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18 ロンドン④完

「面影を追い続ける男」 18 最終章 ロンドン ー再出発④ー


 本当はとっくにわかっていた。彼女は自分で死を選んだのだと。
 共に暮らしているうちに、こんな日が来るような気がしていた。一緒に居ても、いつも彼女は遠くばかり見ていた。男の方が巻き添えを食ったのだろう。

 ずっと悲しみ続けることが、俺の唯一出来る彼女への愛の証明だった。

 それは、この悲しみに終わりがあることを知っていたから。
 まるで何もなかったような日々が、きっとまたやってくることを知っていたから。人間とはそんなものだ。いや、俺が冷たいのかもしれない。

 だから、一日でも長く、一秒でも多く、哀しみの底にいたかった。
 次の恋なんていつまでもしない。ずっと孤独で、一人を噛みしめて。
 それがマリアに捧げる、鎮魂歌レクイエムの代わり。

 愛していた。たとえ彼女の方がどうであろうとも。はじめて真剣に愛した女だったから。

 だが、同時に気づいていた。睦月が次第に心の隙間に入り込んでくることに。俺の方が必要としていく気持ちに。
 否定しても否定しても止められない想い。彼女の言う通り、すきになる気持ちは忘れられない。そんな自分が腹立たしかった。

 さよなら、睦月。君のためにも悲しみ続けるよ。この先も、次なんか捜さない。君は誰か見つかるといい。

 生活はまた元に戻った。

 毎晩、酒を飲み、ピアノを弾き、人々の話す輪の中に目立たないように溶け込んだ。
 みんな俺の演奏が変わったとか、変わらないとか、いい加減なことを言ったが、俺はどうでもよかった。

 時々ワインを飲むと、二人の女のことを想い出した。
 一人は笑っている姿が、一人は泣いている姿が浮かんだ。もう笑顔を取り戻しただろうか?

 月日が経っても、いつまでも俺は面影を求めてさまよい続けている。
 まだ終わりは来ない。長い循環道路を走ってきたところなんだ。二周目に入るだけのことだ。

 レコードに針を落とす。
 今夜は、アメリカから有名なベーシストがやってくる。彼の音楽は心の糧だった。この音がいつだって俺を震わせた。
 彼と共演することは、昔の俺の夢だったのに、今、曲を聴いても心が躍ることはない。

 灯りを消さずに部屋を出て、暗闇の中で車のキーを回した。まだレコードは鳴り続けている。わかっている。今の俺に届くとしたら、それは音楽じゃない。

 ヘッドライトを着けた時、歩道に円い月のような輪がぼんやり浮かび上がり、人のシルエットが近づいてきた。

 その瞬間、俺は目を閉じ、自分に訊ねた。お前が求めているのは誰だ? 誰を待っている?

 今、俺はやっと自分の心を真っすぐ見つめた。
 そしてドアを開け、駆け寄り、やわらかな黒髪を抱きしめた。



<完>




< 前話 18 ロンドン③ 

⇒ 「面影を追い続ける男」 目次


*長い間の連載となりました。
 おつきあい頂きまして、本当にありがとうございました。

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。