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心が体に引っ張られていく

心が体に反応するとき。
私の体はもう私のものではなくなり勝手に私の心の反応に押されて一人で非常事態を宣告している。もうこのプロセスに入ってしまうと抜け出すのはなかなか難しくてそれらが過ぎ去っていくのを待つしかない。深呼吸をして目とつむる。頭がガンガン痛む。どうにかしたくてもどうしようもない時もある。そんな時もある。少しだけ自分の心とうまく付き合えるようになってきた。

昔からあがり症で人前で発言したり発表する機会になると手足が冷たくなってうまく動かなくなって息ができなくなって苦しくなっていた。ひどい時は頭の中が真っ白になって倒れそうになった。だいぶあがり症はよくなったけど同時に緊張や批判、アドバイスなどを受けると一気に体から力と血の気がさーっと抜けていくのがわかる。理性ではこれらはみんな私のことをよくするために言われてることであって私の人格を否定しているわけではなくてって言うのを頭の中で何度も繰り返しているのだけどガン無視されている。そんなこともあって成績表は怖くて開けないしコメントやアドバイスを読むのに成績をもらってから1週間くらい待たないと無理。とにかく人からの評価が怖くて怖くて仕方がないのだ。

臆病で自己肯定感の低い人間なのでこれらの意識が極まって結局怖くて人に何も見せられないし発表できないし怖くて挑戦できないから改善の余地もないし同時にこれと反比例して承認欲求がかなり激しくなる。それらを私のことなんて理解できない、私の能力なんて測れないっていう方に振れてくれればだいぶ楽だったのかもしれないけど残念ながら私には到底たどり着けない社会のスタンダードというものがあっていつもいつもそこの底辺を彷徨いながら自分という人間に誰も目もくれていないのに一人で評価の世界の中でのたうちまわっていた。

学校というシステムに入るととてもはっきりとした形で目の前に自分の評価というものが提示される。コメントや詳細がついてる時とついていない時がある。両方とも同じくらいに嫌いでそれでいて同時にそれらの評価を必要としている自分がいる。私はこの評価を通して存在価値を確立しなければならないのだという使命感に駆られてしまう。学びたくてわざわざ仕事もやめて大学に入り直したのに成績に一喜一憂してしまう自分の心がもどかしくて仕方がない。

また成績の返ってくる時期になった。
心の準備はできていないけど少しずつ自分の価値をもっと違う場所で確立させることができるようになりたい。

mugiho


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