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綴る理由

先日、ある所から文章を書いてくれないかと依頼をされ、
文章が出来上がり無事公開された。

ところが、真面目に書いてないんじゃないか、という批判コメントが来た。
私の書く文章の口調がゆるいから、この場には合わないと。

傷ついた。
反論したかったが、こうあるべきと決めつけわざわざ私に言ってくるような人に意見しても平行線だ思い、うやむやにして受け流した。

ちなみに依頼者に確認すると、これで問題はないという。
もっというと、私の他にも書く人がいるが、ゆるい人は結構いる。
その人の個人的な考えに私の文章が沿ってなかったから批判してきた。
アンチじゃん。こわ

ここからが本題、題名通り書く理由

幼少期から読書は好きだった、図書室で借りた本の数が人より一桁
多かった。インプットしたらアウトプットすることが重要と誰かが言った。
でも、アウトプットができなかった。
どういう風にしたらいいのかわからないままインプットするだけの日々が
続いた。
インプットするたび自分の考えを練ったが、形にはできなかった。
生み出す行為は苦手なのだと思い込んで、10代までを過ごした。

大学2年生、MUVAに入るとコラム集の作成をしていた。
私も書いてみたかったが、何を書けばいいのかわからなかった。
一文字も書けずにいるうちにコラム集が出来上がった。
やっぱり無理だったなと思った。

みんなどうやって書いているのだろうと思い
MUVAのHPのコラムを読み漁った。
面白かった。こういうふうに自分の意見って言っていいんだと思った。

それから数か月後、初めてコラムを公開した。
失恋して色々考えたことが文章になった。
デビュー作が恋愛コラムて音楽映像団体的にはどうなんは置いといて。
もちろん気恥ずかしくて読み返せない。

書くことの面白い部分は、人に見られるからしっかり考えて書く、そうすると自分の中のなんとなくの前提も疑問に思える、また考える、気づく。
大変な部分は、頭の中を文章にすること。思考は魚みたいで在るのはわかるが掴みずらい。放置すると姿を隠す。自分が何を考えているのかを文字に
するまでが本当に疲れる。

それと書くことは精神をすり減らす。
自分の思想と向き合うのはなかなかしんどい。なぜそう思うかを辿ると
思い出したくないことも出てくる。でも思い出さないと書けない。
そうしないと、誰かに変だと言われても、これが私の考えだと胸を張って
言えない。
向き合わずして書いたものは、なんか違うでボツになる。
他人の目に触れるものだから適当に書いてはいけないと責任を持って書く。
語彙や事実の確認を念入りにする。文章構成なんて正解がないからぐるぐる見直す。
これを何回も繰り返すから、ひとつ書き上げるとへとへと。

それでも、書く。
自分が考えていることを形にするのが楽しい。
好きな作家のような心抉る文章を書きたい。
憧れの人のような機知に富んだコラムを書きたい。
思考の記録を残したい。
小論文の出来が申し分ないと内定先の人事が言う。
独特な言い回しだけど言いたいことはわかる、個性的だと社長が言う。
後輩が一言褒める。note運営がこれでもかというほど気分を上げる。
イラスト提供してくださった方からコメントをいただく。
文章を書いてくれと依頼される。
私より年下なのに素敵な文章を書く人がいる。
何と呼べばいいかわからない感情と出会う。
長年悩んでいた答えがやっと見つかる。
文学に触れ、溢れ出る感想を整理する。

理由は小さなパズルピースが組み合わさってできたようなささやかな動機。
多分これからもピースは増えていく。きっと。

「文章を書く人の文章だと言われた、嬉しい。」と誰がが言った。
いいな、それと私も思う。
文章を通じて自分を表せる人でいたい。

(執筆者 すいか)

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