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【シンフォニック=レイン】リセルート感想。刹那的な「今」だけに固執する人生の儚さと美しさ


【シンフォニック=レイン】
このゲームについては上記を参照。あとはネタバレは絶対に見ない方がいいので買おうか迷っているだとか未プレイの人はとりあえずクリアしてからここへ戻ってきてほしい。

先日ファルルートをクリアした。その素晴らしさについては下記記事より。

そして今回リセルートをクリアした。非常に性癖的に突き刺さる内容のオンパレードで大満足であった。あまりにもリセの存在は股間へ刺さるものが多かった。
私は庇護欲を掻き立てる存在が大好きだ。この時点でもうリセの境遇や与えられた仕打ちがいかに私の性癖を刺激するものであったかという話である。
ケーキを切ったこともないリセが手土産にケーキを買ってきてくれ、下手くそに切られたぐちゃぐちゃのケーキを2人で笑って食べるところなどこの2人の不器用で醜くも甘い生き方そのものすぎて感動すらした。
そんなリセルートの感想について下記より語っていく。

マイナスな意味合いでの「今」を生きるというテーマ

このルートにおける大きなテーマは「」を生きる、ということである。それはポジティブな意味合いではない、過去からも未来からも目を背け続けて連続する瞬間だけを生きる破滅的な意味合いでの「今」を生きる、だ。
親であり進むべき未来からの子供だけでの脱却、このストーリーにおいては基本的な進行方向は「逃げ」になる。どうしても避けて通れない壁に当たるまでその問題から目を背け続ける。いつの日かその壁に当たることを薄々感じつつも壁に当たらなかった今日を甘受する。
そんな甘美で堕落、刹那的な逃避行がリセルートの持つ魅力だ。

リセルートは全体通して閉塞感で満ちている。それでいて中盤辺り、リセとパートナーを組むところくらいから閉塞感に加えて先の見えない未来に対して向き合わない不安からくる暗い雰囲気が世界を包む。
序盤でリセを連れてみんなの前で歌わせようとした失敗があるから、リセを大切にしたいという想いが強くなればなるほどにクリスからリセが前を向く為に何かを打開しようとする気持ちが見られなくなる。リセと一緒にいるため目の前に壁が出たら1つ、乗り越えたらまた1つと連続する「今」だけにスポットが当たる。
この刹那的な「今」というものが全編通してリセルートのテーマとなっている。始まりからパートナーになれるかどうかは別にしてただ会える日に旧校舎でアンサンブルを楽しむ。そんな今の連続が結果としてパートナーになれたというだけだ。だがそのテーマが本当に牙を剥くのはリセとクリスが半同居状態になってからだ。

親からの仕送りで暮らすクリスとリセ、2人だけの世界。あの小さなアパートの一室だけが2人の世界の全てになる。自立できる能力のないクリスは現状ではリセを守っていくことも養うこともできない。仕事はできない、学校へも行かない、家出してきたリセには当然帰る場所はない。
だがそんな時間こそが今までずっとクリスの求めた穏やかな時間であった。2人だけの世界で外界と断絶し、音楽を楽しむ。そこには生産性もなければ未来もない。だがその穏やかな堕落が、緩やかな死が2人の求めた穏やかな世界だった。
だからこそ2人はいつか襲ってくる現実への恐怖を断ち切ることができない。何かを変えなければならないことは理解している、それでも「今だけ」そんな今だけを求める今日の連続へ身を委ねるしかない。それが快楽だからだ。この目先の安寧へと逃げて堕落し続ける様子があまりに胸を抉る。
この生活の中でクリスが【ただこうしてリセとするアンサンブル、音楽は楽しかったが目標を失った】という喪失感に苛まされるシーンは衝撃的であった。卒業公演にも講義にも情熱的でなかった、旧校舎でただアンサンブルできれば楽しいと言っていたクリスが目標と喪失感について感じるのは昔のクリスと対象的で面白い。この2人だけの世界での生活はかつての学院へ通い音楽だけをしていればよかった頃のクリスと違い、自立を迫られて大人にならざるを得なくなった彼の成長と変化を感じる。
また、学校へ行かないがリセは疎かクリスの知り合いが誰も心配して訪ねたりしてこないこともこの閉塞感に一役買っている。幼馴染であり恋人であったアルとの交際は自らの手で断ち切り手紙も届かない。アルとの交際が切れたこと、今まで露骨に距離を置いていたことも相まってトルタとの距離も離れている。ファルもアーシノも2人からの忠告を無視してそれでもと修羅の道を歩むことを決めたクリスだからこその孤独があのリセと2人の部屋に退廃的な閉塞感を生む。
そしてこの堕落の持つ、いつの日か今日じゃないいつかに訪れる絶望への恐怖を感じさせる。この鬱屈とした空気と世界が非常に素晴らしかった。

今だけを生きる2人だけの「グッド」エンド

リセルートは全体的にこの鬱屈とした空気と自分よりも遥かに大きなグラーヴェという存在、それが父であり音楽家として絶対に敵わないが故にいかにして逃げるかという点にスポットが当たっていたのが素晴らしかった。
結局のところクリスはついぞグラーヴェを打ち負かすことはできなかった。

「あまり人を信用してはならない」
これは序盤にファルとアーシノから受けた忠告である。ファルは個別ルートをやればわかる通り既に思考の段階が大人であり、アーシノはグラーヴェと同じ貴族である。そんな2人から受けた忠告が最後の最後まで付き纏ってくる。
卒業公演のあとにこの言葉を思い出せなかったから、心のどこかで信じきれないグラーヴェを信じてしまったから最後までクリスは本当に大切なものを失い続ける。結局のところクリスはリセとの安寧という連続する「今」を失うことでしか大人になることはできなかった。
その刹那的な生き方はエンディングを迎えても変わらない。毎日仕事が終わればリセの元へ顔を出す。休日にはずっと一緒にいる。そして「今日」はリセが元気にならなかった、という刹那だけを見て生きる。最後まで明確な未来を見据えることができない、リセとの結婚も気休めに過ぎない、不透明ないつかの話の域を出ない。

リセの好きなことだけやっていられたらいい、という想いは計らずもエンディングにて精神の崩壊による社会からの強制的な逸脱という形で叶う。
結局のところ、彼女もクリスと同じでずっと子供であった。親から脱却し、クリスと2人で生きていく機会はいくらでもあった。だがその道を選ばなかった。それは彼女の無垢さ、純粋さがあったからだ。最後にはすっかりグラーヴェ、大人の悪意を見抜けず信じてしまったから。
卒業公演の直前、リセは自宅へ奪われていた楽譜を取り戻しに行く。生まれた時に持っていたが奪われてしまった楽譜を取り戻しにいくことは、リセにとって抑圧されていた自分を取り戻しに行くという儀式に他ならない。
だがリセはついぞあの楽譜を手にすることができなかった。それは結局のところ親の支配から抜け出せなかったことを意味する。これがリセルートに蔓延する大いなる閉塞感の大きな要因の1つだ。

卒業公演の前日、クリスは未来への不安と若さ故の純粋さから自立してリセと生きていくことを選べなかった。同様にリセも親の支配から抜け出しクリスと生きていくことを選べなかった。それがあのエンディングへ至る悲劇を生み出した。
だが過程はどうあれ結果として最後にはリセは笑顔を取り戻し、クリスの演奏に合わせて歌った。これまでの流れを汲めば失ったものはあまりに多く、純粋グッドエンドとは言えないであろう。
だが連続する「今」だけを刹那的に求めて選んできた2人にとってはこれは確実にグッドエンドになる。過去でも未来でもない「今」だけを抱きしめて生きている彼らにとってはこの結末はグッドエンドに他ならない。
確かにグラーヴェとの確執は解消されなかった、楽譜も取り戻せなかった、音楽家としての成功も得られなかった。アルとの交際も絶ち、トルタには苦言を吐かれるし恐らくクリスの世界にはリセしか残っていないであろう。得られるものはなく、失ったものは多い。だがリセは戻ってきた。リセとのあの今だけを生きる刹那的な時間は戻ってくる。そんな刹那の瞬間を切り取ったあの終わり方は2人にとってこれ以上ないグッドエンドである。
対して卒業公演を失敗することで見ることのできるバッドエンドでは、やはりリセを失うがこちらでは明確にプロの音楽家を目指しリセを迎えに行くという未来を目指している。
怠惰な連続する今だけを生きるグッドエンドと明確な未来を見据えて生きるバッドエンド、クリスという人間の生き方として見たらどちらがグッドエンドなのかを考えさせる後味の悪い終わり方も非常に私好みで素晴らしかった。
だからこそ絶句した。ここまで徹底するのかと。大人になって未来を見据えて目標に向かって走り続けさせることをバッドエンドにするのには流石に恐れ多い。本当にあまりにもルート内のストーリーが掲げるテーマが一貫しすぎていてこれが本当にすごい。本質がブレていないストーリーの与える凄みをこれでもかと活かしすぎていて引くほどに清々しい。あまりにもストーリーにおけるテーマを活かす構造が巧すぎる。

思えば取り壊されていないだけの古びた旧校舎での出会いからこの刹那的なテーマは一貫して示されている。2人は自分たちしかいないから、2人だけの世界だからそれが心地よくていつなくなるかも知れない旧校舎で会い続ける。
そうして突然に旧校舎には入ることができなくなる。恐らくこれはグラーヴェの指示なのだろうがそれは些事に過ぎない。この時点でもう2人は未来を見据えず瞬間瞬間を過ごしていくだけだという生き方が示されているのだから。この経験を経て変わらなかったことで2人の刹那的で退廃的な生き方はもう永遠だということを思い知らせる。それが2人の部屋に、ひいては2人だけの病室へと繋がっていく。
あまりにも一貫して刹那的で、なによりも破滅的な話だ。だからこそ美しい。儚いから美しい。滅びいくものこそ、美しいものが足掻き苦しむからその一生懸命な姿は美しい。リセルートには儚さによる美しさのなんたるかが凝縮されている。

リセのテーマソングであるリセエンヌにおいてもこの連続する「今」だけを生きる歌詞がふんだんに使われており本ルートクリア後に歌詞を見るとそれはもうメンタルを抉られてとても気持ちが良い。
【どんな明日が来ても 私 こわいものはない
だって 今日を 今を生きてる】

という1番のサビの歌詞は最後のサビにおいて
【どんな今日だとしても新しい日々が塗り替えていく そして明日は希望】
という風に変わる。これはクリスとリセの2人同棲生活から最後病室での生活へ移り変わったことによる心情の変化を見て取れる。
前者は卒業公演についてもグラーヴェについてもどんな明日がくるのは分からない、でも今はクリスとリセの2人だけのこの時間を生きている今だけは幸せだから良い。後者はリセの快気しなかった日でも明日は良くなるかもしれない、その連続する明日への希望があれば幸せ。といった形の描写であろう。何度も言うがリセルートにおいては「今」だけが全てだ。だからこれが2人にとっての幸せの形なのだ。
あの希望を持てる終わり方だけが、あの時点における2人だけのグッドエンドになる。

良すぎるからこそのなぜこれがR18でないのかという悔やみ

リセルートは本当に素晴らしかった。私個人の性癖としても大満足であったしストーリーそのものとしても非常に面白かった。
だからこそ見出しにもしたR18展開が見たかったという贅沢な欲望が止まない。あの2人だけの同棲生活での堕落しきった本番シーンだとか躾の一環としての尊厳破壊だのあまりにリセはR18映えが過ぎる。そういったところでの惜しさはあった。だがそれ以上にやはりストーリーの良さと苛虐心と庇護欲を掻き立てるリセの姿が素晴らしかった。
この直前にやったファルルートがまた別のベクトルで性癖ド真ん中であった為にハードルが少し上がっていたような懸念はあったがまるで問題なかった。
現状トルタ・ファル・リセとグッドエンドを見たのでこれより先に何があるのか分からないからこそ続きを楽しみに思う。
恐らくアルとの話があるのだろうなとは思っている。それを見ることで消化不良であったトルタルートのラストやリセルートでトルタの口から出てきた「贖罪のつもり」という言葉について自分なりの解釈を出せたらと思っている。

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