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はためく孔雀と閏の日

10年以上前、私が高校生だったとき、地元の当時はとても活気のあったTSUTAYAで、私は1本のアルバムを買った。
それは確か中古のもので、蓋の留め具は壊れていて、歌詞カードの四隅はぼろぼろになっていた。
東京事変の「教育」というアルバムで、
CD自体にも傷がついていたせいか、再生すると所々にノイズのような音が混ざる。

そのアルバムの曲たちは、所々残るノイズ音でさえもあたかもその曲のひとつの趣であるかのように私の鼓膜に傷跡を残して、10年経った今でも消えないくらい素敵で、私の今までの人生のいろんな場面を彩ってきた。

未だに私のiPhoneには「群青日和」も「遭難」も「御祭騒ぎ」も、当時のノイズ音入りのもので残っていて、プレイリスト最古参の曲として残ってくれている。

来たる2◯2◯閏日。
東京事変は再生した。
謎のウイルスが蔓延して、日本どころか世界中が未知のなにかに脅かされ、平穏な生活に制限を強いられるようになってきている中で、
東京事変は東京の中心地で再生した。
彼等の佇まいは、長いものに巻かれろとか、国の決定だから、という大義名分のもと自分で思考し、行動する、という本来の人として、いち大人としてあるべき姿を失いかけていた人たちに対して、自分の行動はいつでも自分の責任に基づいて選択することができる、というひとつの可能性を示してくれたのだと思っている。

元来、我々は選ばれざる国民、ではなく、本来は選ぶべき国民のはずだ。選択の自由を持って生まれてきたはずだ。

だから、行く、という選択も行かない、という選択もどちらも必要で、決行する、という選択も、中止する、という選択も存在すべきであり、だいじなことは、それは自分の意思に基づいた決定でなければ意味がない、ということを東京事変は示したのではないだろうか。
それができて初めて、色々な立場の人がいて、それぞれのとった選択の多様性を尊ぶことができるのだと。

いま、この先の見えない状況の中、矢面に立ち突破口を開くという姿勢が、どれほどの覚悟のいる選択であったかは想像がつかない。
でも、別に今でなくたって、それなりに生きていればそういう局面を迎えた経験は大人になる過程で誰だってあるのではないか。
苦しみ、悩み抜いて、それでもなあなあにしないで選んだからこそ、先に繋がったことが、たくさんある。
周囲の言葉を鵜呑みにせず、自分のあたまで考えて意思決定をするという当たり前に見えて難しいことをやってのけてきたひとは強いし、広い視野をもって未知を開拓していける。
そしてこれからも、そういう姿勢をどんな物事に接するときも忘れたくない。
どうせ誰しも「最期には1つしか選べない」のだから、そこに至るまでの過程は、選ぶべき主体として存在できるという自由と幸せを謳歌していきたい。

ともあれ、私の鼓膜を10年以上に亘って震わせてきた彼等は堂々と凱旋してくれたのである。
いちファンとして本当に嬉しいし、彼等の復活の1音目に立ち会えたという喜びはこれまでそれなりに私の中で長く鎮座してきた人生最高の瞬間をたった2時間弱で軽く更新してきた。
もうこの時点で、私の人生の80%くらいの目標は達成したから、いつ不慮の事故とかで死んだとしても後悔ないなと本気で今思えるくらいだ。
私は音楽に救われてきた人生だから、この閏日に行く、という選択をしたことを絶対に後悔しない。
東京事変が再生するこの時代に生まれてきてよかったと思う。
どんなノイズが入ろうと、彼等の音楽は鳴り続けるし、それを今回の閏日で示してくれたし、そんな彼等を目の当たりにした私は、色んな人それぞれが大切にしているものや、拠り所にしているものたち、そしてそれらを選択する自由を尊重しながら、生きていきたいと思った。

それとともに、未曾有の事態ともいうべきこの状況から早く脱却して、ライブに始まる文化活動を自由に楽しめる日が戻ってくることを心から願う。

それらは不要不急のひとことで済まされるべきではなく、いろんな人の生きていく支えになってきたものだし、これからもなっていくものだと思うから。

最後に東京事変のみなさま、おかえりなさい。素敵な夜をありがとうございました。今日今が確かなら万事快調ですよね。

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