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聴く耳を失い、語る力を失っていないか

あいたくてききたくて旅にでる

ずっと手にしたかった1冊をようやく手にした。

その土地にまつわるいろんな民話を求め訪れてまとめられた一冊。新しいものばかりでなく、足元を見よう。立っているところを固めよう。そんな気持ちにさせてくれる。

そして、昔の方が人は話したり聴いたりする技術に長けていたのだろう、ということも痛感した。だからこそずっと昔から語り継がれる話がある。

『わたしたちは、語り継ぎのばを手放してはならない。現代の喧騒の中で、わたしたちは聴く耳を失い、語る力を失ってはいないか。』

現代はコミュニケーションのとり方も電話やメール、チャットにSNS、、、多岐に渡り、今年に入ってからは「リモート」というコミュニケーションの取り方もメジャーになった。

一方で昔は読み書きという手段もメジャーではなかった。そうなると「話す、聴く」に集中し、その技術がいやがおうもなく発達したであろう。だからこそ口伝、口承という伝承のされ方もあった。

コミュニケーションの手段が多様化することは避けられないし、否定する気持ちもない。だけど、そうすると全てが「広く浅く」になってしまう可能性があることを忘れてはいけない。

言葉は人の心を表す一つのツールにすぎない。その言葉の裏にはその人の「心」がある。その心を聴こうとしたり、心を表現しようとする技術が浅はかなものになってしまうと、本当の意味で相互に分かり合えないのではないだろうか。

私はおそらく仕事柄、人との関わりは避けて通れないし、いろんなツールを使っていくことになるだろう。だからこそ、その裏に心があり、本当に伝えられているか、聴けているか、注意深くいなければならないと思う。

その意味でも改めてコミュニケーションの原点、足元を見つめ直させてくれた。

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