見出し画像

文章には人柄が宿る

手書きの文字に人柄が出るというのはよく言われる話だけれど、これが活字の文章でも、同じことが言えるのかもしれない。
表に“出る”わけではない。
内に“宿る”のである。

先日、私の所属している学科で、1年生から4年生までの各学年から代表2名ずつを集めた学生座談会が開催された。
私はその会の企画・運営と、当日のファシリテーターを務め、開催にあたっての事前アンケートも実施した。

参加者は私を除いて7名。
そのうち4名は座談会当日が初対面で、残り3人の内2人は顔を知っている程度で話したことはほとんどないような人である。
よく知っているのは7人中1人だけ。
つまり、事前アンケートを見て、どの質問を誰に回答してもらおうか考えている間は、誰がどんな人なのかは分からないというわけだ。

事前アンケートを読みながら、この人は真面目できちんとしている人なんだろうな、とか、文章が長いところから見るとおしゃべり好きかもしれないな、とか、明るくて人懐っこい人なんだろうな、とか、学生同士のアンケートとは言え「そーゆー感じの」とか書くあたり陽キャだな、とか、文章の長さや言葉の選び方から色々なことを想像した。

そして、座談会当日、話してみると、その想像がぴったり当てはまっていたのである。
もちろん写真はないので見た目の雰囲気までは想像できないのだが、話してみると思っていた通りの人柄で、ものの数分で顔と名前が容易に覚えられた。

noteの記事を読んでいても、その向こう側にいる人がどんな人なのか想像することがある。
もちろん、答え合わせをすることはできないが、座談会のアンケートだけで6人の人柄を文章から想像できたと考えると、それほど大きく間違ってはいないだろうと思う。
座談会用の事前アンケートよりもnoteの文章の方が余程情報量は多いし、アイコンや見出し画像の選び方など、文字以外の情報も含まれるから、尚更である。

そう考えると、自分がnoteを通してどんな印象を持たれているのか、どんな印象を持たせる文章を書いているのか客観的に知りたくなってくる。
きっと、私そのままなんだろうと思う。
もし、私のことをよく知っている人が読んだら、私の文章だって分かってしまうかもしれない。

だって、中学生のときに書いた読書感想文ですら、クラスの友人に「これって翠雨ちゃんの作文だよね?」って言い当てられたのだから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?