしてくれる友人ができた。その人とは中高6年間同じ学校に通っていたのだけれど、在学中に言葉をかわした記憶がお互いに無い。だから共通のエートスを持っているのにほぼ初対面、というなかなか稀有な状態から友人関係がはじまった。
これが何とも興味深い。
というのも、この友人と話していると、僕がこの土地を離れて東京で過ごした4年の間にどう変わったのかということがよくわかるのだ。
僕が友人との会話の中で語った言葉を後になって思い出すと、わりにびっくりするようなことを言っている。そういう言葉はどれも、4年前の僕であればぜったいに口にしなかったようなものばかりだ。上京する直前まで同じ環境で育った人を相手に語る言葉だからこそ、そういうことをより強く感じる。
言葉そのものだけでなく、その言葉のバックボーンになっている物事の見方だったり、情報の受容の仕方だったり、そういったものが東京での4年間で大きく変わったのだということが友人との会話の中であきらかになってきた。この人と高校時代に出会っていたらきっとこういう話はできなかっただろうし、こういう言い方もできなかっただろうし、そもそもこういうことは見えていなかっただろうし聞こえていなかっただろう、というようなことを、僕は友人から教わっている。
大学生だった頃のことを、僕はうまく思い出すことができない。
うまく思い出すことができないけれど、いま僕が社会を見、聞き、考え、そして書いたり語ったりする言葉が、僕が東京で大学生をやっていた4年間の意味を表してくれているような気がする。そうであって欲しいなと思う。
まぁそもそも。
ちょうど4年前、僕は上京する直前の心境を語るエッセイを書こうとしたものの途中で筆を折ってしまった。あの頃の僕には社会を語る言葉も僕自身を語る言葉も無かったのだ。
今の僕には、それがある。
このエッセイを書き上げられたということが、それを証明してくれているのだと思う。
この文章こそ、僕の大学の卒業証書だ。
僕へ。大学卒業おめでとう。
でもね。
君は君ひとりの力でここまで辿り着いたのだと慢心してはいけない。
この文章を書くことができるようになるまでの4年の間、君はたくさんの人からたくさんのことを受け取ってきた。そのことに感謝して、これまでに出会ってくれたすべての人たちと、これから出会うすべての人たちのために、精一杯、生きたまえ。
もう一度言おう。
僕へ。大学卒業おめでとう。
これからも、わからないことのわからなさに向き合っていこう。
さぁ、ここからが本番だ。
≪追記≫
よく考えたら(否、よく考えなくても)、3月31日から4月1日に日付を跨いだところで何も変わらないのではないか。
僕たちは人生の最後の日まで学び続けるべきだし、どこかの企業に入って仕事をするようになるより前から既に社会の一員として生きている。そういう意味では、僕たちはずっと学生だし、ずっと社会人なのだ。
学生だとか、社会人だとか、そういった区分は建前上のものでしかない。
僕は僕だ。
これまでも、これからも、僕は僕として、僕の生を全うするしかないのである。
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