見出し画像

フェリス・ホイール 2


 僕の休憩時間は、サラ、近頃は君のためにあった。
 わずかな時間、話をすることが僕の最大級の楽しみになっていた。

「ねぇ、大きな窓を拭くのって大変じゃない?」
「ああ、体力はいるよ。ずっと腕を上げっぱなしだし、観覧車の窓は円形で、普通の窓のようにまっすぐじゃないから、力の入れどころが実は難しいんだ。全ての指に均等に力を置くような感じで……」

 喋りながら、ハッとなった。
 また夢中で自分のことばかり。僕はいつもこうなんだ。気づいた時には、相手が凍ってしまう。
 でも、サラはこどもみたいに楽しそうな顔をして、頭上に手のひらを上げて、5本の指に均等に力を入れる仕草をして、その感触を確かめようとしてくれた。

 僕といて退屈じゃないの?
 そんな心の声を見透かしたみたいに、サラはふっとやさしく笑った。
「カケル。秘密を教えてあげる。君ならきっと伝わる」

 12日目に君は、てのひらの中に握っていたものを、そっと見せてくれた。
 それは、君の髪と同じくらいに銀色に光る大きな鍵だった。表面には宝石がはめ込まれていて、いかにも特別な感じがした。

「この鍵はね、この世界の観覧車の中の、たった一つの扉の鍵なんですって。そこを開けることができたら、別の世界と通じているの」
「君はそれを探して、毎日観覧車に乗っているんだね。どうして一日一機しか乗らないの?」
「実は私……、高所恐怖症なの」
 いつもクールで、何かに動じそうもない君からの発言とは思えなくて、僕は思わず吹いてしまった。

「笑いごとじゃないわ。ゆゆしき問題なの!」
 拗ねた君はとても可愛いらしくて、僕はしあわせになった。
「ほんとは、一日にひとつだけという決まりなの。私がその扉を見つける日はいつなのかな。日本中の観覧車を巡っても見つからなくて、世界進出しなくてはいけないかもしれない」

 饒舌になるサラは、この時きっと無理をしていたんだろうな。
 だから、さみしげに吐息を漏らした言葉が、僕の胸に落ちた。
「私、ここで、カケルが磨いた窓から、旅立ちたいわ」

 観覧車は窓が命だ。誰だって汚れた窓から外を眺めたくなんてないだろう? 
 外側から窓を洗う方が簡単なんだ。ホースでシャワーのように水をかけて、デッキブラシで擦ればいいだけ。

 でも、内側はそうはいかない。上手に水拭きで磨いてから、やわらかい布で丁寧に水を拭う。この手間が美しく見せるコツだ。
 最近発見したのは、炭酸水を吹きかけること。匂いがキツイ洗剤を使ったら、乗り込んだ時に息苦しくなるでしょ。
 シュッシュと炭酸をスプレーして、泡が窓をキレイにしながら消えていくのを、僕は楽しんでいる。

 「観覧車の窓拭きの歌」は残念ながらないから、仕方なしに僕は「煙突掃除屋さんの歌」を失敬してくる。
 チムチムニー チムチムニー チムチームチェリー。
 何度となく繰り返し口ずさむ。明るく作業ができるのに適したいい曲だ。
 僕の仕事には専用の曲がない。誰か作ってくれないかな。

 土日はひっきりなしにお客さんがいるから、僕の仕事は休み。
 なのに僕は観覧車に会いに、休みの日でもやはりここに来てしまう。正直言うと、他にどこも行くところがないから。
 ここに来れば何かしら仕事はあるし、作り過ぎたポップコーンをお昼にもらったり、こどもたちに風船を配ったりして、一日過ごせるんだ。

「ね、英語で『観覧車』って何ていうか知ってる?」
「知らないわ。あなたは観覧車博士みたい」
 僕にとっては生活の一部だからね。
「『フェリス・ホイール』って言うんだ。ホイールは車輪の意味。フェリスは人の名前。はじめてモーターで回る観覧車を作った人の名がつけられてるんだ」

 サラは、一体何者なんだろう。年は高校生くらいだろうか。しかし外国の女の子というのは大人っぽくて実年齢がわかりにくいな。面と向かって聞くのも失礼だろう。ま、いくつだろうと関係ないっちゃないんだ。


続 > 


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。