【保険】不要派も必要派も的はずれな理由【どうでもいい】

生命保険を始めとする保険について
加入するべきかしないべきかよく議論される

なぜ実業家や投資家のような勝ち組は保険を否定し
一般人やファイナンシャルプランナーは
彼らの考えを否定するのか

そもそもがおかしくね?
わかってなくね?
論点そこじゃなくね?

野球部が走り込みやっても
坊主頭にしても
野球上手くならないよね?
あのスポーツの技術に
髪型とスタミナ関係ないよね?
それぐらい頓珍漢だと思っていた

そのことについてChatGPTに手伝ってもらって
まとめてみた

保険の本質はギャンブルと同じ

まず、保険の仕組みは
ギャンブルと非常に似ています。
保険会社は加入者から集めた保険料の一部を、
事故や病気が発生した一部の人々に
「当たり」
として分配します。

このプロセスは、ギャンブルにおいて
参加者が賭け金を出し合い、
その一部が勝者に支払われる仕組みと同様です。
保険会社はこの分配の前に、
運営コストや利益を差し引いており、
これがギャンブルにおける
「胴元の取り分」
に相当します。

ギャンブルと同じく、
保険でも得をする人はごく一部であり、
損をする人が多数存在します。
特に、保険は運営コストがかかるため、
全体としては支払った保険料よりも
受け取る金額が少なくなる
「マイナスサムゲーム」
となっています。
つまり、保険に加入することは、
経済的に見れば損をする可能性が高い選択肢です。

保険は贅沢品としての役割

それでも、保険に加入する人々は
少なくありません。
なぜなら、多くの人々が保険を
「安心を得るための贅沢品」
として捉えているからです。

リスクに対する不安を
軽減するために支払う保険料は、
精神的な安定を得るための対価と言えます。

私たちは日常生活の中で、
さまざまな贅沢品に対価を支払うことを
自覚しています。
たとえば、
居酒屋でビールを飲むとき、
コンビニやスーパーで購入するビールとの差額を
「贅沢代」として支払っています。
これは、居酒屋での場所代や
サービスに対する対価であり、
自分が納得して支払っているものです。

また、競馬のようなギャンブルでは、
胴元の取り分が公開されており、
参加者は自分がどれだけの
「贅沢代」を支払っているかを理解しています。
これにより、ギャンブルのエンタメ性や
ワクワク感を楽しむために支払っているのだ
という認識を持つことができます。

保険も同様に考えることができます。
保険を通じて得られる安心感は、
ある意味で「贅沢品」としての対価であり、
そのコストを理解して支払っているのであれば、
納得のいく支出と言えるでしょう。

保険の不透明性と国民の数学的理解の欠如

しかし、保険には大きな問題があります。
それは、保険がどれだけの金額を加入者に還元し、
どれだけを利益として保険会社が保持しているのか
不透明であるという点です。

居酒屋でのビールや競馬の場合と異なり、
保険においては
「贅沢代」
がどれだけかかっているのかが
明確に示されていません。

これにより、保険に対して
どれだけの無駄遣いをしているのかが
見えにくくなっています。

いくらで安心が
売られているのか、買っているのか
安心の値段が把握できない環境で
保険に入るべきか、
安心を買うべきか、
という議論がなされている
意味不明な状況なのです。

この背景には、
国民の数学的理解の低さが影響していると考えられます。

義務教育修了後、すぐに高校1年で学ぶ
確率や期待値の概念を
日常生活に応用できている人が少ないのです。

保険は期待値のマイナスで安心を買う遊び

この一言がほとんどの国民には通じないのです。

教科書レベルの問題が出題される
センター試験や共通テスト
これで数学を選択して8割9割取れるのは
旧帝一工レベルの名門国立大学の学生だけです。
ほとんどの日本人は
高校数学はおろか義務教育レベルの数学も
理解できていないのです。

大学入試で数学をつかった人は
保険がいかに経済的に不利な選択肢であるかを
理解できるはずです。
しかし、実際には多くの人が
こうした数学的な知識を持たないため、
保険に対して正しい判断が
できていないのが現状です。

保険営業マンと高収入の現実

こうした国民の数学的理解の欠如を背景に、
保険の営業マンたちは
高収入を得ることができています。

保険業界において、
営業マンは保険の仕組みやコスト構造を
十分に理解していない消費者に対して、
安心感を売り込むことで成功しています。

これが、保険営業マンが高収入を得る
典型的なビジネスマンとして認識される理由です。

国民の多くは、保険の仕組みを説明されても
数学的に理解できません。
営業マンの人当たりの印象や
知人から営業マンを紹介されることで
「この人なら間違いない」
「他の人達よりも自分は良い保険に入れたはずだ」
という謎の主観的判断で保険に加入します。

この状況は、
商品を売り込む営業という仕事の醍醐味であり
保険は最も営業マンの腕が出やすい商材の一つでしょう。

彼らの成功は、
ある意味で国民の無知に依存している部分があり、
それが保険業界全体の構造的な問題を
浮き彫りにしています。

保険への批判と贅沢品としての価値

ここまで保険に対する批判的な視点を
述べてきましたが、
一方で保険が持つ贅沢品としての
価値を認識することも重要です。

大切な人やものがあるならば、
そのために「安心」を贅沢品として
購入することも一つの選択肢です。
保険を通じて得られる安心感は、
家族や財産を守るための
精神的な支えとなるかもしれません。

皮肉なことに、
保険の無駄遣いをこれほど批判するほど、
いざ自分に大切な家庭ができたときには、
その「無駄遣い」をする楽しみが
大きくなる可能性もあります。
保険に対する批判が、
逆にその価値を増幅させるという逆説的な状況が生まれるかもしれません。

ブランド品に興味がない人ほど
ホテルやファーストクラスのような
ラグジュアリーに興味がない人ほど
大好きな彼女に喜んでもらうために
無駄遣いするときの脳の快感は
大きくなるでしょう

まとめ

保険は一見するとリスクを軽減し、
安心を提供するサービスのように見えますが、
その本質はギャンブルに近く、
経済的には損をする可能性が高いものです。
それでも、多くの人が保険に加入する理由は、
安心感という贅沢品を得るためです。

しかし、その「贅沢代」が
どれだけかかっているのかが明確でない以上、
保険に対する依存は再考されるべきです。
国民の数学的理解の向上とともに、
保険の透明性を高めることが求められます。
それでもなお、大切な人やものを守るために、
保険を一つのエンタメとして楽しむことが、
将来的に豊かな人生を築くための
選択肢となるかもしれません。

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