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何がなんやら怒涛の3週間。入院した母は、可哀想なのか、可哀想じゃないのか。

下書きに書き留めていた覚書きを加筆修正した日記です。

12月3日(金)
入院5日目。朝5時前、母が入院している病院から携帯電話に電話がかかってきた。昨晩から母がそわそわして、ベッドから降りて病室をウロウロして、「帰る」と荷物をまとめ出した、という。看護師さんが母を諭してくれたのだが手に負えなくなって、私に電話がかかってきたのだ。

電話を替わると、病院への不満、不安が次々と出てきて止まらない。ひとしきり話を聞いて、明るくなったら行くから、と伝えて、なんとか電話を切った。昨日は「来なくていいよ~」と軽いノリだったのに、どうなった?

午後、父と病院へ行くと、救急病棟からリハビリ棟へ移った後だった。素直に移ったのか?リハビリ棟へ行くとベッドにいて、落ち着いていたのだが、とにかく早く退院したいという。

きのう、同室の人が亡くなって(たぶんリハビリ棟へ移動)、その人がいたベッドの所のカーテンの上を十二単を着たお雛様みたいなのが歩いて行った。今日はお葬式を1時間も見ていた。リハビリ棟への移動は「拉致されたのかと思った」と。せん妄が出た。家でも(50年前に亡くなっている)母がいる気がする、と言っていて、「せん妄」を知っていたが、知らなかったら介護初心者の私はもっとショックが大きかったと思う。

コルセット製作の件もあり、介護認定を受けなおすためソーシャルワーカーさんや理学療法士さんと今後について話をした。

私は検査や入院の意味をしっかり説明したつもりだったのだが、母は、理解はできていたが納得はしていなかったのだ。夕方5時頃に病院を後にし、夕飯を父と外食していた時、また母から「本当に退院できるのか」と電話がかかってきた。

12月4日(土)
面会に行くと、午前中、リハビリの先生と一緒に歩く練習をしながら、廊下の窓から外を見て自分のいる場所を確認し、少し安心したという。「入院した病院が初めての所だったから」というのだが、もう50年以上住んでいる町で、入院前に場所は伝えていたが、聞いていなかったのか、わからなかったのか。何しろ、すべてが不安材料。外を見て確認して安心したというのだから、リハビリの療法士さんには感謝だ。

午後、車椅子に乗り療法士さんに押してもらいリハビリステーションには素直に行く。私と父も、どんな所か廊下からチラッと見るのはOKということでついて行った。やけにしっかり「もう帰ってもいいよ」と言い、「もう、一人で興奮してなあ」と苦笑いする母。どこまで混乱し、どこから正気なのか、よくわからない。

12月5日(日)
自分の居場所を確認して安心したのか、話すことが落ち着いてきたし、電話もかけてこなくなった。しかし、まだ歩き回ると危ないので、ソフトな身体拘束で服に付けているクリップがはずれたり、ベッドから降りたりすると看護師さんがすぐ駆け付けるようになっていたのだが、母はそれが鬱陶しいと言う。カーテンの間からだれかがこっちを見ている、とか(たぶん夜の見回り)。まあ、確かに鬱陶しいだろうが、自分が病人だという自覚がないこと自体が「高齢者」だなあ。

12月6日(月)
主治医との面談。主治医は、胸椎の複雑な圧迫骨折なので硬いコルセットをつけ、少なくとも6週間は安静にしておいた方がいいと言うのだが、介護初心者の私は、「体を治すことを優先したけど、このまま母を病院に置いておくと認知症に移行するかもしれない。90も近いから、体が少々不自由でも、穏やかに安心して過ごせる方がいいのではないかと思う」と話し、退院を早められないかと相談した。

大たい骨などを骨折すれば退院どころではないだろうが、今回は長期の入院で本当に認知症になり、身体の拘縮が起こるという別の心配がある。高齢者が体調を崩すと問題があり過ぎる。

退院するかわり、起きている時はコルセットを必ずつけ、足が弱らないように運動するなどの生活を私や父がサポートしなければならない。介護の体制と覚悟ができるなら、家で過ごすことも可能だと言われた。

いつも「帰りたい」という母の訴えを聞いていたリハビリの先生も、「十分気をつけて家で療養した方がいいと思う」という意見だった。

もう退院の気持ちは決まっていたので、介護認定の手続きをするため、市役所へ。認定の流れの説明、ケアマネージャーさんへの連絡など、病院のソーシャルワーカーさんがテキパキと進めてくれて、助かった。

12月7日(火)
家で過ごす際の「動作指導」を受けた。ベッドから起こす時やトイレでの介助、歩くときに気をつけることなど、介護する側も疲れない方法を教えてもらった。

廊下で歩く練習をしていた時、主治医がやってきて退院日の話になった。
主治医は9日を予定していたのだけど、母が「退院した方が元気になると思います!!」と大きな声で言ったものだから、先生が大急ぎで薬剤部に薬の処方をするよう連絡しに行った。まったく、どこが弱っているのか。病院に入れられて可哀想なのか、可哀想じゃないのか。こっちが可哀想だわ、とため息。

12月8日(水)
遂に退院の日。病院の皆さん、お騒がせしました。
ベッドに移る時、足で蹴られた(足がベッドに当たったか?)。トイレで立ち上がろうとしたら、子どもにするみたいにズボンの後ろを片手で引っ張りあげられた、大人にすることじゃないわ。まだ目が覚めてないのに、4人がかりでほかのベッドに荷物みたいに運ばれた。薬を載せたスプーンを口の中に突っ込まれた、etc。そういうことはあったかもしれないけど、話、百分の一ぐらいで聞いてます。

そりゃ、中には力の強い看護師さんもいるでしょう。愛想の悪い職員さんもいるでしょう。今はいろんなことがある世の中だから気をつけるに越したことはないけど、母の基準でいちいちチェックしていたら、生きていけない。最高の状態であるのが一番だけど、病院に限らず、神経質な母のチェックは結局自分で自分を苦しめている。

(つづく)






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