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山下泰裕が見た美しい赤と白~日本が世界に誇るJアスリート・道徳教科書に載せてほしいスポーツエピソード(5)

第5回はロサンゼルス五輪・柔道無差別級で涙の金メダルの山下泰裕選手です。

1 はじめに 自分の夢と日の丸
2 教材 山下泰裕が見た美しい赤と白
3 おわりに 「ヤマシタ、ヤマシタ!」  

1 はじめに 自分の夢と日の丸 

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 ロス五輪・柔道の山下泰裕といえばあの無差別級・決勝戦があまりにも有名です。当時、金メダル間違いなしと言われた山下は、不運にも2回戦で右足をケガしました。試合には勝ったものの足を引きずりながら退場する山下の姿は私もはっきりと記憶しています。

 この後、山下はケガをものともせずに金メダルを獲得するのですが、決勝の相手であるエジプトのラシュワンが山下の右足をねらわずに正々堂々とフェアプレーで戦ったというエピソードは今や伝説となっています。

 ラシュワンはこう言っています。
「私の信仰とモラルのどちらも、私にそうさせないでしょう」
「いつの日か、山下がケガをしていたから勝ったとは言わせたくありませんでした」。
 それから何年後かにラシュワンは、日本文化をエジプトに伝える役割を称えて天皇陛下から旭日単光賞が授与されています。感動的なエピソードです。

 しかし、今回の山下金メダルの教材はラシュワンのエピソードとは違います。

 今回取り上げるのは、山下選手が子どもの頃から思い描いていた夢が、オリンピック表彰台での日の丸と君が代であったという点です。自分の生涯の夢と国を愛する心のつながりです。国を代表して世界と戦う者の苦しさは経験した者でなければわからないでしょう。だからこそ夢を成し遂げたとき喜びも経験した者でなければわからないほど広大なものなのではないかと思うのです。

 自分の夢をかなえることが、自国の国民に喜びと感動を与える。その喜び・感動を象徴するものが国旗であり国歌です。それは、健全な国を愛する心の象徴でもあります。

2 教材 山下泰裕が見た美しい赤と白 

 中学生時代に柔道に打ち込んでいた山下泰裕少年はテレビ中継のオリンピックミュンヘン大会・柔道の試合に釘づけになっていました。しかし、柔道発祥の国・日本は全6階級のうち、軽量クラスの3階級は金メダルでしたが、重量クラスの3階級は惨敗に終わりました。
 自分自身が重量クラスだった山下少年はショックを受けましたが、これで自分の生涯の目標が決まったのです。

「ぼくは柔道が好きだ。もっともっと強くなりたい。将来はオリンピックに出場できるような選手になりたい。ぼくの夢はオリンピックに出場して、メインポールに日の丸をかかげて、君が代を聞く。これが僕の夢です」

 これは中学生時代の山下選手が書いた作文です。

 山下選手と言えば、なんと公式戦の勝率9割7分2厘。前人未到の203連勝、全日本柔道選手権9連覇、世界選手権3連覇(しかも第12回大会では95キロ超級・無差別級の2階級制覇)など輝かしい記録を持っています。
 その山下選手の夢がオリンピックの金メダルでした。

 しかし、これだけの記録を持つ山下選手でも簡単にオリンピックに出場できたわけではありません。1976年・18歳のモントリオール大会ではわずかの差で落選。次の1980年・22歳のモスクワ大会は不運にも日本は不参加でした(※)。

 山下選手が自分が出場できなかったモスクワオリンピックを見学に行った時のことです。柔道会場でフランス人選手が優勝すると、応援団のフランス人が一人立ち、二人立ってフランス国歌を歌い始めたのです。それが大きな輪となり、歌声は館内に響きわたりました。
 山下選手は思いました。

「この感動こそオリンピックの姿、スポーツのすばらしさではないだろうか」

 いよいよ三度目の正直。1984年、山下選手は念願かなってオリンピック・ロサンゼルス大会に出場します。
 8月11日。いよいよ柔道・無為差別級の試合が始まりました。場内に「ジャパン・ヤマシタ」の声が響きわたり、観客席ではいたるところで日の丸の小旗が振られています。1回戦はわずか27秒で一本勝ち。上々のスタートです。

 2回戦も勝ったものの、この試合で右ふくらはぎ裂傷という大ケガをしてしまいます。もう右足は思うようには動かせません。次の準決勝は相手の技にあやうく一本を取られるところでしたが、危機一髪で難をのがれて逆転で一本勝ちしました。

 しかし、いつもなら簡単に勝てる相手に苦戦したことで控室は重苦しい空気に包まれていました。決勝の相手はエジプトの巨漢ラシュワン選手です。誰が見ても右足が使えない山下選手は不利でした。
 
 「はじめ!」
 決勝戦が始まりました。ラシュワン選手は次々と技をしかけてきます。しかし、ラシュワン選手は右足をねらうよう卑怯なことはしませんでした。山下選手はくりだされる技をかわすと見事な動きでラシュワン選手の体をくずしました。そして、倒れた相手を得意の横四方固めでがっちり押さえ込みました。ケガをしている山下選手は、このチャンスを逃したらもう勝ち目はありません。心の中で「絶対に離すもんか!」と叫ぶとあらん限りの力をふり絞りました。

 そして30秒後。
「一本!」
 主審の手が上がり、山下選手の一本勝ちが決まりました。大歓声の中、山下選手には言い表すことのできない喜びが全身にあふれました。

 中学生のときに夢みたオリンピックの表彰台。あのモスクワで聞いたフランス国歌と同じように場内に日本の国歌・君が代が流れます。山下選手は右足の痛みも忘れ、ただ感激の涙を必死でこらえながら日の丸を仰ぎ見ていました。
 
 このとき、山下選手はこう思ったそうです。

「白地に赤の旗がなん美しいことか。君が代を声に出して歌う。俺は世界で一番幸せな男ではないだろうか・・・、そう思わずにはいられなかった」

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※前年の1979年に開催国・ソビエト連邦(当時・現ロシア)がアフガニスタンへ軍事侵攻したことを批判してアメリカ・日本をはじめ約50カ国が不参加となった。

※「特別の教科 道徳」の「内容」「C主として集団や社会との関わりに関すること」の「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」小学校5・6年「(17)我が国や郷土の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、国や郷土を愛する心をもつこと」中学校「(17)優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに、日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努める」

※発問例「表彰台の山下選手はなぜ日の丸を美しいと感じたのでしょう」「なぜ山下選手はフランス人の姿を見て“スポーツはすばらしい”と思ったのでしょう」「自分の国の国旗・国歌を見たときに感動を覚えるのはなぜでしょうか」

3 おわりに 「ヤマシタ、ヤマシタ!」

 山下は不参加だったモスクワ大会の見学に行ったときの、こんなエピソードも語っています。

「「ヤマシタ、ヤマシタ!」誰かが大声で私の名を呼んでいる。私は会場内をキョロキョロ見回して声の主を探した。すると観客席から手を振っている奴がいるではないか。長身のルージェ(フランス)だ。かつてのライバルが、いち早く私の姿を発見してくれたのだ。ルージェに続いて各国の友人たちが手を振り、声をかけ、握手を求めてくる。骨折したことも知っているらしく何人かの選手からは「大丈夫か」と激励も受ける。会場内はオリンピックにふさわしく、すっかり柔道仲間の世界になっていた(中略)本当に純粋な気持ちで、世界中の柔道仲間の友情に感謝しながら、迫力ある一試合、一試合を落ち着いて観戦することができた」

 山下の健全な愛国心が世界中に仲間を作っていたことがわかります。愛国心は国際親善に必要不可欠なのです。

 以下は山下選手のロス五輪・無差別級金メダルまでの動画です。感動の表彰式まで見られます。

https://www.bing.com/videos/search?q=%e6%9f%94%e9%81%93+%e5%b1%b1%e4%b8%8b%e6%b3%b0%e8%a3%95&docid=608030935303927682&mid=D49B3AA7541AB4313AA5D49B3AA7541AB4313AA5&view=detail&FORM=VIRE

<参考文献等>

*山下泰裕『黒帯にかけた青春』(東海大学出版会 1986年)

*飛鳥太郎『山下泰裕 勝つ心』(日本経済通信社 昭和60年)

*手島悠介『山下泰裕物語 涙の金メダル』(昭和60年)

*HP「山下が日本人の心を勝ち取った時、エジプトのアリ・ラシュワンは尊敬を獲得した」『ARABNEWS 日本語で読むアラビアのニュース』

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