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星の光をたどってハンマーを投げろ!室伏広治「真実」のメダル~日本が世界に誇るJアスリート・道徳教科書に載せてほしいスポーツエピソード(8)

1 はじめに 投てき競技と日本人
2 教材 星の光をたどってハンマーを投げろ!~室伏広治の「真実」のメダル
3 おわりに ドーピング違反と1か月後の表彰台

1 はじめに 投てき競技と日本人

 陸上競技のハンマー投げはワイヤーに取り付けた約7kg(ボーリングの一番重い球ぐらい)の鉄球を直径約2mのハンマーサークル内で回転しながら投げることで、その飛距離を競う投てき競技の一つです。

 このハンマー投げで日本陸上競技選手権20連覇。世界陸上選手権エドモンド大会・銀、パリ大会・銅、テグ大会・金メダル。そしてオリンピックアテネ大会・金、ロンドン大会銅メダルという輝かしい記録をもつのが室伏広治選手です。

 投てき競技の場合、外国人選手と比較すると日本人選手は体格で劣るため不利であると言われています。しかし、室伏選手は同じハンマー投げ選手だった父・重信氏から技術的に難易度の高い四回転投法を受け継ぎ、さらに改良を重ねて世界で戦える投てきアスリートへと成長していきました。

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2 教材 星の光をたどってハンマーを投げろ!~室伏広治の「真実」のメダル

 陸上競技と言えば、100m走などの短距離、マラソンなどの長距離を走る競走種目、走り幅跳びや走り高跳び、棒高跳びなどの跳ぶ距離や高さを競う跳躍種目がすぐに思い浮かびますが、それ以外に円盤投げ、砲丸投げ、ハンマー投げなど重いものを遠くへ投げてその距離を競う「投てき」という種目があります。

 この投てき種目は体格のよい外国人選手に比べて体の小さい日本人には不利な種目と言われていました。ところが、この日本人には不利と言われていた投てき種目のハンマー投げでオリンピックの金メダルを取った選手がいます。それが室伏広治選手です。

 室伏選手がオリンピックに初めて出場したのは2000年のオーストラリア・シドニー大会です。この年、世界の一流選手の証である80mを越えを果たし、直前の大会では81m08まで記録を伸ばしてメダル候補となっていました。

 好調を維持したまま大会にのぞみ、予選を3位で通過して決勝を迎えました。この決勝当日、それまで初夏のように陽気だった天候が急変し、肌寒くなると強い雨が振り始めました。雨、低下する気温、濡れて滑りやすいハンマーサークルなど悪条件が重なります。

「他の選手はこの天候をどう思っているのだろう?」「みんな雨の日のハンマー投げは得意なのだろうか?」

 自分の投てきに備えて集中力を高めるべきなのに、室伏選手は他の選手の投てきを気にしたり、必要以上にハンマーサークルのコンディションに気をもんでいたのです。

 決勝は1投目が左にそれてファウル。投げ方を修正しようとしましたが、その後は76m台に終わりました。結局、不本意な結果となり8位以下に敗退してしまいました。この時のことを室伏選手はこう言っています。

「上り調子でのぞんだ大会だったために勝つことを必要以上に意識して、他の選手のことが気になってしまった。悪条件をいかに克服できるか、それができなければ自分の思い描く投てきはできない」

 このシドニー大会以降、室伏選手は勝負や順位といった結果ではなく、自分が理想としている投てきを求めることにしました。もちろん優勝をめざすことに変わりはありませんが、勝利だけしか考えていない「勝利至上主義」のモチベーションはもろいものだと考えるようになったのです。このように気持ちを切り替えると、負けて悔しいとか表彰台に上がれないから残念という気持ちが消えていきます。80mをコンスタントに正確に投げるには―どのような投げ方がよいか、練習はどう工夫すればよいか―いろいろなアイデアが浮かび、落ち込んでいた気持ちがウソのように前向きになっていきました。、

 気持ちを切り替えた室伏選手は、翌年のカナダ・エドモントンで開催された世界陸上選手権でシドニーオリンピック金メダリストのジョルコフスキー選手と優勝を争いました。室伏82m92。ジョルコフスキー83m38―室伏選手はわずかの差で惜しくも敗れました。

 しかし、この名勝負は室伏・ジョルコフスキー両選手がともに理想の投てきを追い求めたことによるものでした。2人は試合中もサークルの状態について意見を交わしたり、互いを激励するなど言葉をかけあっていました。室伏選手は「相手の記録が伸びれば、自分の記録も伸ばせるし、強くなれる、そんな感覚だった」と語っています。

 2004年。室伏選手にとって2度目のオリンピック。ギリシア・アテネ大会を迎えました。

 予選をなんなく通過した室伏選手は決勝を迎えます。室伏選手は1投目79m90。2投目81m60とまずまずの出だしです。4投目には82m35と記録を伸ばします。このとき、ハンガリーのアヌシュ選手は室伏選手を上回る83m19を出していましたが、このとき室伏選手は他の選手の記録を一切見ていませんでした。ただ観衆の様子からアヌシュ選手の記録が上回っていることには気づいていました。

 いよいよ最後の6投目です。

 このとき、別の競技で地元ギリシアの選手が登場したために応援の歓声が響き、集中しにくい状態になっていました。そこで、室伏選手はウォームアップエリアで大の字になって寝転がり、夜空を見上げました。自らの集中力を高めてこの雰囲気に馴染もうと考えたのです。

 「星を見たい」―スタジアムの明るい照明の中で星を見つけることができるだろうか?あった!遠く夜空を眺めていると1こだけ星が見えたのです。そのうち、室伏選手の耳には何も聞こえなくなり音が消えました。そして星を見ながらこう思ったのです。

「星の光をたどって投げてみよう」

 そうして投じた最後の6投目。回転、ハンマーを投げる角度、最後のフォロースルーまですべてスムーズで完璧な投てき。この日一番の手ごたえでした。記録は82m91。シーズンのベストでしたがアヌシュ選手の記録には一歩及びませんでした。

 しかし、数日後に思いもよらぬ事態が起きました。1位になったアヌシュ選手は筋肉増強剤などの禁止薬物を使用してい可能性があるためにドーピングで失格になったのです。このため、2位だった室伏選手が繰り上がり、金メダルが決まりました。

 室伏選手はこう言っています。

「スポーツは結果がすべてではない。プロセスをどのように作り上げるかによって結果がついてくるのだ。もちろん、めざしているのは優勝や金メダルだが、頂点をめざして取り組むからこそ、そのプロセスに価値が生まれる。そのプロセスの段階で不正を犯したアスリートの投てきと記録は残すべきではない。ドーピング違反が出たことは悲しい」

 このアテネ大会のメダルの裏には古代ギリシア語で「競技で勝利を勝ち得たとき・永遠の栄誉を与えよ・それを証明できるのは・真実の母オリンピア」と言う言葉が刻まれています。室伏選手が求めていたのは「真実」のメダルだったのではないでしょうか。

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※「特別の教科 道徳」のA「希望と勇気、努力と強い意志」,D「よりよく生きる喜び」に関連。

※発問例「室伏選手が大事な場面で「星の光をたどって投げてみよう」と思ったのはなぜだろうか」「どうしてプロセスを大切にする必要があるのだろうか」

3 おわりに ドーピング違反と1か月後の表彰台

 この当時のオリンピックのドーピング検査は4位以内の選手とそれ以外の無作為抽出の選手から、競技終了後に規定量の尿サンプルを採取することになっていました。しかし、アヌシュは規定量を提出せず、しかも再検査の要請を拒否して帰国してしまったのです。IOC(国際オリンピック委員会)は規定違反と認定し、室伏選手の繰り上げ金メダルが決まったというわけです。

 それから約1か月後に横浜の陸上競技大会で金メダルの授与式が行われました。これはアテネ大会と同じ表彰台、オリーブの冠そして金メダルが用意されて行われました。

 室伏選手は「この金メダルはみなさんの応援のエネルギーがもたらした真実のメダルです」とスピーチしました。

<参考文献等>

*室伏広治『超える力』(文藝春秋 2012年)
*室伏広治『ゾーンの入り方』(集英社 2017年)
*日本オリンピック委員会HP


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