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文学フリマ東京38~試し読み~

新刊の色をテーマにした短編集『カラフルな日々』の試し読みを公開します。公開部分は『赤い箱』という物語です。オチの手前までの公開になりますので、続きが気になる方はぜひ文学フリマ東京38えー15にお越しください。立ち読みも大歓迎です。


赤い箱
藤村和子は庭にビオラを植えていた。ホームセンターの見切り品だ。少し傷んでいるが、花がらを摘み、丁寧に世話すればすぐに復活するだろう。なるべくお金をかけず、庭を美しくすることが、和子の得意技だった。
 ビオラを植え終え、顔を上げる。すると、庭木がだいぶ伸びていることに気づいた。これは自分の手には負えない。
夫の豊がいたころは、よく庭木の手入れをしてくれていた。たまに孫の健太を喜ばそうと、クマやハートの形に刈り込んでしまうのが困りものだったけれど。
「ふふっ」
思い出して、和子は笑った。庭仕事をする夫はとても楽しそうだった。性分に合っていたのだろう。農家として、田んぼや畑もよくやってくれていた。
息子の直樹は夫と違い、庭仕事をやりたがらない。直樹は家業を継いでくれたが、一日中田んぼ畑をやって、何で家に帰ってまで植物の相手をしなければならないのだと言う。草むしりもやってくれない。その代わり、嫁の絵里はよく働いてくれる。いいと言っても、重たい土や肥料を運んでくれるし、花の植え替えも手伝ってくれる。
「任せてください」
 そう言う絵里の背中は直樹の数倍たくましく感じる。息子にはもったいないくらいのお嫁さんが来た。いつもそう思っている。
 しかし、絵里に剪定までは頼めない。業者に頼むほかないだろう。いくらかかるんだっけと少し憂鬱な気持ちになった。年金暮らしには手痛い出費だ。
「お義母さん、そろそろ休みませんか」
 絵里が窓から顔を出した。
「紅茶を入れるので、一緒に飲みましょう」
「あら、ありがとう。じゃあ、水やりだけやっちゃうわね」
「わかりました」
 絵里の顔が引っ込む。本当に気の利くお嫁さんだと、和子は思った。直樹だけでなく、自分のことも大切にしてくれる。
婿に行かず、お嫁さんをもらっていれば、夫も幸せだったかもしれない。
ふと、そんな考えがよぎり、気持ちがどんよりした。昔の婿の扱いは、本当にひどいものだった。うちも例外ではない。婿に来た夫には辛い思いばかりさせた。持ち前のユーモアで乗り切ってはいたが、内心こんなところに来なければよかったと思っていたかもしれない。
視界で赤いものが揺れた。それはチューリップの花だった。秋に球根を植え、昨日やっと咲いたのだ。
チューリップの赤色を見ていると、赤い箱のことを思い出した。数日前、夫の遺品整理をしていたときに、赤い漆塗りの、立派な箱を見つけた。硯箱ほどの大きさで、側面には鍵穴が付いていた。鍵は見つからず、開けることができなかった。
和子は赤い箱の中身が気になってしょうがなかった。鍵までかけて、夫は何をしまっていたのだろうか。何か重大な秘密を隠していたのかもしれない。そう思えてならなかった。
家に上がると、テレビの前に直樹が寝転んでいた。
「またそんなところでゴロゴロして」
 そう言うと、直樹は顔をしかめた。
「うるさいな。今までずっと畑作業して、やっと休憩してるんだよ」
「だからって、何も寝てなくたっていいんじゃないの。健太が見たら真似するわよ」
 五歳になる健太は、最近大人の真似ばっかりする。
「はいはい。お茶が入りましたよ」
 喧嘩は終わりとばかりに、絵里がティーカップを置いた。
「いただきもののクッキーもありますから」
「ありがとう」
 絵里に止められては、これ以上は言えない。和子は静かに紅茶を飲んだ。直樹も起き上がり、大人しくクッキーを食べている。
「あっ。私、ドレスを出さないといけないんだった」
 絵里が思い出したように言った。
「ドレス?」
「ええ。友達にドレスを貸してほしいって頼まれたんです。結婚式があるからって。なんか滅多に着ないからって、自分のは処分しちゃったらしいんですよね」
「まあ」
「断捨離が流行ってますからね」
 そう言って絵里はドレスを探しに行った。
「断捨離、流行ってるんだってよ」
 直樹は紅茶をすすりながら言った。
「母さんも早く、親父のものを処分しろよ」
「わかってるわよ」
「そんなこと言って全然進んでないだろう。早く捨てろよ。あの赤い箱とか」
 赤い箱を話題に出され、和子はドキリとした。
「中身がわからないのに捨てられないでしょう」
 そう言い返したが、直樹はこともなげに言う。
「どうせ大したもんじゃないから、捨てたらいいよ」
「わからないじゃないの。鍵をかけるくらいだもの。何か重要なものを隠していたのかも」
「隠していたなら、そのまま見ないのが優しさなんじゃねーの」
 思わぬ言葉に、直樹の顔を見た。直樹は何食わぬ顔でクッキーを食べていた。
 ――隠していたなら、そのまま見ないのが優しさなんじゃねーの。
 何も考えていないように見えても、直樹は直樹で夫のことを考えているのかもしれない。
 和子はそう思いながら、残りの紅茶を飲んだ。
 自分の部屋へと行く。和子は溜息を吐いた。
 確かに直樹の言うことも一理ある。このまま見なかったことにして、捨ててやるのが優しさかもしれない。でも、どうしても箱の中身が気になってしかたがない。
 もしかしたら、あの箱の中には日記帳が入っているのかも。遺品整理をした際、日記の類は出てこなかった。あの赤い箱に入れて、保管していたのかもしれない。
もしそうなら見るのが怖い。自分や自分の親族への恨み言が書いてあるのかも。
「お義母さん」
 廊下から絵里の声がした。
「何かしら」
 障子戸を開けると、絵里が黒いドレスを持って立っていた。
「ドレス見つかったんですけど、しまいっ放しだったんで、ちょっと防虫剤臭くて。ファブリーズってどこにありましたっけ?」
「それなら居間の棚の上にあったわよ」
「ああ。ありがとうございます」
「素敵なドレスね」
 質の良さそうな生地で、形も上品だ。もう少し若ければ、和子も着たいくらいだった。
「若いころ買ったんですけど、まだまだ着られそうですよね。喪服に見えないように、アクセサリーや小物を工夫しなきゃですけど」
 喪服という言葉に、和子は自分の顔が引きつるのを感じた。
「お義母さん?」
 絵里が顔を見てきた。
「どうかしました?」
「いいえ。何でもないわ」
 そう言うと、絵里は不思議そうな顔をしながらもいなくなった。
「はあ」
 和子は溜息を吐いた。喪服という言葉で思い出してしまった。
 夫が叔父の見舞いのため、家を空けたいと言ったことがあった。夫の叔父は明るく穏やかな人で、夫の実家の傍に住んでいた。そのため、夫は子どものころよく遊んでもらっていた。
「叔父さんには世話になったんだ」
 ことあるごとに夫はそう話していた。そんな叔父が入院した。容態は芳しくなく、「会わせたい人がいるなら早いうちに」と医者は言ったそうだ。
 しかし、和子の親族は見舞いに行くことを反対した。ちょうど稲刈りの時期だったからだ。当時、働き盛りの夫が抜けては作業が進まなかった。
 見舞いに行きたきゃ、稲刈りが終わってからにしろ。和子の父にそう言われ、夫は泣く泣く見舞いを諦めた。
 その後すぐ、叔父は帰らぬ人になってしまった。夫は悲しげな顔で葬式に行った。
 稲刈りのことなんか気にしなくていいから、お見舞いに行ってあげて。そう言ってあげればよかった。父を説得したらよかった。今でも後悔している。棺桶で眠る叔父を見て、夫は何を思ったのだろう。
 婿になんか来なければ、夫はもっと幸せな人生を送れていたかもしれない。そう思うと、胸が苦しくてしかたがなかった。
「ごめんね、おじいさん」
 和子は机の上に置かれた、遺影の写真に謝った。しかし、返事が返ってくることはない。ただ、穏やかな笑みを浮かべているだけだ。その笑顔は心からのものだったのだろうか。
和子は辛くなって、遺影から目をそらした。
 夕方、和子は絵里と一緒に夕食の支度をしていた。今日は健太の好きなカレーライスだ。じゃがいもやにんじんを切っていく。
「カレーにすると、野菜も食べてくれるからありがたいです」
 絵里は大人用のサラダを作りながら言った。健太は野菜嫌いで、いつも絵里はそのことを気にしている。
「サラダも食べてくれればいいんですけどね」
「そうねえ」
 親の悩みはいつの時代も同じだと、和子は思った。自分も直樹のときには苦労した。直樹も野菜が大嫌いだった。どんなに工夫して、おいしく料理しても食べてくれない。でも、いつの間にか食べるようになった。大口で野菜を食べる直樹を見るたび、あの苦労は何だったのだと思う。
 カレーが完成したところで、台所に健太がやってきた。
「お母さん」
「何? お母さんお夕飯の支度してるから、お父さんと遊んでてって言ったでしょう」
「うん。お父さんとかくれんぼしてた。でも」
 健太はポケットから何かを取り出した。
「これ、落ちてたの」
 健太の小さな手には、金色の鍵があった。
 和子は息を飲んだ。赤い箱の鍵だと思った。大きさ的に間違いない。
「どこに落ちてたの?」
 絵里も同じことを思っているらしい。顔がこわばっている。
「おじいちゃんの押し入れの中に隠れてたら、見つけた」
 その言葉に絵里は顔をしかめた。
「もう。おじいちゃんの部屋には入っちゃダメだって言ったでしょう」
「だって、あそこなら見つからないと思ったんだもん」
 怒られてすねたのか、健太は口を尖らせた。
 和子はひざを折り、健太に目線を合わせた。
「ありがとうね。この鍵はおばあちゃんが探していたものなの」
「そうなの?」
 和子は頷いた。
「だから、おばあちゃんにくれるかな」
「うん、いいよ」
 小さな鍵が手渡された。
「ありがとう」
 和子はそれをエプロンのポケットにしまった。絵里は何か言いたそうな顔をしていたけど、何も言ってはこなかった。
 カレーを盛り付けて、夕食になった。
「うまいな」
 直樹はモリモリとカレーを食べている。
「やっぱりカレーはうちで食べるのが一番だな」
「そうね」
 和子は同意したが、本当は味などわからなかった。赤い箱のことが気になって仕方がない。今すぐ開けたい気もするし、このままずっと開けたくない気もする。ポケットに入れたままの鍵がひどく重い気がした。
「ねえ、おばあちゃん」
 健太が大きな瞳で、和子を見てきた。
「なあに?」
「さっきの鍵は何の鍵なの?」
「え?」
 和子は言葉に詰まった。どう答えようか迷っていると、直樹が訝しげな顔をした。
「鍵って?」 
「健太が赤い箱の鍵を見つけてくれたのよ」
 なるべく何てことのないように言った。
「ああ。あの赤い箱か」
 しかし、直樹は顔をしかめた。
「母さん、開けないほうが良いよ。父さんにだって、見られたくないものの一つくらいあるよ。それに、何か出てきて傷つくのは母さんなんだから」
「そうね」
 和子はあいまいに返事した。箱を開けるべきか、開けないべきか。自分がどうしたいのか、わからなかった。
 絵里が洗い物をしてくれるというので、和子は自分の部屋で休むことにした。少し迷って、夫の部屋から赤い箱を取ってきた。
 試しに箱を揺すってみる。特に音はしなかった。重みもあまり感じない。中身は何だろうか。
 机の上に箱を置き、じっと見つめる。頭の中では直樹の言葉が繰り返し流れていた。
――母さん、開けないほうが良いよ。父さんにだって、見られたくないものの一つくらいあるよ。それに、何か出てきて傷つくのは母さんなんだから。
直樹も何か良からぬものが入っているかもしれないと思っているのだ。不器用ながらに、母親を心配してくれているのだろう。
確かに、この赤い箱の中身を見たら自分は傷つくかもしれない。中身を見ずに、捨ててしまったほうが良いのかもしれない。
だけどやっぱり箱の中身が知りたい。どんなものであれ、最愛の夫が残したものだ。中身を見ずに捨てるなんてできない。たとえ傷つくことになったとしても、やっぱり箱の中身が見たい。
「ふう」
 和子は深呼吸をして、鍵穴に鍵を差した。そしてゆっくりと回す。
つづく


最後までお読みいただき、ありがとうございました。続きはぜひ文学フリマ東京38えー15にてご確認ください。

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