見出し画像

はじめまして、歌詩書きです。

はじめに

みなさんはじめまして。

突然ですが、僕は最近までnoteの存在を知りませんでした。

いや、正確には見たことはあったのですが、誰かの個人ブログだと思ってました……

noter(表現合っているのだろうか)の皆さんすいません。


そんなnoteのnの字も知らなかった僕が何故今noteを書いているのか。

それは僕が今まで書いてきた「歌詩」を皆に読んでほしいからです。

「詩」でも、「歌詞」でもないです。
「歌詩」です。

初めて聞いた、という人が大半だと思います。
そうでしょう、僕の考えた造語ですから。


……そんなよく分からないものを、何故投稿したいのか。
それを話す前に、まずは僕について少し語らせてくださいm(__)m






自己紹介 ~飛ばしても大丈夫~

改めて、はじめまして。

「ムジナの芝居」という者です。
関西住みの学生です。

大学では演劇を学んでいます。が、演じることよりも戯曲(台詞の書かれた本)や演出家に興味があります。

というのも、高校の時所属していた演劇部では、役者よりも裏方側に精を出して取り組んでいたからです。

(始めは役者がやりたくて入ったけれども。その話もいつかしたいな。)


そんな演劇の海にプカプカ浸かっている僕ですが、「演劇の何が好き?」と聞かれるとかなり悩みます。

かなり悩んでから「書かれた台詞が言葉になる所」と答えると思います。


裏側の目線ですけど、劇は始めに台詞の書かれた台本が配られます。
当然ですがそれを「文字」として読みます。

でも稽古を進めて、役者が台詞を声に出していくうちに、
読んだだけでは分からなかった「言葉」としての面白さやニュアンスが見えてくるんです。

それがたまらなく好きなんですよね。

つまり
「文字を声に出すことで、魅力ある言葉になる」
その瞬間が好き。

そして、それは台詞以外にもあてはまるものがあります。

そうです、歌詞です。


……ちょっと無理矢理ですが、このnoteの本題にいきます。






僕が歌詩を書くまでの流れ ~ミュージシャンは偉大~

僕が歌詩を書き始めるに当たって、影響を受けたミュージシャンが2組います。

1組目のミュージシャンは「amazarashi」

僕は中学のときに彼等を知り、その歌に感動し傾倒するようになっていました。

おこずかいはCD・DVD代に消え、友達とカラオケに行ったらamazarashiしか歌わないほど、かなり沼ズブズブでした。

それほどまでにハマったのには「歌詞」の存在が大きく関わっています。

彼等の歌詞はどれも小説のような濃密な言葉の連なりで、読み物としてもしっかり完成されていたのです。

また「歌詞カード」には収録された曲を補完する、同タイトルの詩が添えられていたのもあって、歌詞カードを詩集として、心弾ませながらページをめくっていました。

今まで文学を避けていた僕にとって、歌詞カードが僕の「言葉」という芸術のはいりだったのです。

「歌詞って深いなー」という浅い感想を抱いていた僕が高校に進学した頃、
新たな音楽と出会いました。


それが二組目のミュージシャン「People In The Box」

彼等を初めて聞いたとき「なんだこの曲!?」と衝撃を受けたのを覚えています。

歌詞の意味は全然入ってこないのに、曲の中心を理解できたように感じたのです。

あまりにもデタラメな歌詞(今はそんな風に思ってない。ピープル大好き!)でも、音と合わさると、不思議と言葉の意味が見えてくるのです。


僕はこれまで、歌詞が曲を支えていると思っていました。
けれど、ピープルを知ってからは、

「歌詞と音楽が両方合わさって、初めて曲が完成する」

のだと考えるようになりました。


この思考になってから、僕は
「Peopleみたいな、音楽があって初めて成立するような歌詞を作ってみたい」と思うようになりました。

なんで?と聞かれると困るのですが、ただただ、やってみたいと思ったんです。

それである時、鼻歌を歌いながら、このメロディに適当に言葉をつけてみると、意外と面白くて。
The・実験アートだ!って感じがしたし、何より、簡単に僕の創作欲を満たしてくれる遊びで、とてもワクワクしました。

それから適当につけていた言葉を、ちゃんと文字に起こして書き残していって……。

そしてそれが、今日までの歌詩作りに繋がった。
という訳です。






今になって投稿した理由 ~そしてnoteと出会う~


適当に言葉をつける遊びから生まれた歌詩は、今はもう100を超えています。
約一週間に1つのペースで書いている計算です。

何事も三日坊主な僕が、ここまで飽きずに熱中していられるのは、奇跡と言わずなんなのでしょうか?

また遊びの回数を重ねる内に、韻や声に出した時の心地良さを意識して作るようになって、舞台の台詞を覚えるよりも夢中になっていました。

いつの間にか、この遊びが自分の世界の中心になっていたのです。


そのとき僕の中で、ある心の揺れが生まれていました。それは

「これを誰かに見てほしい」

という欲求と

「これは評価されるようなものではない」

という思いとの葛藤でした。


僕が書いているのは、「曲のない歌詞」であって

「歌詞と音楽が両方合わさって、初めて曲が完成する」

と思っている僕には、
自分の生み出すものは、中途半端だとどこかで感じていたのです。

そこに「あくまでも遊びだ」という意識も働いて、
いつのまにか、こんなお遊びを誰かに見せたいのか? と否定的になっていました。


そんな時に、noteと出会いました。


キッカケは「僕と同じように歌詞だけを書いている人はいるのだろうか」
という疑問から、ネットで調べたことでした。

すると、僕と全く同じ、「曲のない歌詞」をnoteに上げている人を見つけたのです。

その方の投稿を僕は、「詩のように美しい言葉選びだなぁ」と惚れ惚れしながら読んでいました。




あれ?


詩のような……?






あ!!!






僕は自分の書いてきたものに、大変な思い違いをしていたのだと気づきました。

僕は、ずっと未完成な歌詞を書いているのだと思って悩んでいました。

でもそれは僕がそう思い込んでいるだけで、何も知らない人が見たら、僕のこれはただの詩に見えるのではないか、と。

「『心の動きを言語で表したもの』が詩だとすれば、歌詞も詩の仲間じゃないか!」

と気づいたのです。

すると、今まで遊びだとか中途半端だとか感じていた「曲のない歌詞」が、れっきとした文学作品に見えてきたのです!


ずっと自分の中に抱えているだけでは、どんどん内的なものしか生み出せなくなってしまう。

僕にとってそれはとても嫌なことでした。もっと発展していきたいと、どこかで願っていました。

演劇で役者が演じるために台詞がいるように、曲を歌うためには歌詞が必要です。(※個人の見解です。)

もしかしたら、誰かが「歌詞のない曲」を持っていて、僕の「曲のない歌詞」を求めているかもしれません。

もしかしたらですよ。

とにかく、僕の認識が変わったことで、「これを誰かに見てほしい」という思いに素直になることができました。

詩でもあり、
歌詞でもある、
僕の書く「歌詩」を皆に読んでほしい。

そう前向きなってから、noteに歌詩を投稿する決断は一瞬でした。






さいごに

さて、ここまで勢いに任せて文章を打ってしまいましたが、
歌詩を見せるのが少し恥ずかしくなっている自分がいます……。

やっぱり、書いたものを人に見せるのは勇気がいるし、
ケチョンケチョンに酷評されたらどうしようかと考えちゃったりしたり。

でも今行動しないと、また自分が嫌になって内側に籠ってしまうので、

もう僅かばかりの承認欲求で押し切ろうと思います。
どうなっても知らん。


更新頻度は未定ですが、なるべく長く続けていけるようにしたいです。

あとは無理せず投稿します。noteの基本ですね。

あと、まだまだ先の先の話になりますが、「歌詞を使いたい!」と言ってくれる人が現れたら、ぜひ使ってほしいです。
歌詞として曲を付けてくださったり詩として朗読してくださったり……夢が膨らむ一方です。

歌詩の改変とか二次利用?とか細かいルールは追々決めていこうかなと思っています。
まだ1つも歌詩を上げてない時点で何を言っているんだという気持ちですが。

あ、これだけは言いたいのが、


「自作発言」は絶対やめてく゛た゛さ゛い゛!!
されたら泣きます。頑張って書いてるので。






さて、ひとまずここでおわりにします。

1つ目の歌詩はすぐ乗せるので、少し待ってほしいです。

それでは、


歌詩書きの「ムジナの芝居」をよろしくお願いします!

この記事が参加している募集

#自己紹介

229,488件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?