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初めてのヨガ

私が30年培ってきたことといえば、身体のカタさだろう。海の向こうで今やヨガマスターになったタイキは、それをよく知っていて、新入社員の頃外は氷点下のトマムの寮で事ある度に笑のネタにされたのをよく覚えている。前屈さえもできず、関節の可動域は狭小。20代前半は気合で何とか克復していたのだけれど、肩凝りと偏頭痛は年経う毎に蓄積されるばかり。

スポーツは、女の子にモテるための手段だとか、球技は耐えず勝つことを要求されるとか、生まれてこのかた、かなり穿った見方しかしてこなかった。ついぞスポーツのレクレーションとしての側面や、社会性を養う場としての役割、もちろん身体能力を健康に保全する機能は、ことごとく私の人生から、その誤解のせいで失われていた。そう、この損失はあまりにも大きく、弊害は深かった。眼精疲労は、つい最近までその炎症で少し熱っぽくなった程だ。

今までかすかに抱いていた危機感は、ついに羞恥心を超えた。何とかしなければならないという逼迫感が、脚をジムに運ばせたのだ。

初めての水泳、初めてのヨガ。
全く滑稽でしかない姿、インストラクターのお姉さんに苦笑されながら、四苦八苦している。ただ、卑屈ではない。意外と自分を自分で笑えている。それよりも、呼吸と筋肉の動きに内省的になることで、今まで知らなかった身体への発見と驚きで溢れている。

恋をした翌朝の眺めが、いつもとは違って見えるように、いつか視界が拓けるのではないかと予感がする。今はただただ、嬉しい悲鳴、筋肉痛でしかないのだが。

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