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これが「私の親友」だと言えるようになるまでのストーリー。それが【マイ♥ベスト♥フレンド】

これは、チューナーのいない、菜々美と紗彩、
ふたりだけの、「デート」のおはなし……。

【マイ♥ベスト♥フレンド】それは真なる救済の名前。
その圧倒的なクオリティと完成度に私の世界は塗り替えられた。まずはその前提となる土台の話、そこへ目を通してほしい。

私はマイ♥ベスト♥フレンドに対する拗らせ方について絶対的な自信がある。このストーリーを私が手にできた奇跡へ感謝を。それがどれほど奇跡の話であるかにこの生涯を賭そう。

イベント本編の登場人物は2人だけ。そう、菜々美と紗彩だけだ。イベント実装カードのストーリーにはチューナーも出てくるがそれは本編に関与しない。
このイベントは本当に菜々美と紗彩の2人だけの話で始まり完結する。
ではその真髄、どんな話なのか。ただ単に2人が「デート」をするだけの話ではない。

マイ♥ベスト♥フレンドとは菜々美と紗彩が親友になる話である。

この説明に違和感を抱くことは正常である。いや、2人は元々親友だろ、と。公式からも散々親友だと擦られているのではないかと思うだろう。その考えは正しい、そしてそう思ったのであればもうこの沼へ両足がハマっている。
より、適切な言い方へ変えよう。

傍から見たら親友同士である2人が本物の「親友」になる話なのだ。

我々チューナー視点から見ても、周りの誰から見ても一片の淀みなくどう見ても菜々美と紗彩は親友だ。だから、そんな2人が親友になるとはどういうことなのか。
そう、当人が親友だとは思っていないのだ。もっとマイ♥ベスト♥フレンドに即した言い方をするのであれば、後ろめたさを感じている。胸を張って親友だと言えない状態。

だから、親友になる為にはそれらを解消する必要がある。そのわだかまりが解かれ、2人が本当の親友になるまでの話。それがマイ♥ベスト♥フレンドだ。

「親友」である2人が織りなす話ではない、傍から見たら「親友」の2人が本物の「親友」になる話である。マイ♥ベスト♥フレンドという言葉の意味もここに宿る。
このミスリードによる圧倒的なストーリー力の高さには本当に感服した。菜々美と紗彩は親友である、そんな疑いもしない事実をミスリードとして使用している。
それでいて2人の関係性にマイナスの作用は一切働いていない。

だからマイ♥ベスト♥フレンドは神のイベントなのだ。傍から見ているだけでは絶対に気付けない、2人の間にしかなくて当人にしか分からないわだかまりを解消する話。
そう、2人だけの問題を解決する話だから「ふたりだけのデート」でなければならないのだ。

通じ合っているし分かり合えている。でもどこかでずっとすれ違っていた。今回もすれ違いは存在している。だが今回はそのすれ違いこそが世界の救済、ストーリーを見ればその全てを理解できる。

あらすじ

ある日、菜々美は突然紗彩からデートに誘われる。久しぶりに2人で遊びに行かないかと。菜々美は喜びその誘いに乗り、休みに2人は出かける事となる。

デート当日、2人は双子コーデでプリクラを撮ったりシュークリームを食べに行こうとして迷子になったりと1日を満喫する。
街並みも夕暮れに彩られる頃、紗彩は菜々美に話を振る。

「誘った時菜々美がきてくれるか不安だった」
突然の告白に菜々美は驚き、自分は楽しみにしていたし今日もとても楽しかったと告げる。だがそれでも紗彩の言葉は止まらない。

「自分はかつてひどいことをたくさん言った」

2章「アマデウス」内での出来事、そして1章「いばら姫」の中の回想の話である。私の気持ちがわかる? 等、菜々美の本当の苦悩も分かっていないのに身勝手なことを言ってしまったと後悔していた。

それでも、一緒にいたいから紗彩は「デート」に誘った。菜々美にそのことを謝りたくて、その上で友達であり続けたくて。

そんな本心を吐き出す紗彩に菜々美も今まで言えなかった自身の想いを伝える。

「ありがとう、と大好き!」
菜々美が紗彩に伝えたかった言葉はそれだけ。紗彩はずっと自分が菜々美を傷つけていた、そう思っていた。だが実際は違う、菜々美は紗彩の言葉に救われているのだから。
でも菜々美もそのことを伝えていなかった。あまりにも当たり前のことすぎて伝えていなかった。そんな菜々美にとって当たり前の言葉に紗彩は「救われる」

わだかまりの溶けた2人は再び歩き出し、ちょっと早いイルミネーションを目にする。少し肌寒いから、持っていた1枚のストールを2人で巻き、笑いながら煌めく街を歩いていく。
そこから先、どんな話があったのかは2人だけにしか分からない。

実装カード

「寄り添う温度」の覚醒後イラスト
「ふたりの景色」の覚醒後イラスト

ふたりだけの「デート」である真の意味

1、2章の際にもした話だが、2章は1章のストーリーを伏線としている。
自分の気持ちは紗彩には分からないと怒る菜々美を前にして、紗彩は菜々美のような天才になれない凡才の気持ちが分からないだろうと心中思っていた。
菜々美に言った言葉がそのまま自分に対する救いの言葉になっていたこと、そして同じ思い出に救われているということ。
2章における紗彩の葛藤と苦悩は1章を見ることにより深く味わうことができる。

マイ♥ベスト♥フレンドは更にそんな2章を伏線として昇華している。
何よりも、紗彩が菜々美に対して負い目を感じていたということ、それをずっと気にしていたこと。これを知ることができるというのが非常に大きい。
それが何を意味するのか、2人の関係性に深みが生まれることを意味している。更に踏み込もう、紗彩の感情のでかさを推し量ることができることを意味している。

元々紗彩にとって菜々美は憧れであり、苦しみの元でもあった。それは菜々美という存在に対してではない、その類まれなる音楽の才能に嫉妬していた。友人として彼女のことが好きな気持ちと演者として天才に嫉妬する気持ちが混じっていた。
好きの感情と嫉妬の感情、そのどちらも抱えていた。
友達として菜々美に抱く感情を天才へ抱く凡人の嫉妬が凌駕するすんでのところで紗彩は立ち止まれた。だから2人はサリエリとアマデウスにはならなかった。

だからこそ、好きだからこそだ。嫉妬の側面が出ている時に言った言葉を後悔する。
それは贖罪であり自己嫌悪にも等しい。
菜々美は、天才は天才なりに苦悩していた。菜々美はずっと菜々美だった、自分の友人でいてくれたというのにそんな彼女を嫉妬のままに傷つけてしまったかも知れない。
そんな心の負い目をずっと感じていたのだ。そして、そのわだかまりを解消したくて2人だけの「デート」に誘ったのだ。

紗彩の「デート」という言葉選びから、すでにこの気持ちを清算したいという想いを読み取ることができる。
「遊びに行く」でも「おでかけする」でもない「デート」である理由。基本的にデートは2人で行うものだ。前者のような誘い方では他の友人やチューナーも一緒に行こうとなるかも知れない。
だから「2人だけで出かけたい」という意味が全面に出ていることが「デート」という言葉から伺える。

紗彩が菜々美にひどいことをいってしまったと謝る場面において「前みたいに一緒にいたくて」この言葉から続く先は菜々美によって遮られる。
私はこの先の言葉は謝罪をしたかった、といった意の言葉であると考察する。
菜々美がきてくれるか不安だったというのも自分に贖罪の機会が訪れるか不安だったという意味である。だから2人だけでなければいけないのだ。みんなの前でそんな話は出来ないし恐らく菜々美はそうなれば気を遣った返事をする。

だから「デート」でなくてはだめだったのだ。菜々美に気を使わせずにふたりで出かけられる言葉、それはデート以外にない。
ふたりだけのデート、主人公であるチューナーすら出ることのない異色のストーリー。2人の関係と救済に他者の介入は不要であることを意味している。誰の助けもいらない。

紗彩は自分の言葉で菜々美に想いを伝え、菜々美もまた自分の想いを素直に伝える。ただそれだけでいい。紗彩も菜々美もお互いがお互いに大好きだった、それを確かめあっただけに過ぎない。

救済はデートと告白、それに対する菜々美からのありがとうによって成された。

デートがあり告白があり返事があり、それによって2人だけの関係性が生まれる。こういった面においてもしっかりと「ふたりだけのデート」という言葉に則っている。このストーリー構成の美しさが見えるか。
イベントのストーリーだけあって、文章のボリューム自体はさほど多くない。だがその少ない文章だけでこんなにも的確に最大限の力を発揮する構成となっている。そこにはやはり1、2章で積み上げた2人の関係性と伏線があるからこそだ。

「ありがとう」の一方通行

紗彩にとって菜々美を助けたという自覚はない。でも自分は菜々美には助けられた。だというのにそんな菜々美に嫉妬と妬みからひどいことを言ってしまったという後悔。
そして菜々美から紗彩への思い、自分はずっと紗彩のことが大好きだし、感謝の気持ちを抱いていた。
そのどちらも等しく一方通行の感情である。だからこそ、それを解消するものは「ありがとう」という同じ言葉なのだ。

菜々美は1章2章通じて、しっかりとした言葉で「ありがとう」と紗彩へ伝えていない。
対して紗彩は2章エピローグにて菜々美へ感謝の気持ちを伝えている。
だから、菜々美の「ありがとう」の言葉により2人の間に同じ気持ちの言葉が生まれる。お互いにずっと同じように大好きでずっと感謝をしていた。でも心の奥底でわだかまりがあった。

菜々美のために言った言葉で計らずも自分が救われた紗彩に訪れる真の救済とは菜々美からの真っ直ぐな「ありがとう」に他ならない。
それは紗彩の存在そのものに対する肯定に等しい。「許す」でも「気にしてない」でもない。
「ありがとう」だ。菜々美の中ではずっと紗彩への想いは感謝だった。それを知ることこそ、紗彩にとって何よりの救いとなる。

同じ一つの「ありがとう」の言葉により2つの点は線になる。しかも大好きまで付いている。「ありがとう、と大好き!」である。
ここである、マイ♥ベスト♥フレンドの真髄は。
菜々美は紗彩に救われ、紗彩もまた菜々美に救われる。その関係性の架け橋となるのが「ありがとう」である。これに心震わされずに何に涙を流すのか。

天才と凡人、光と闇。そういった部分で確かに2人は対照的な存在で真逆と言って良い。だがもっと深い部分において2人は互いに同じベクトルで感謝し合い、大切な友人だと思っているという共通点がある。
それは2人が天才だ凡人だとか才能がどうだといった些事に振り回されるような薄い関係でないということを意味している。

だから菜々美と紗彩はサリエリとアマデウスにはならなかった。それは彼女たちの関係が「天才と凡人」の2人でない、ということを意味している。
では2人の関係性の名前とはなにか? この答えは最初から明示されている。「親友」即ち「ベストフレンド」であろうか?
それだけでは足りないな、そうだ。「”マイ”ベストフレンド」である。

「マイ・ベスト・フレンド」とは関係性の到達点、その名前である。

なぜ「マイベストフレンド」なのか

「親友」でも「ベストフレンド」でもだめなのだ。「マイ♥ベスト♥フレンド」じゃなきゃだめなのだ。胸を張って、私の親友だと言えるようになるまでの過程がこんなにも懇切丁寧に描かれているだ。
ただの親友ではない、"私の"親友と胸を張れるようになるまでの話がここにある。
周囲から見たら2人は親友同士である。菜々美も紗彩もお互いに大好きに思っている。でも紗彩の心にはわだかまりがある。
紗彩は胸を張って菜々美が私の親友だとイベント前だと言えないのだ。それを言えるようになるまでの過程を描いた話。

何度でも言おう、ベストフレンドな2人が織りなすストーリーではない。紗彩が菜々美こそマイベストフレンドだと言えるようになるまでの過程を描いたストーリーだ。
1、2章でもずっと仲が良かったと明言されていた2人が。周囲の人達から当たり前のように親友だと認知されている2人が本物の「親友」になるまでの話なのだ。
だからこんなにも私の心を震わせたのだ。限界関係性オタクの魂はここにある。「ベストフレンド(親友)」という、ともすれば安っぽく陳腐になってしまいかねない言葉の扱いがこんなにも美しいのだ。
なにが2人を親友にしていなかったのか、そんな2人がなにをもって親友になるのか。そのアンサーは胸を張って相手を親友と言えるかである。曖昧な境界線へ区切りをつけるのはその心の在り方だ。

ららマジが出した菜々美と紗彩の関係性の極地。その言葉は「マイベストフレンド」だ。こんなにも美しい言葉が、世界があるだろうか。

この宇宙における「親友」の描写、その究極到達点の一つである。周囲から見てそうであるかどうかでも、安っぽい言葉による確かめ合いもいらない。当人たちが胸を張ってそう呼ぶことができるのか、そこを境界線とするのはあまりにも力の魅せ方を理解していると言わざるを得ない。

そして、このストーリーの中で後述する1シーン以外で「親友」という言葉は出てこない。本編中においては1度も出てこない。
「マイベストフレンド」という言葉もタイトルでしか出ない。
そういった言葉を安易に口に出させない。大切なことを口にさせれば伝えることは容易である。だがそれをさせない、あくまでもストーリーと会話だけで表現する。だから安っぽくならずこんなにも重厚なのだ。
何よりも重要なのは明言することではない、明言せずとも説得力があることである。それが「マイ♥ベスト♥フレンド」にはある。
メインストーリーで培った2人の関係性とミスリード。ふたりだけの確執を超えた果てに生まれた関係性、それを感じ取ることができる。

このイベントの後でも、周囲から見たら2人の関係は変わっていない。そしてストーリー上でも特にこれといって2人の距離感だとかが変わることはない。
2人は変わらずにずっと親友だった。だが確実にこのストーリーの前と後では2人の関係性は違う。外から見ても分からないが2人の間だけに分かる変化があった。これがあまりにも美しい。

2人しか知らない世界、秘密の共有

マイ♥ベスト♥フレンド本編は登場人物2人だけの話であるが、それに付随するストーリーには主人公であるチューナーが登場する。
ガチャでカードを引くことで見ることのできるカードシナリオのようなものだ。

そちらにおいてチューナーが出るわけだがその扱いが極めて巧妙である。このイベントに関してはチューナーさえも2人の関係性の奥深さを際立たせる舞台装置の一つに過ぎない。

2人のデートから何日か経った後、菜々美と紗彩からそういえばこの間2人で遊びに行ってきたとそういった雑談をチューナーが聞く話になる。
菜々美も紗彩もお互いに確執を解くに至ったあの話をチューナーには話さない。

だからチューナーの視点からしても2人の関係性になんら変化はない。前も後もなく、変わらず2人はずっと仲の良い親友だ。本当にその真なる関係性の変化は2人だけにしか分からない。周囲から見ても何の変化もない。
傍から見たら親友同士の2人が真なる親友になる話、その真髄がここにある。徹底して外部からは変化が理解できない造りとなっている。
そして、遊びに行った以上のことを深くは話さない。菜々美と紗彩による秘密の共有という演出が成される。これがまたストーリーへ深みを生み出すわけだ。
他の人間に話すことでもないし、理解してもらおうとも思わない。2人だけの大切な思い出がここに存在する。菜々美と紗彩にとってそれがどれだけ美しいものか、それをこれだけ大切にもったいぶることで理解させてくれるのだ。

「菜々美は菜々美だった」この言葉を聞くことができるのは非常に素晴らしい。

紗彩も本当は知っていた、菜々美はそういう人間であると。ずっと変わっていない、お互い変わらずに大切な友人のままだ。菜々美は変わらずにずっと菜々美だった。それは紗彩が菜々美のことをよく理解しているという事実へも繋がる。
しっかりとお互いを理解し合っている、傷も悩みも知っている。それでもやっぱり本質は変わらない。音楽が好きで一緒にいると楽しい大切な友人。それがぶれていないということが分かる。

だから、だからこそだ。この一言がこの世界の真理であり究極となる。
菜々美と紗彩以外からしたら言われなくても知っているという今更すぎる事実だ。それでも、今までの紗彩であればこの言葉を口にすることはできなかった。だが今は違う。
自分がそう思っているように、菜々美もまた自分を大切な友人だと思ってくれている。そんな当たり前の事実を確認し、自身の中で渦巻いていたマイナスの感情を精算することができたから胸を張って「親友」だと言うことができる。

これである、私がずっと言ってきたことは。紗彩がチューナーという第三者に対して胸を張って菜々美が親友であると言えるようになる。その事実の重みと美しさを解く為にここまできたのだ。
今ならば分かるであろう、この何気ない言葉の真の重みが。誰がどう見ても親友なのにただ一人紗彩だけが親友だと肯定することができなかった。
だからマイ♥ベスト♥フレンドは2人にとっての関係性の始まりであり到達点である。

そして菜々美と紗彩、どちらのカードストーリーにおいてもチューナーにその辿り着いた光景、2人だけで最後に見たイルミネーションの写真が見せられることはない。
だから「ふたりの景色」という名前が付けられている。
話はするが核心には触れない、あの特別はふたりだけの「ふたりの景色」であるということを強調してきている。
こういった絶対的なブレなさ、そしてストーリーと関係性への理解度を熟知した掘り下げと構成には頭が下がる。菜々美と紗彩の関係性に関しては絶対的に公式が最大手であると断言できる。私はそれだけのものをもらっている。

「ふたりの景色」を「ストールいちまい」共有して見る。かように美しいカードイラストの表現があろうか。ららマジにおいて当時初であったイラストが合体するカードであった為、見た瞬間から大層泡を吹きに吹きちらした記憶はいまだ鮮明だ。

若干の余談になるが2021年の6月に行われたリアルイベントにおいてもこの2人のところだけこの2枚を繋げたイラストが使用されていた。そういうところである。

マイ♥ベスト♥フレンド

この宇宙で最も美しいもの、それは「マイ♥ベスト♥フレンド」である。イベントバナーにおける・が♥になっているこの演出、本当に一目見ただけでこれはやばいと本能で理解できる造りになっており非常に脳に染み渡る。

私は限界関係性オタクだ。ららマジ本編をやっていた際、まだマイ♥ベスト♥フレンドがくる以前でも菜々美と紗彩の2人が一番好きであった。
そこには1、2章で話をした2人の関係性の強さがある。友達として接する中、天才に嫉妬する心に揺れていた紗彩の卑屈さと愛おしさは特別であった。
そして結局嫉妬には負けなかった、もっと言うのであれば嫉妬に負けたくなかったから自分を殺すことを決めた。それは菜々美を憎みたくないという想いの現れであり、それだけ紗彩にとって大切な友人だったということの証明でもある。

紗彩の、ひいては2人の関係性の美しさに心打たれ愛していたわけだ。そんなところでこんな辺り一面を焦土と化すレベルの火力を叩き込まれたらそれはもう一生拗らせてしまうというもの。
私はそれに対して喜ばしくもあり誇らしくもあり怖くもある。こんなにもピンポイントで完璧な供給をもらえることがあるのか、あってよいのかと。

そもそもだ。そもそもの話、作中で1番好きな女と2番目に好きな女のチュープリとかとてもじゃないが正気の沙汰ではない。
そうでなくても双子コーデでプリクラなどというものはなかなかお目にかかることができない。
それがどうだ、こんなにもハイパワーなイベントでそんなキラーパスが飛んでくるなどという経験をしてしまえば簡単に人は壊れる。

2019年の4月に行われたWEBくじに出た日めくりカレンダーでは各キャラ1人1日のものとなっている。

よく見てほしい、1日と31日を。そう、菜々美と紗彩の枠だけ2人で一緒なのだ。しかも両方ともマイ♥ベスト♥フレンドのイラストだ。
公式からの扱いからもこのイベントの本気度が伺える。何気にこのカレンダー以外にチュープリとストール共有のイラストを使用した公式グッズはないためこれは非常に文化資産の高いものである。

そしてこれらの圧倒的力の奔流は私にもう今後ららマジをやっていく中で「マイ♥ベスト♥フレンド」以上の力を得ることはできないのではないかという恐怖を与えた。
事実、私の中で後にも先にもこれを超えるものは出ていない。だがそれで良いのだ。「マイ♥ベスト♥フレンド」と共にあれ、運営からのそんなメッセージをこの力溢れるストーリーからしかと受け取ったからだ。

だが以前にも話をしたようにららマジというゲームは非常に性癖の間口が広い。私にとっての永遠が「マイ♥ベスト♥フレンド」であったように各プレイヤーが抱きしめる永遠は違うはずだ。
それはクラファン報酬のアイコンが物語っている。私は他者と被る覚悟でそれでも「マイ♥ベスト♥フレンド」のオタクとして生涯を全うせんと「ふたりの景色」覚醒前のイラストを選んだ。チュープリのやつだ。
だが結果として「ふたりの景色」は疎か、アイコンのイラスト被りすらなかった。その事実が幅の広さを証明している。本当にすごいゲームだ。
また、このアイコンをクラファンで選んだ際、運営から以下のような質問が飛んできた。

目を疑った。なんなのだこの福利厚生の充実は、と。私は紗彩ちゃんガチ恋でもあった為、大いに悩んだ。だがやはり決め手となったのはマイ♥ベスト♥フレンドの存在だ。
「ふたりの景色」は菜々美と紗彩のふたりの景色だ。それは絶対的不可侵領域である、長らく悩んだ気がしたが、答えは最初から決まっていた。

これ以外にありえない、救済の形は1つだけ。これだけが生きる道導。だからこそ驚いた、前述の通りアイコン被りは発生しなかったのだから。世界には人の数だけ永遠がある、そんな当たり前の事実を再度深く噛み締めた。

それでも私からしたら毛頭信じられない、確かにことストーリーとキャラに関してららマジは圧倒的なクオリティを誇っていた。だが最強はやはりマイ♥ベスト♥フレンドだろ、と。だから他の誰かが抱く私にとってのマイ♥ベスト♥フレンドが何であるのかには強く興味を惹かれる。それを考察できるクラファンのクレジット欄はとても楽しいものであった。
遠くない未来、クラファン第二弾がきたとしたら私はやはり「ふたりの景色」をアイコンに選び、生き様を見せつけたい。

それほどまでに「マイ♥ベスト♥フレンド」は私にとって深く鋭く突き刺さるものであった。伏線と掘り下げ、そして辿り着いたゴールのカタルシス。その全てが圧巻のクオリティである。
何度でも言いたい、周囲から見たら親友な2人が本当の親友になるという話。その着眼点の凄まじさを。それに対しての伏線と説得力がイベント前から敷き詰められていたことの意味を。それは最初からここがゴールだと決めていたかのようだ。

このストーリーはその言葉から始まり、締めくくられる。読む前と後ではがらっと意味が変わる、始まりにして完成の言葉。
「親友」でも「ベストフレンド」でもダメ。最も相応しい言葉、そう。

「マイ♥ベスト♥フレンド」

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