”主体的に行動する”、ということは自分で責任を取るという決意から始まる
こんにちは。
見出し画像は、2月下旬に「自然いっぱいの空気のおいしいところ」に行った時の写真です。
お天気もよく、気温も高めで・・・、
おかげさまでエネルギーチャージができました・・・。
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最初に言っておきますね。
今日はちょっと”スパルタ”でいきます!笑。
下のリンクの記事は、メンタルコーチのワタナベ薫さんの書くアメブロのとある日の記事。
わたしはこのお方が大好きで、ワタナベ薫さんの人生哲学に共感し、毎日ブログを拝読、ご著書も何冊か読ませていただき、日々活力をいただいています。
先日の薫さんの記事で、「主体的に生きること」をテーマに書かれていて、今日はそのことについてピアノ講師という立場を例にして考えてみたいと思います。
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ピアノレッスンの現場で子どもが「お母さんがピアノを習えって言ったから習っているだけ」と言う生徒さんがいます。
だから「練習したくない」「練習できない」と言う。
これって、たしかにきっかけは親に言われたんだけど、結局は自分がそれを受け入れた(習うことを拒否しなかった、もしくは拒否できなかった)ということだよね?
時々、生徒さんからこんな話が出るとわたしはいつもこう言います、
「お母さんから言われたかもしれないけど、でも習いに来ているのは誰?」
「それは本当にお母さんのせいなのかな?」
「どうして習いたくない、イヤだ、と言えなかったの?」
そうするとたいてい・・・「イヤと言ったけど聞いてくれなかった」と答えます。
ここまでは想定内のお話し。(誘導尋問もような感じにもなっていますが、ここはきちんとその子に聞くのです)
そしてここから・・・。
「イヤと言ったけど聞いてくれなかったからイヤイヤ習っているの?」
この質問をすると、大抵の生徒さんは「・・・」となります。
もうズバリ! 胸の内をこじ開けられたみたいで、生徒さん自身がいい気分ではないのはわたしもわかっています。
中には「イヤイヤ習っています」とズバッと言う子もいます(メンタル強いね、そういう子は・・・)
イヤイヤ習っている、というのを先生から指摘されていい気分でいられないのは、生徒さん自身の「罪悪感」を掘り起こされた感覚がしているのでしょう。
イヤイヤ習っている、なんて言ったら先生に悪いし、自分もそう思いたくない。
こんな感じです。
自分の置かれている状況を「他責」にする、ということは
「自分は悪くない、練習していないのはわたしが悪いのではなく、無理やり習わせた母親が悪い」と言っているのと同じなのです。
でもこれって本当に、”お母さんのせい”なのかな?
ここで親子関係に焦点をあてていきます。
親子関係がうまくいっていない親子の場合、親が子どもの話に聞く耳を持っていないケースが多く、親の都合で子供に無理に習わせ、それが正しいと思っている。
親の言い分は、「この子は何をやっても長続きしなくて、わたしが決めないと何もやらないので・・・」と言います。
子供を何をやっても長続きしない、と決めつけてしまっているわけです。
そして、この子は自分からすすんで何もやらない子だという決めつけもしています。
自分が何もかもを決めてきたから、子どもさんが自発的に何もしなくなった、ということには気づいていないのです。
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ささいな日常のありとあらゆる決断を「自分でさせる」んです。
そして、失敗してもフォローしてあげればそれが成長につながる。
明日の学校の準備(教科書をランドセルに入れることなど)、宿題をいつやるか、など。
宿題やることについては上の薫さんの記事にも書いてあるので、ぜひ読んでいただきたいのでここでは割愛しますが、たとえ宿題忘れてもそれはお子さん自身の責任。
ピアノレッスンの場合でも、ピアノのテキストや筆箱、ノートなどバッグに入れるのも親がなんでもかんでもやってしまうと、忘れ物をした時に「お母さんが準備したから、知らない」と言って、自分は悪くないと言うんです。
お母さんは”忘れ物しないように”という思いでやってあげているつもりでも、それはお子さんのためにはなっていないことがほとんどです。
こうやってひとつひとつ、自分で決めて自分でやって、自分で失敗したら、「お母さんが・・・」ってそのうち言わなくなります。
習いごとのような大きな決断ではなく、小さなことでいいから決めさせる。
そして、その決断に親はあれこれ言わないで、ちょっとアドバイス加えてもいいけどそれでもいいならそうしなさい、とだけ言えばいい。
もっと主体的にさせたければ何も言わずに、子どもの選択を受け入れる。
命に関わることだったり、危険だと思うことは言った方がいいと思うけれど。
自発的にピアノを習う生徒さんの成長はすごいんですよ。
要するに、ものは言い方・・・だということ。
「ピアノ弾けるようになったらすごいよね」とか「お母さん、〇〇ちゃんの弾くピアノ聴きたいな」などと言うと、お子さんは「やってみる!」と言うかもしれません。(言わないかもしれないけど、たとえ言わなくてもそれでも習わせたかったらまた別の言い方探してみればいいと思います)
お子さんの場合は、素直なので、試行錯誤しながらいろいろな言い方をしてみると何かのひょうしにヒット!するかもしれません。
大人の場合はなかなかうまくいきませんが・・・。(もう素直じゃなくなっている場合が多いので、笑)
子供の頃、なんでも親が決めてきた子は大人になってからもなかなか自分では決められず他人の意見に振り回されることが多くなりがちです。
そして、自分がこうなったのは、社会のせい、親のせい、できごとのせい・・・というようになんでもかんでも「他責」にしてしまうようになります。
親はどうしても子供に失敗をさせたくない、恥ずかしい思いをさせたくない、という気持ちで決めてしまいがちですが、それは子供が恥ずかしい思いをするのではなく、子どもが恥ずかしい思いをしているのをみている自分(親)も恥ずかしいんだ、ということに気づくことが大切。
他人は自分の心のフィルターを通して反映されている存在なので、他人の失敗は自分の失敗と同じなんです。
特に親や子ども、パートナーなど近しい間柄は特にそう感じます。
自分にとって大切な存在であればあるほど、コントロールしたい気持ちが強まりますが、ここはグッとこらえて・・・相手の失敗から自分も何かを学べるんだと思って「言わない」という決断も必要かと思います。
人のせい、社会のせいなど「他責」にするのとは反対に、主体的に行動するようになると、そこには当然「自己責任」がセットでついてきます。
自分の責任で決めたことは最後までやらなければいけないから、やっぱり他人に決めてもらう・・・ではいつまでたっても自分の人生は歩めない。
どうしてこんなスパルタチックなことを書くのか・・・というと、
私の母親もわたしに対してこれ・・・やっていたからです。
典型的な”過保護”な親に育てられ、母親は”わたしのため”と思ってやってくれていたんですけど、どうもそうではなかったようだ・・・ということに気づきました。
自分で決めてきたようで、実は決めていなかった・・・ということに大人になってから気づいたんですよね。
親は選べない・・・というけれど、きっと”選んで”生まれてきているのだと今は確信できます。
そこから気づいたこと、そして学べることは山ほどある!
自分の人生は、誰のものでもなく「自分のもの」だから。
そして失敗の数だけ、人は強くなれるんですから・・・。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。
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