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ずっと前から聞いてみたかった「お前の一番好きなラブライブ曲はなに?」俺から最初に伝えてしまえ

ずっと前から うんと前から
聞いてみたくて待ってた
私から最初に伝えてしまえ
「大好きです!」

告白日和、です!/南ことり、小泉花陽

一番好きなラブライブ曲はなんだという言葉と共に銃口を突きつけられたらなんて答える?
迷えば敗れる、そんな極限状態でたどり着く答えにこそお前の全てが詰まる。
私の答えは決まっている。いつだって、今だって。

【告白日和、です!】

それこそが世界の約束の名前である。私は幾度とこの曲について狂い散らかしてきたがなお足りない。

定期的に【告白日和、です!】とかいう曲あまりにも良すぎるだろ期に突入し発作に蝕まれる。この狂いを飼いならすことなど不可能。
なれば共存する以外あるまい。今日も私は告白日和に命を燃やす。

私は真に自分が【告白日和、です!】を本当に曲として歌詞として存在として大好きなのだなと自分自身思ってならない。

なぜならば、無印ラブライブで一番好きな子は真姫ちゃんだからだ。

これは絶対である。ソレ真姫ちゃん|は譲れねえ。一番好きな子は真姫ちゃん、次に西木野さん、最後に西木野真姫。これなのだ。この意味が分かるか?

真姫ちゃんが一番好きでありながら一番好きな曲は【告白日和、です!】なのだ
私の告白日和への狂いはここに確固たる輪郭が確立されている。
もちろんことりちゃんもかよちんも好きである、だが狂うほどではない。そのためキャラ補正でこの曲がいっちゃん脳に来るわブーストがかかるほどではない。にも関わらず私の一番は【告白日和、です!】なのだ。
だから私は自分で思っている500倍は【告白日和、です!】のことが好きなのだという証明になる。なによりも俺の魂がそう言っているんだよ。

私はガチ恋勢である。そしてここには世界から失われつつある確かなガチ恋エナジーが存在している。これに対し、もはや説明は必要あるまい。この歌詞を見て恋をできないなどとそんなぬるいことを言うまいな。

正直な話この曲のシチュエーションとしては真面目に考えれば考えるほど意味不明だ。
だからこそ解釈の幅というものが生まれている。この幅があることで歌詞に書いてあるそのままよりももっと遥かに飛躍することを可能としている。
歌詞の上辺をなぞるだけの考察など無意味。そこに拗らせた魂が宿らなければそんなものはその辺の胡散臭いはてなブログで事足りる。

そんなわけで【告白日和、です!】は恋する女の子の告白に向かうもどかしさやいじらしさを抱いた素敵なラブソングになります! いかがでしたでしょうか?

こんなものが見たいか? こんなものが俺たちの戦いと言えるのか。
否、否、否。俺たちの告白日和はそんな薄っぺらいものなどではない。
そう、つまるところ俺の戦いとは「俺がことりちゃんとかよちんから告白される」ということだ。この世界の真理があれば俺はどこまでも行ける。ガチ恋の解釈を広げるのだ、もっと自由に。

俺は二人とどんな関係でどんな告白をされどんな返事をしたのかまでその全てが解釈の幅の域に収まっているのだ。これを理解しなければ本当にただふわっとしたラブソングのまま終わる。
逆に言えばここを追及すれば無限の世界が俺たちを待っている。そこが俺の既に到達している世界、俺たちのスタートラインなわけだ。

解釈の幅があるからこそ、存在するものをよくしっかりと噛み砕く必要がある。このような何気ないことを考える時間にこそ人生の質は磨かれる。
最たる例が以下のフレーズだ。

ずっと前だよ うんと前だよ
聞いたことに答えて?

告白日和、です!/南ことり、小泉花陽

突如として叩き込まれるこの緊迫感である。今までのずっと好きだったなあいさつしたいな勇気だしてがんばるぞおっしゃいくぞおい♡みたいなテンションからいきなり【聞いたことに答えて?】と圧を出してくるこの温度差が本当に堪らない。しかも昔の話をだ。
本当に子どもも子ども、例えば俺たちが幼馴染と呼ばれる間柄に相当する関係性だった時の話なのか。昔すぎて俺だけが忘れてしまったことを向こうが覚え続けていたという重さと取るか、俺が気付かないところでこっそり言われていたのか。それとも彼女の妄想の中で何度も繰り返した言葉という意味だろうか。疑問は尽きないけどね get up'n go。

というかあまりにも前後の繋がりがなさすぎて本当にこちらの創造力に全てが委ねられている。しかしてこの解釈の幅こそが大いなる魅力だ。
告白日和、です!】の真髄はこの瞬間が告白日和であるということ以外何も開示されていない点にある
前述の通り、どんな状況でどんな関係なのか明かされているものは全くない。ただそこに存在しているのは俺が告白されるという事実だけ。そこに至るは数多の研鑽。だが辿り着くのは真なる世界である。
向こうからの二人称が出てこないことも混迷を極めさせる一因となっている。きみなのかあなたなのかで世界は変わるがここすらお前の好きなようにしろと委ねられているわけだ。だったら当然、本名+くん付だよな。

この解釈の幅に関しては虹の話にて散々出ている多様性が存在している。

一見ストーリー仕立てに見せかけているがそこに制約されているものは何もない。自由な発想でストーリーを組み立てることが可能となっている。
そうして残っているものは確固たる状況のみ、即ち今日が告白日和であるという真実だけだ。ここにこそ告白日和の宇宙は宿る。
今の人類に宇宙の全貌を把握することができないように、誰も【告白日和、です!】の全貌を把握して説明することができない。
だからこそ私は言うわけだ「これはかよちん(あるいはことりちゃん)が俺に告白しようとしている時の曲だよ」と。
これに対してそれは違うよとロンパすることは不可能だ。なぜならばそうでないという証明をすることができないからだ。

それは同時に私の論が合っていると証明することはできないこともを意味している。だからこそ面白いのだ。
俺には俺だけの、お前にはお前だけの【告白日和、です!】が生まれるわけだからな。
この告白日和マルチバースをもってして戦う必要は全くない。しかして共存する必要もない。即ちこの曲において我々は共感による感動を必要としない。この曲の世界は全てが各々の中の「告白日和」の中で完結する。その光の中へ完結する物語に他者の介入は不要。
俺はかよちんに告白されたことがありその答えを返していなかったしことりちゃんに「大好きです!」と言われているわけだ。この世界とはこれだけでいいのだ。万物万象一切合切それ以外のものなどこの世に不要。

そして未来もまた自由な世界が存在している。
このCDに収録されている【ぶる~べりぃ♡とれいん】と【孤独なheaven】が派生した未来である、そう考えることができる。
そのためことりちゃんは勝ってかよちんは負けてしまったのだと思うかもしれない。しかし浅い、あまりにも浅き者どもよ。

そうだ、俺たちには【好きですが好きですか?】が存在している。

この曲が存在している以上、かよちんに負けはなく俺とかよちんの間には【好きですが好きですか?】ルートと【孤独なheaven】ルートが存在していることになる。
それに【孤独なheaven】ルートは別に負けでもなんでもない。だってかよちんみたいな子ならば振りたいだろうが。そっちのルートからなんやかんやあってやっぱりかよちんが好きだみたいなジュラ紀のギャルゲーみたいな展開が映えるのは間違いなくかよちんしかいない。
そして俺は家に帰ればかよちんがスープを作って待っていてくれるのだ。お前にも見えるだろ、告白日和かよちんルートの景色が。俺には見えているぜ。

だからこそ本当に【告白日和、です!】は狂おしい。ラブライブにおける貴重なガチ恋曲として本当に今なお色褪せないトップクラスの火力を誇っている。
去年虹から出た各個人の公式ラブソングも本当に全てが珠玉の高火力であった。あちらが状況から世界から全てがその子のラブソングという点に徹底し領域展開を行っていた。

至高の域まで練られたラブソングという点では幾度となく話をしているが愛さんの【Request for U】や彼方ちゃんの【Cooking with Love】は圧倒的であり他の追随を許さない。

しかしあえて世界が不安定だからこそ、という点においてやはり【告白日和、です!】を凌駕することは困難である。
純然たる可愛さの奔流、止めどない火力の嵐。結局のところ暴力が全てを解決するように「かわいい」というものは人の脳を支配するには十分すぎる力である。

それにしても、今日はなんていい天気だろうか。やっと晴れた気がする。
こんなぱーっと晴れた日になると俺にはいつだって聞こえる。青春も聞こえるけどそっちではない。

ふと伝えられた言葉に俺はびっくりしてしまった。見えるか俺のこの顔が。歓喜に震える魂が。
その言葉、真に伝えたかったのは俺の方だ。先に言われてしまったけど、それでもやっぱり口にしないわけにはいかない。そうだな、伝えてしまえ。

「大好きです!」

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