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7 コッツウォルズ 幻の馬②

「面影を追い続ける男」 7 コッツウォルズ ー幻の馬②ー


 俺たち二人は茫然と朝の練習が終わるまでその光景を見ていた。こんなに間近に馬を見たことは今までなかった。

 俺がそう言うと、マリアは「私、小さい頃、白い馬を見たわ」と、秘密を打ち明けるような口調で言った。
「家から少し離れたお気に入りの丘があって、毎日学校帰りに友だちとそこに行ったわ。花を摘んだり、走り回ったりして楽しかった」

「ある日、いつも遊んでいる反対側に降りてみたの。緑の草に覆われた斜面は、ところどころ草が刈り取られて白い地肌が見えていた。それはとても不自然な刈られ方だったから、ひらめいたの」

「そう、モネの絵みたいに、近くでは何の絵かわからないのよ。遠くまで走ってから振り返ってみた。それが、白い馬だったの」

 そこで彼女は言葉を探した。俺は黙って耳を傾けていた。
「羽はついていなかったけど、私たちはそれをペガサスと呼んでいたの。壊れそうに細い足とやさしい目が印象的だった。年上の男の子が変な物を発見しなければ、そこは永遠に楽しい遊び場だったのに」

「変なものって、まさか死体とか?」
「近いわ。骨だったの。でも人のではなく、馬の骨。博物館の恐竜のように、綺麗に背骨の部分がつながったままの見事なものだったわ」

「丘の白い馬は、この馬の墓標の代わりかもしれない。そう誰かが言い出して、なんとなく薄気味悪くなってしまったの。子供ってそういうのに敏感に反応するでしょう?」

 子供は探検的な匂いのするものに、いつの時代も好奇心と同時に、恐れを抱くものだ。
「今も残っているかわからないけれど、無性にそこに行ってみたくなる時があるの。自分が生まれた家なんかよりずっと」

 彼女が故郷のことを話したのは、後にも先にもこの時だけだった。
「ただそれだけなんだけど、あなたにだけしたい話だったの。あの美しい馬をもう一度見てみたい」
 マリアはそう言って、俺を目をじっと見つめた。

 俺は自分の生まれた町の話を彼女にしただろうか。マリアにだけした話があっただろうか。途端に俺は不安になる。

 肝心なところがいつも抜け落ちている。色んなことを話して解り合ってきたと思っていたこの二年間、俺たちは互いの何を知ったんだろう。
 心の核に触れないまま、時が過ぎ、積み重なるのをどこかで待っていただけ? マリア、君はそのことに気付いていたのか?

 歩道に村人たちがたくさん集まっているのが見えた。何かの集会かと思って車を止めてしばらく観察してみる。全員正装して、道端で楽しそうに話し込んでいる。

 小さな教会の鐘が鳴り、中で誓いを終えたばかりの二人が、人々に祝福されて出てくるところだった。花に囲まれて微笑んでいる花嫁の顔がマリアと重なり合う。

 俺は拍手をしている人々をつかまえて、「この辺りに、白い馬の絵が描かれた丘を知りませんか?」と尋ねたが、誰もが怪訝そうに首を横に振った。

 マリア、あの話が真実だったかどうかさえ、俺には信じられなくなっている。
 あと一日で、俺たちも祝福の鐘の音を聞くはずだった。彼女はいつかどこかで、他の誰かとあの音を鳴らすのだろうか。




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⇒ 「面影を追い続ける男」 目次


 


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。