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なにがそいつのマイ♥ベスト♥フレンドかわかったもんじゃない[ららマジ ノベライズプロジェクト達成記念イベント】

ららマジ~ホニャららMAGIC~ ノベライズプロジェクト達成記念イベントに行ってきた去年のこと

もうすぐららマジのイベントで東京へ弾丸遠征をしてから1年経つ。そこで大きな認識の変化と世界の広さを感じたのでこの記事ではそれを書き連ねる。言いたいことは表題の通り、本当に何がそいつのマイ♥️ベスト♥️フレンドなのか分かったものではない。ということだ。

私はららマジのオタクである。このゲームに限らずも私は過激派寄り同担拒否の気があるのでファン同士での交流を好まない。それは自分が嫌な思いをしないためでもあり、無駄な争いを産まないためでもある。

そのイベントはこじんまりとした展示イベントだった。

このような感じで各キャラごとにそのカードのイラストでパネルがあるのだ。
現在進行系で私はららマジのオタクであるが、世界に偏在するららマジのオタクがどのような存在なのか何が世界におけるハイスタンダードなのか知らない。

私はサービス開始3ヶ月後にこのゲームを始め、サービス終了まで毎日遊び、その間に行われた全てのストーリーを見た。
その上で確固たる結論を持っていた。それは全てのイベントとストーリーにおいて頭一つ抜けて、いや圧倒的にして絶対的に【マイ♥ベスト♥フレンド】が最強のストーリーだということを。

私がマイ♥ベスト♥フレンドのオタクであることを加味した上でも、やはり当イベントが最強であると信じて疑わなかった。サ終の際も私は名残惜しさや悲しさはあったが未練はなかった。なぜならばマイ♥ベスト♥フレンドがあったから。これ以上に見たかったストーリーが今後与えられることはないとすら思っていた。

なので思い込みをしていた。流石にこれは世界の目から見ても最強であろうと。だからこそ私はことららマジにおいて他のファンとの交流を恐れていた。強すぎるマイ♥ベスト♥フレンドへの狂信はそれが世界にとっても最強であろうと信じて疑わなかった。故にこそ震えるべき同担拒否の気が常に警告を発していた。

だが、ある意味でそれは杞憂であった。

ららマジ展にて、当該写真の通りマイ♥ベスト♥フレンドは唯一ぶっこぬきイラスト掲載という破格の扱いを受けていた。私はこのパネルを見た瞬間脳の神経が全て焼き切れ、迸る脳内物質に耐えきれず危うく公共の場で膝から崩れ落ちるところだった。
だがそのパネルの前で足を止めていたのは私だけであった。それなりの人が同じフロアにはいたため、私は正気を疑った。今にして思えばもしかもしかして私が狂気の形相でパネルの前にいたから近寄り難かったのかもしれない。
私が行った日がそうであっただけかもしれないが、さくら・塁・結菜辺りのパネルが人気だったかのように感じる。

そこで私は世界とのズレを感じた。正確にはズレではない、多様性を認識しただけだった。思うに元からそうであったのだ。
そもそもららマジというコンテンツはそのコンテンツの性質上いい意味で拗らせ女のオンパレードだった。だからこそ各々の性癖が色濃く反映されるのだ。
マイ♥ベスト♥フレンドもそんな性癖の爆弾の一つに過ぎない。あまりにも私の性癖にピンポイント過ぎてそんな当たり前のことを忘れていた。

それは同時に大いなる喜びすら与えてくれた。マイ♥ベスト♥フレンドも大いなる世界の営みの一つに過ぎないという現実は、ある事実を認識させてくれたからだ。私が今まで読み、好きだと思い終わらせた話・あるいは今回はそこまでだったなで終わらせたイベントのストーリーが誰かにとってのマイ♥ベスト♥フレンドだったのだ。
それを認識したら急に怖くなった。武者震いといっても過言ではない。
事実、どんなストーリーにどう拗らせている人がいるかわかったものではないと言えるだけのストーリー力がららマジにはあった。だからこそ、それは絵空事のようなものではないと感じられた。

道行く人の数だけ人生があって、灯りの点いている家の数だけ家庭がある。そんな世界の営みとなんら変わらない。
このららマジ展にいる人の数だけその人にとってのマイ♥️ベスト♥️フレンドがあるのだと。何気なく立ち止まって見ているパネルも、撮っている写真もその人からしたら心中並々ならぬ興奮を隠していたのかも知れない。それはとても興味深いことだった。
世間の人間が無意識的に行っている好きの共有をあまりしないが故に生まれたズレだった。が、だからこそ今知れてよかったとも思えた。

私は好きの共感というものにあまり重きを見出ださない。なぜならばそれは既に知っていることだから。自分の中の好きという感情を言葉として、あるいは文章としてアウトプットすることはさしたる難行ではない。ある意味で共感というよりも答え合わせのような感覚すらある。新しく吸収できるものがないのであればさほどの価値を見出せない。

なればこそ、今回の件でそれよりももっと自分の好きでないものを拗らせている人間の話を聞きたいと感じた。自分には刺さらないものを墓標としている人の話はそれは面白い。
自分からしたら大した魅力でないものがその人にとってのマイ♥️ベスト♥️フレンドなのだと、そしてそれはまた逆も然りなのだと。それは確かにとても面白いことだと感じた。
他人に左右されない確固たる好きを固めた拗らせ限界オタクであったが為に生まれた変化だ。


クラファン報酬の話

ちなみに時は進みららマジ展より約1ヶ月後、待望のららマジクラファンリターンが届くことになる。
クラファンリターンの高額納税者は自分の名前の横に好きなカードイラストをアイコンとして定めることが出来た。私は当時そもそも一択であったがそれなりに迷ってこのアイコンを選んだ。何が懸念であったかというと他の人と被ったら嫌だなという思いがあったが止まるわけにはいかなかった。なぜならば私はマイ♥ベスト♥フレンドのオタクだから。

マイ♥️ベスト♥️フレンド限界オタクの生きた証であり誇りであり誉であり墓標

だが蓋を開けてみればそれは杞憂であった。杞憂どころかそのページを見て唖然とした。マイ♥ベスト♥フレンドはおろかそもそもアイコンの被りがなかったのだ。やはりこのゲームは本当にただ常軌を逸していたのだ。性癖の闇鍋とでも言うべきであろうか。
何が言いたいかというとそのクラファンリターンのアイコン一つ一つにそいつにとってのマイ♥ベスト♥フレンドが詰まっているのだ。

私は定期的にそのページを見て思いを馳せる。
なんとなく見たことあるけどそのイラストの全貌が思い浮かんでこなかったり、なんのイベントで実装されたイラストかなどまるで思い出せなかったりするのだ。非常に面白いと思わないか。私が断腸の思いでそのイラストを選んだように恐らく他の人も同じように様々な思いがあってそのイラストを選んだのだろう。私にとって墓標と呼ぶに相応しいマイ♥ベスト♥フレンドも他の人からしたら凡百のイベントに過ぎないかもしれないという現実は直視に耐えない。だがそれが現実なのだった。

本当に人の世は面白いと思った。私は自分の好きなものがなにか、性癖がなにか少なからず理解している。故に何が自分にとって興味がないか、好きになれないかも理解しているつもりだ。だからこそ自分の好きでないものの話を摂取したいと思えたのだ。今までそれらには近寄らないようにしていた。興味がないから面白く感じられなかったからだ。だがこのマイ♥ベスト♥フレンドの世界認知事件を経てその思考が変わった。
私にとってそれが大きな収穫だった。それがひいては分からないものは面白いと思える認識の変化に繋がった。

本当にマイ♥ベスト♥フレンドは人生に様々な大いなる光を与えてくれた。



マイ♥️ベスト♥️フレンドについての記事も必ず出すのでまたその時に。


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